はじめに
慢性冠動脈疾患(chronic coronary disease: CCD)は、現在でも多くの患者を悩ませる疾患です。その中心症状である狭心症は、心筋虚血によって引き起こされる胸痛として広く知られています。近年、狭心症と冠動脈病変の重症度が必ずしも一致しないことが明らかになってきました。そして今、臨床現場で見逃せない事実として浮かび上がっているのが、「女性は男性よりも狭心症が重く、QOL(生活の質)も低下しやすい」という現象です。
この問題に対して、2025年に発表されたHausvaterらの論文は、狭心症と性差、さらにはストレスや抑うつ症状との関係を大規模データから解明を試みた研究です。
研究概要と対象
本研究は、ISCHEMIA試験およびCIAO-ISCHEMIA副試験に参加した1626名(CAD:1439名、INOCA:187名)のデータを解析したものです。
全体の平均年齢63歳(中央値)、
・CAD群(冠動脈疾患あり):平均64歳
・INOCA群(冠動脈に高度狭窄なし):平均60歳
CAD群(冠動脈疾患あり 1439名)
・男性:1002名(70%)
・女性:437名(30%)
INOCA群(冠動脈に高度狭窄なし 187名)
・男性:59名(32%)
・女性:128名(68%)
対象者全員が以下のスケールにて評価されました。
・Seattle Angina Questionnaire(SAQ-7):狭心症関連健康状態評価
・Perceived Stress Scale-4(PSS-4):ストレス
・Patient Health Questionnaire-8(PHQ-8):抑うつ症状
特筆すべきは、対象に虚血はあるが冠動脈に高度狭窄がない(Ischemic Non obstructive Coronary Artery disease;INOCA)患者を含めたことです。
これにより、「虚血の存在自体」と「冠動脈の狭窄」という要素を分離して解析できる設計となっており、既存研究にない強みとなっています。
女性ほど狭心症が重く、生活の質が低い
結果は極めて明瞭でした。
- CAD群のSAQ-7スコア中央値: 男性83に対し女性76(p<0.001)
- INOCA群のSAQ-7スコア中央値:男性85に対し女性80(p=0.012)
冠動脈病変の有無に関わらず、女性は狭心症の頻度が高く、身体的制限も強く、生活の質が低いことが示されました。
これまで「女性の狭心症は精神的要因に影響されやすい」と漠然と考えられてきましたが、本研究ではストレスや抑うつを調整しても性差が残ることが明らかになっています。
つまり、女性の狭心症の重症化には、単なるストレス感受性の高さ以上の要因が存在する可能性が示唆されたのです。
ストレスと抑うつはどう関与するのか
高ストレス(PSS-4スコア6以上)は、CAD群で39%、INOCA群で49%と高率に認められました。
抑うつ症状(PHQ-8スコア10以上)もCAD群で11%、INOCA群で17%と少なくありません。
これら高ストレス・高抑うつ群では、男女問わずSAQ-7スコアが有意に低下していました。
ストレスによる交感神経過活動や血管内皮機能障害が、狭心症を悪化させるメカニズムはすでに報告されており、本研究結果とも整合します。
しかしながら、ストレスや抑うつと性別の間に交互作用は認められず、精神的負担が女性特有の狭心症重症化に直結するとは言えませんでした。
これは、ストレス・抑うつはあくまで狭心症を悪化させる共通要因であり、女性特有の要因は別に存在する可能性を示唆しています。
性差の背景にある生物学的要因
この性差の根底には、血管機能や自律神経、神経心理学的要因が複雑に絡んでいる可能性があります。
自律神経の不均衡
論文では、ストレスや抑うつ症状が自律神経の不均衡を引き起こし、これが狭心症の症状を悪化させる可能性があると指摘されています。特に、女性は男性よりも精神的ストレスによる虚血を起こしやすいことが示されています。これは、女性の自律神経系がストレスに対してより敏感に反応するためと考えられています。
女性では交感神経優位になりやすく、心拍変動(HRV)の低下も著明です。
交感神経過活動は、冠微小血管攣縮や内皮機能障害を誘発し、狭心症増悪に寄与すると考えられます。
内皮機能障害
ストレスや抑うつ症状は、内皮機能障害を引き起こすことが知られています。更年期以降の女性ではエストロゲンレベルが低下し、内皮機能が悪化することが報告されています。内皮機能障害は、血管の拡張能力を低下させ、冠動脈の攣縮や虚血を引き起こす一因となります。論文では、女性が男性よりもストレスによる内皮機能障害を起こしやすいことが示唆されており、これが狭心症の性差を生む一因となっている可能性があります。
炎症性サイトカインと酸化ストレス
抑うつ症状は、炎症性サイトカインの増加や酸化ストレスの上昇を通じて、心血管系に悪影響を及ぼします。また、女性は男性よりも炎症性サイトカインの産生が高いとする報告があります。更年期後の女性では、炎症性サイトカインの産生が増加する傾向があります。このような生物学的な性差が、狭心症の症状の重症化に関与している可能性があります。
脳の痛み処理経路
論文では、精神的ストレスや抑うつ症状が脳の痛み処理経路に影響を与え、狭心症の症状を増幅させる可能性があると述べられています。特に、大脳辺縁系や前帯状皮質を介して痛み感受性を増強することで、狭心症の重症度と関連していることが指摘されています。女性は男性よりも痛みに対する感受性が高いことが知られており、女性はストレス負荷による痛覚過敏が起こりやすく、これが同じ虚血でも女性の方が強く痛みを感じる一因になっている可能性があります。
女性は男性よりも、痛みを伝達する神経経路が敏感ですが、女性ホルモン(特にエストロゲンとプロゲステロン)が、痛みの感受性に影響を与えることも知られています。上記のように女性は男性よりも炎症性サイトカイン(例:IL-6、TNF-α)の産生が高い傾向があり、これが痛みの感受性を高める一因となっている可能性もあります。
ホルモンの影響
上記でも少し触れましたが、女性の心血管疾患における性差の背景には、エストロゲンなどの性ホルモンが関与していることが一般的に知られています。エストロゲンは血管拡張作用を持ちますが、閉経後にはこの保護効果が失われます。
さらに、微小血管機能障害(coronary microvascular dysfunction)は女性に多く、NO産生低下や内皮依存性血管拡張障害が狭心症の一因と考えられます。
冠動脈微小血管障害
INOCA(非閉塞性冠動脈疾患)の患者において、女性は男性よりも冠動脈微小血管障害を起こしやすいことが指摘されています。この微小血管障害は、狭心症の症状を引き起こす主要なメカニズムの一つです。論文では、女性がINOCAをより多く経験する理由として、微小血管の機能障害が関与している可能性が示唆されています。
複合的な要因
これらの生物学的要因は、単独で作用するのではなく、複合的に絡み合って性差を生み出す可能性があります。例えば、自律神経の不均衡が内皮機能障害を引き起こし、さらに炎症性サイトカインの産生を増加させるといった連鎖反応が考えられます。このような複合的なメカニズムが、ストレスや抑うつ症状とは独立して性差を生む要因として作用している可能性があります。
実践への応用
本研究から得られる重要メッセージは次の通りです。
- 女性では冠動脈病変の重さと症状の重さが一致しない。
- これは微小血管機能障害、ホルモン低下、自律神経異常という女性特有の病態が関与。
- ストレス・抑うつは狭心症関連QOL低下と関連するが、女性特有の要因ではない。
- 冠動脈正常でも症状が強い女性患者に対しては、微小血管機能評価やストレスマネジメントを含む多角的アプローチが不可欠。
明日から活かせるポイントは以下の通りです。
- 狭心症女性患者には病変の程度に関わらず症状が重くなりやすいことを認識する。
- ストレス・抑うつのスクリーニングを積極的に実施し、早期に介入する。
- 微小血管機能障害や冠攣縮を想定した治療を検討する。
- 運動耐容能低下を放置せず、個別性に応じた運動療法を推奨する。
- 認知行動療法やリラクゼーション法など、精神的ケアも含めた多面的アプローチを意識する。
まとめ
性差とストレスまたは抑うつ症状の間には有意な相互作用が見られなかったことは、これらの要因が直接的に性差を説明しないことを示しています。しかし、自律神経の不均衡、内皮機能障害、炎症性サイトカインと酸化ストレス、脳の痛み処理経路といった生物学的要因は、ストレスや抑うつ症状とは独立して性差を生み出す可能性があります。これらの要因が複合的に作用することで、女性が男性よりも狭心症の症状をより深刻に経験する理由が説明される可能性があります。今後の研究では、これらの生物学的メカニズムをさらに解明することが重要です。
参考文献
Hausvater A, et al. Sex Differences in Psychosocial Factors and Angina in Patients With Chronic Coronary Disease. J Am Heart Assoc. 2025;14:e037909. DOI: 10.1161/JAHA.124.037909