(欧州10カ国)
はじめに
欧州諸国において、家事の不平等は長らく身体的な労働、すなわち掃除や洗濯といったタスクの分担という文脈で語られてきました。しかし、現代の家族社会学および労働研究において、より深刻かつ不可視な問題として浮上しているのが認知的家事労働(Cognitive Household Labor: CHL)です。アンドレアス・ハウプト博士とダフナ・ゲルブギザー博士による本研究は、欧州10カ国におよぶ大規模調査データを解析し、家事の「考える側面」がどのように男女の精神を蝕み、職業的な疲弊へと繋がっているのかを冷徹な数値と共に描き出しています。
認知的家事労働の本質とPECOの定義
本研究を深く理解するために、まず分析の枠組みを明確にします。
P(対象者):欧州10カ国(ブルガリア、ロシア、ジョージア、フランス、ルーマニア、ベルギー、リトアニア、ポーランド、チェコ、スウェーデン)に居住し、異性のパートナーと同居・雇用されている男女計19,782人。
E(暴露):高い割合の認知的家事労働の負担。具体的には、社会活動の計画、家計管理、軽微な修理、日常的および高額な買い物の意思決定など。
C(比較):低い割合、あるいはパートナーと平等な認知的家事労働の分担。
O(アウトカム):家族・仕事間の葛藤(ファミリー・ワーク・コンフリクト)の強度。具体的には「家事のために、仕事で十分に機能できないほど疲れて出勤した」経験の頻度。
認知的家事労働は、単なる作業の実行ではなく、ニーズの予測、選択肢の特定、意思決定、そして実行の監視という4つのプロセスで構成されています。この一連の思考プロセスが、個人の認知容量を占有し続けることで、メンタルロードが生じるのです。
アンケート内容
認知労働として抽出された具体的な設問内容
具体的には、以下の6つの項目が「認知労働」の指標として用いられました 。
- 共同の社会活動の整理 (Organizing joint social activities)
- 親族や友人との集まり、休暇、イベントなどの計画や調整を指します 。
- 請求書の支払いと家計管理 (Paying bills and keeping financial records)
- 家計の収支把握、支払い期限の管理、記録の維持などが含まれます 。
- 家の中の小さな修理 (Doing small repairs in and around the house)
- 壊れたものの修理方法の調査や、必要な道具・部品の特定などの思考プロセスを伴います 。
- 日常的な買い物の意思決定 (Who makes decisions about routine purchases?)
- 日用品や食料品など、頻繁に発生する購入に関する決定です 。
- 高額な買い物の意思決定 (Who makes decisions about expensive purchases?)
- 家電や車など、家計に大きな影響を与える購入に関する決定です 。
- 社会活動に関する意思決定 (Who makes decisions about social activities?)
- 誰と会うか、どこへ行くかといった、対外的な交流に関する最終決定です 。
回答の選択肢(文面)
各設問に対し、回答者は「あなたの世帯では、以下のタスクを通常誰が行っていますか?」という問いに対し、以下の5段階(+その他)から選択する形式でした 。
- いつも私 (Always me)
- たいてい私 (Usually me)
- 私とパートナーが平等に (Equally me and my partner)
- たいていパートナー (Usually partner)
- いつもパートナー (Always partner)
- いつも、またはたいてい他の誰か (Always or usually someone else)
理論的背景:努力・報酬不均衡モデルの家庭内適用
本研究の卓越性は、職場におけるストレス理論として知られる「努力・報酬不均衡(effort–reward imbalance;ERI)モデル」を家庭内の認知的労働に適用した点にあります。ERIモデルでは、注ぎ込んだ努力に対して、それに見合う報酬(承認、金銭、機会)が得られない場合に、精神的・身体的な健康被害が生じると考えます。
認知的家事労働は、以下の3つの特性により、極めてストレスフルな性質を持ちます。
頻度
第一に、頻度です。掃除機をかけるといった身体的家事には終わりがありますが、献立の管理やスケジュールの調整に終わりはなく、日常的に絶え間なく発生します。
複雑さ、コントロールの低さ
第二に、複雑さとコントロールの低さです。例えば共同の社会活動を組織するタスクは、参加者全員のニーズを調整する必要があり、個人の裁量で完結させることが難しく、高い認知負荷を強います。
報酬のジェンダー的非対称性
第三に、報酬のジェンダー的非対称性です。ステータス特性理論(Status characteristics theory)によれば、女性がこれらの管理業務を担うことは当然の規範とされ、成功しても称賛されにくく、失敗すれば「配慮不足」として非難を浴びる傾向にあります。対照的に、男性がこれらのタスクを担うと、期待以上の貢献としてポジティブな評価を得やすいという構造的不均衡が存在します。
認知的家事労働(CHL)の分担割合
本研究では、欧州10カ国のデータを統合した独自のスケール(-12から+12の範囲)を用いて、認知的家事労働(CHL)の分担割合を分析しています 。全体としては平等を目指す傾向が見られるものの、タスクの種類や「誰が報告したか」によって明確な偏りが存在します 。
タスク別に見る分担の実態(女性の報告に基づくデータ)
特定のタスクごとに見ると、認知的労働がどのようにジェンダー化されているかが鮮明になります 。
- 共同の社会活動の整理: 約67%のカップルが「平等」と回答していますが、どちらか一方が担う場合、女性が担当する割合は26%であるのに対し、男性はわずか7%です 。
- 日常的な買い物の決定: 女性が「通常または常に」担当する割合は55%に達しており、男性が担当する8%という数字を圧倒しています 。
- 請求書の支払い・家計管理: 41%の女性が自分たちが主導していると回答しており、認知的負担の重い管理業務が女性に寄っていることが示唆されます 。
- 小さな修理: この項目は男性が主導する数少ないタスクであり、女性が主導する割合は5%に留まります 。
- 高額な買い物の決定: 82%以上のカップルが「平等」と回答しており、最もジェンダー差が少ない項目です 。
認識のズレ:男女で異なる「分担」の捉え方
興味深いことに、認知的労働の分担割合については、男女の間で自己申告の数値に乖離が見られます 。
- 女性は「自分たちがより多く担っている」と報告する傾向が強く、逆に男性は「自分たちも相応に貢献している」と報告する傾向があります 。
- 家計管理の例では、女性の41%が「自分が主にやっている」と回答していますが、男性側で「妻が主にやっている」と回答したのは33%に留まっています 。
- このように、認知的労働はその性質上「見えにくい」ため、パートナー間でも負担の大きさを正しく共有できていないのが実情です 。
認知的労働は物理的な労働と異なり、一度引き受けると「常に考え続ける」必要が生じるため、数値以上の重みが女性の肩にのしかかっている可能性があります 。
認知的家事労働の負担の影響
分析結果は、認知的家事労働の負担が女性の職業生活にいかに破壊的な影響を与えているかを明示しています。
女性
女性において、認知的家事労働の負担割合が高まるほど、仕事への疲弊を訴える確率は有意に上昇します。ロジスティック回帰分析の結果、認知的タスクの全てを女性が担っている場合、仕事で機能できないほどの疲労を感じる確率は15%に達します。一方、パートナーと平等に分担している女性では9%、男性が全てを担っている場合は6%まで低下します。
男性
驚くべきは、男性のデータです。男性の場合、認知的家事労働をどれだけ多く担っていても、仕事への疲労感との間に統計的な相関が見られませんでした。男性がたとえ「自分が全ての認知的家事を行っている」と回答したとしても、疲労を感じる確率は一貫して約7%程度で停滞しています。
この結果は、家事の分担割合が全く同じであっても、女性だけが職業的な疲弊という形で代償を支払っていることを示唆しています。女性はより頻繁で、複雑で、かつ自分ではコントロールできないタスクを担わされている可能性が高いのです。
なぜ男性は認知的労働で疲弊しないのか
本論文は、男性が認知的労働から受けるダメージが極めて低い理由を、タスクの質と社会的認知の差に求めています。
男性が担う認知的労働「プロジェクト型」
男性が担う認知的労働は、高額な買い物の決定や家の修理など、頻度が低く、かつ自分の裁量で完結しやすい「プロジェクト型」のタスクである場合が多い傾向にあります。これらは完了時の達成感があり、家族からの承認も得やすいものです。
女性が担う認知的労働「ルーチン管理型」
一方、女性が担うのは、日々の消耗品の在庫管理や、子供の交友関係の把握など、終わりがなく、目に見えない「ルーチン管理型」のタスクです。この「司令塔としての孤独な責務」が、仕事へのパフォーマンスに悪影響を及ぼすほど精神を磨り減らしているのです。
男性は、女性が静かに行っている「見えない」タスクの全体像を把握出来ていない
繰り返しになりますが、重要な点ですので強調します。
認知的な家事の「見えなさ」と利用可能性ヒューリスティック
認知的家事労働(CHL)は、思考プロセスであり、物理的な行動を伴わないことが多いため、他者からは極めて「見えにくい」という特徴があります。
- 自分自身の思考は常に「見えている」: 私たちは皆、自分の思考、計画、心配については100%把握しています。これを「利用可能性ヒューリスティック(Availability Heuristic)」と呼び、自分自身の貢献をより大きく、容易に思い浮かべることができるため、自己評価が高くなる傾向があります。
- パートナーの思考は「見えない」: パートナーが「何を心配し、いつ計画を立て、どのような調整を行っているか」は、言葉にされない限り分かりません。男性は、女性が行っている「ニーズの予測」や「計画・調整」という、CHLの最初の2つの高負荷なステップ(終わりのない、目に見えない思考)に、物理的に立ち会うことができません。
男性が「自分も相応に貢献している」と報告するのは、彼らが故意に過大評価しているのではなく、自分たちが主導する「意思決定」や「実行」といった「見えやすい」タスクのみに焦点を当て、女性が静かに行っている「見えない」タスクの全体像を、単に把握できていない(= under-reporting)可能性が高いと言えます。
女性の報告を裏付ける「現実的な影響(負の帰結)」
女性が過剰に自己評価しているだけなら、その報告は単なる主観的な意見に留まるはずです。しかし、この論文の決定的な発見は、女性が高いCHL負担を報告するほど、現実世界での負の影響が統計的に有意に現れるという点です。
- 精神的負荷(ストレス・疲労感): 高いCHL負担を報告する女性ほど、高い精神的負荷を経験しています。
- 家族・仕事間の葛藤: CHL負担が高い女性ほど、「家庭の責任のために、仕事で十分に機能できないほど疲れている」と報告しており、実際に職業生活に悪影響が出ています。
これらのメンタルヘルスの悪化や、職場でのパフォーマンス低下という「measurableな(測定可能な)負の帰結」は、女性の報告するCHL負担が、実体のない主観的な過大評価ではなく、「彼女たちの心身を実際に磨り減らしている、現実の重い負担」であることを強く示唆しています。
対照的に、男性はCHLを多く担っていると報告しても、これらの負の影響をほとんど受けていません。これは、彼らの言う「分担」が、女性のように心身を蝕むほど「常に考え続ける(メンタルロード)」を伴わない、より負担の少ないタスク(プロジェクト型の実行や意思決定)に偏っている可能性を示しています。
研究の新規性:物理的家事の背後に隠れた真犯人
本研究の新規性は、掃除や調理といった従来の「物理的家事」の分担を調整変数として含めた上でも、認知的労働が独立して負の影響を及ぼしていることを証明した点にあります。
物理的な家事を平等に分けているカップルであっても、その背後にある「考える部分」が女性に偏っている限り、女性の職業的なハンディキャップは解消されないという不都合な真実を浮き彫りにしました。また、欧州10カ国という広範な文化的背景を持つデータを統合し、この現象が特定の国だけでなく、現代社会に広く蔓延する構造的問題であることを示しました。
本研究の限界(Limitation)
本研究にはいくつかの制約も存在します。
第一に、横断的な調査データであるため、認知的家事労働と疲労の因果関係を完全には特定できていません。疲労しやすい個人が家事をより困難に感じているという逆の因果の可能性を完全には排除できません。
第二に、タスクの「頻度」や「質」を直接的に測定する変数が不足している点です。同じ「家計管理」でも、月一回の支払いと日々の家計簿付けでは負荷が異なります。
第三に、本分析は異性の同居カップルに限定されており、単身世帯や同性カップルにおける認知的労働の動態はカバーされていません。
明日から実践できる「不可視の可視化」戦略
本論文の知見を、私たちの日常生活や臨床的なアドバイスにどのように活かすべきでしょうか。読者が明日から行動に移せる具体的なアプローチを提案します。
まず、家事のインベントリ(目録)を物理的行動から思考プロセスへと拡張してください。単に「夕食を作る」ではなく、「一週間の献立を考える」「栄養バランスを計算する」「冷蔵庫の在庫を把握し、不足分を買い物リストに載せる」というプロセスを言語化し、共有可能なリストにします。これを夫婦やパートナー間で棚卸しすることが、不均衡を是正する第一歩です。
次に、「予測」と「監視」のタスクを意識的に委譲してください。多くの家庭で、男性は「言われたことはやる」という実行フェーズのみを担当し、女性がニーズを予測し、完了をチェックするフェーズを担っています。この「マネジメント責任」こそが疲弊の源泉です。特定の領域(例えば子供の教育管理や保険の見直しなど)については、予測から監視まで一貫してパートナーに任せ、自分は一切考えない領域を作る「認知的デトックス」を推奨します。
最後に、認知的労働に対する「報酬」を意識的に構築してください。思考の労力は目に見えません。パートナーの思慮深さや、先回りした配慮に対して具体的に感謝を述べることは、ERIモデルにおける報酬側を強化し、ストレスを軽減する有効な手段となります。
認知的家事労働は、家庭という組織を運営するためのOSのようなものです。しかし、そのOSの負荷が一人に集中すれば、システムの停止(職業的疲弊)を招くのは必然です。本研究が突きつける事実は、私たちが真に目指すべき平等が、単に手を動かすことの分担ではなく、共に考え、共に責任を負うという「脳の分担」にあることを教えてくれています。
参考文献
Haupt, A., & Gelbgiser, D. (2024). The gendered division of cognitive household labor, mental load, and family-work conflict in European countries. European Societies, 26(3), 828-854. https://doi.org/10.1080/14616696.2023.2271963
補足:食事の用意や掃除などに関する認知労働は含まれていない?
本研究のメイン尺度である「認知的家事労働(CHL)」には、食事の用意や掃除そのものに関する設問は含まれていません 。
著者らは、統計的な正確性を期すために、あえてこれらを「物理的労働(Physical Labor)」として区別し、別の尺度で測定しています 。その論理的な背景と分類について解説します。
1. 物理的労働として分類された項目
研究チームは、以下の3項目を「認知的オーバーヘッド(思考の付随的負担)が最も低いタスク」と定義し、物理的労働の尺度として独立させました 。
- 掃除機をかける (Vacuum cleaning)
- 食器を洗う (Washing dishes)
- 毎日の食事の準備 (Preparing daily meals)
これらのタスクも当然「何をいつ作るか」といった思考を伴いますが、本研究では「認知的労働」と「物理的労働」の相関が低いこと(男性で0.05、女性で0.15)を確認し、両者が全く別の次元の負担であることを統計的に証明しています 。
「目に見える家事(掃除や料理)をたくさんやっているからといって、その人が目に見えない家事(計画や管理)も同じように担当しているとは限らない」ということです。
2. 「食料品の買い出し」をあえて除外した理由
興味深いことに、当初候補に挙がっていた「食料品の買い出し(Shopping for food)」も、最終的な認知的労働のメイン尺度からは除外されました 。これには深い推論過程があります。
- ジェンダーによるプロセスの分離: 買い出しは「何を買うか決める(認知的)」プロセスと「店に行って運ぶ(物理的)」プロセスが分離しやすいタスクです 。
- 過小評価のリスク: 多くの場合、女性が在庫を管理してリストを作りますが、男性が物理的に店に行くと、男性側が「自分が家事をやった」と誤認しやすく、認知的負担が正しく測定できないリスクがあるためです 。
- そのため、より純粋に思考と実行が一体化している「小さな修理」などが尺度に採用されました 。
3. 本研究における「認知労働」の定義
この研究がターゲットにしたのは、物理的な作業の影に隠れて見落とされがちな、より「マネジメント的・組織的」な思考です 。
著者らが認知的労働(CHL)として定義し、分析に用いたのは以下の性質を持つタスクです。
- 共同活動の組織化: 家族のニーズを予測し、複数の参加者の予定を調整する複雑な思考 。
- 家計・支払い管理: 期限を常に意識し、将来の予測を立て続ける継続的な認知負荷 。
- 意思決定: 選択肢を調査し、リスクやリターンを評価して決定を下すプロセス 。
結論:なぜ食事や掃除を含めなかったのか
研究者らは、食事や掃除といった「物理的な動きが目立つ家事」を含めてしまうと、「家事の分担=手を動かした時間」という従来の議論に引きずられてしまうことを懸念しました 。
あえて「食事の準備」などを除外し、純粋に「計画・管理・決定」という目に見えない思考プロセスのみを抽出したからこそ、「物理的な家事を平等に分けていても、考える部分(認知労働)を女性が担っているだけで、仕事に支障が出るほど疲弊する」という衝撃的な事実を浮き彫りにすることができたのです 。
読者の皆様が明日から意識すべきは、食事作りそのものよりも、その前段階にある「献立の決定」や「在庫の把握」といった、この論文が定義した「認知労働」をいかに共有するかという点です。
でも、個人的には
・掃除をする (Vacuum cleaning)
・食器を洗う (Washing dishes)
・毎日の食事の準備 (Preparing daily meals)
などのいわゆる日常の家事に関して、認知労働と身体労働に分離した設問が作れなかったこと自体が、認知労働を過小評価しているようにも思います。

