はじめに
近年、米国をはじめとする海外のメディアにおいて、あるホルモンの話題が沸騰しています。それこそが、従来は男性ホルモンとして知られていたテストステロンです。閉経期や更年期を迎えた女性たちの間で、性欲の減退、エネルギーの低下、さらには認知機能の衰えを解決する奇跡の薬として、テストステロンの利用が急増しています。しかし、この流行は本当に安全なのでしょうか。
循環器医学の権威である米国心臓病学会の学術誌であるJACC: Advancesに2026年に掲載された最新の論文では、これまで不透明だった女性に対するテストステロン処方のリアルな実態を膨大な電子カルテネットワークからあぶり出し、私たちに強い警鐘を鳴らしています。女性のウェルビーイングやアンチエイジング、そして予防医学に関心を持つすべての人にとって、決して他人事ではない、臨床の最前線からのレポートを学術的に解説します。
研究の背景
これまでも女性に対するテストステロンの効果や安全性に関する議論は存在していました。しかし、米国食品医薬品局(FDA)において、女性の治療を目的として承認されたテストステロン製剤は現在にいたるまで一つも存在しません。長期的な安全性データ、とりわけ心筋梗塞や脳卒中といった心血管疾患のリスクについては、決定的なエビデンスが不足したままです。
かつて女性の性的欲求低下障害(Hypoactive Sexual Desire Disorder;HSDD)に対するテストステロンジェルの長期心血管安全性を検証するために設計された大規模臨床試験であるBLISS(BioSante LibiGel Safety Study)は、試験自体は完了したものの、ペアとなる有効性検証試験がベネフィットを示せなかったために、結果が公表されないまま歴史の闇に埋もれてしまいました。
既存の研究の多くは、こうした特定の治験の枠組みの中か、あるいは限られた小規模な集団での単一施設報告にとどまっていました。そのため、現実世界(リアルワールド)において、実際にどれほどの女性が、どのようなデモグラフィック背景のもとで、どのようなリスクを抱えながらテストステロンの処方を受けているのかという全体像は、全く明らかにされていませんでした。
本研究の最大の新規性は、全米を網羅する3億件以上の患者記録を保有する巨大な電子カルテ(EHR)共同ネットワークであるEpic Cosmosを活用し、実社会における女性へのテストステロン処方の劇的な時間的・人口統計学的トレンドと、その処方を受けている女性たちが抱える心血管リスクのリアルな実態を、初めてビッグデータを用いて定量的に明らかにした点にあります。
研究のデザインとPECOフレームワーク
この研究の全容を正しく理解するために、まずはどのような手法で解析が行われたのか、その研究プロトコール概要を整理します。
研究デザイン:電子カルテデータセットを用いた記述的および回帰分析的コホート研究
本研究の対象および条件は、疫学研究のフレームワークであるPECOに準じて以下のように整理されます。
P(対象患者):米国における18歳以上の成人女性。法的性別が女性として記録され、かつ少なくとも2回以上の通院・受診記録(遭遇)がある患者。ただし、ジェンダーアイデンティティ障害(ICD-10-CM:F64.-)の診断名がある患者や、性別適合手術の既往歴(Z87.890)がある患者は、トランスジェンダー医療における処方との混同を避けるために除外されています。
E(要因・曝露):2016年1月1日から2025年12月31日までの間に、テストステロンを含むあらゆる製剤(処方)の処方履歴があること。
C(比較対照):テストステロンの処方を受けていない同等の女性患者集団(Cosmosプラットフォーム内の一般女性コホート)。
O(主要評価項目):テストステロンの年間処方率の推移(10万人あたりの処方数)、処方された女性のデモグラフィック特徴(年齢、人種、民族)、および併存する心血管・代謝疾患リスク因子の有病率。
統計解析においては、2021年と2022年の間にデータ主導のブレイクポイントを設定した、ピースワイズ対数線形回帰分析が用いられ、プラットフォームが報告する女性人口を分母として曝露率が計算されています。
爆発的な処方増加を示す具体的数値とその詳細分析
10年間で2.6倍
この研究が弾き出したデータは、まさにインパクトそのものです。2016年から2025年までの10年間で、米国の女性に対するテストステロンの処方率は、10万人あたり50.0件から130.8件へと、実にあおるように2.6倍へと急増していました(P値<0.001)。
さらに時系列のトレンドを詳細に分析すると、2016年から2021年にかけては、10万人あたり46件から50件の間を推移しており、処方率はきわめて安定していました。しかし、2021年と2022年の境目を契機に状況は一変します。2022年から2025年にかけて、処方率は毎年31.8%という驚異的な年間成長率で加速し始めたのです。この期間のインシデンスレート比(Incidence Rate Ratio;IRR)は1.32(95%信頼区間:1.25−1.40)を記録しました。直近の2025年単年で見ると、総処方数は9万482件に達し、前年の2024年からの1年間だけで58.7%もの前年比増加を記録しています。
45歳から64歳の中高年・更年期女性
では、一体どのような女性たちがこのホルモンを受け取っているのでしょうか。データは明確な偏りを示しています。
最も処方率が高かったのは、45歳から64歳の中高年・更年期(ミッドライフ)の女性たちでした。2025年の全処方のうち、実にして62.2%がこの年齢層に集中しています。この45歳から64歳の層における曝露率は10万人あたり274.5件に達しており、これは女性全体の平均レートの2倍以上に相当します。さらに、この年齢層における2024年から2025年にかけての1年間の伸び率は79.1%と、全世代の中で突出した急成長を見せていました。
その他の年齢層の割合は、18歳から24歳が4.0%、25歳から44歳が17.1%、65歳以上が15.9%となっています。
白人女性
人種や民族による格差も顕著です。最も処方率が高かったのは白人女性であり、2025年のデータにおいて45歳から64歳の白人女性の層では、曝露率が0.17%(10万人あたり357件)に達していました。テストステロンを処方された女性全体の実に80.1%を白人女性が占めています。
これに対し、黒人女性およびアジア人女性の曝露率はともに0.05%と最も低い値でした。アメリカインディアン・アラスカ先住民は0.12%、ネイティブハワイアン・太平洋諸島系は0.07%、その他の人種グループは0.15%となっています。また、非ヒスパニック系の女性(0.15%)は、ヒスパニック・ラテン系の女性(0.06%)よりも高い曝露率を示していました。
処方の背景にある診断名と適応外処方の実態
なぜこれほどまでに処方が増えているのか、カルテに記載された診療時の診断名を見ると、その背景が浮かび上がります。
最も頻繁に関連付けられていた診断名は、
・更年期障害などの更年期の状態(ICD-10-CM:N95.1) 34.6%
・性欲減退(R68.82) 24.0%
・ホルモン補充療法(Z79.890) 17.2%
でした。
ここで非常に重要な医学的事実があります。2019年に発表された女性におけるテストステロン使用に関するグローバル・コンセンサス位置付け声明において、科学的根拠(エビデンス)が確立されている唯一の適応症は性的欲求低下障害(Hypoactive Sexual Desire Disorder;HSDD)のみです。
エネルギーの向上、認知機能の改善、あるいは全般的なウェルビーイングのためにテストステロンを使用することを支持するデータは不十分であると明確に結論づけられています。
しかし驚くべきことに、今回のリアルワールドデータでは、この正式な適応症であるHSDD(F52.0)の診断名がつけられていたケースは、わずか8.2%にすぎませんでした。つまり、多くの処方がエビデンスの不十分な症状に対して、適応外で行われている現実が示唆されるのです。
また、同声明では、メディアなどでしばしば美化されて報道されるペレット(皮下埋め込み剤)や注射といった投与形態について、生理的な限界を大幅に超える超生理学的テストステロン濃度をもたらすため、推奨しないと明記されています。しかし、人気メディアの報道に影響され、多くの女性がエビデンスに基づかない目的でこれらの製剤を求めている実態が浮き彫りになっています。
懸念される心血管・代謝リスクの科学的評価
テストステロン処方された女性の背景
そして、循環器専門医が最も懸念しているのが、これらの処方を受けている女性たちの背景にある心血管・代謝リスクの高さです。
テストステロンを処方された女性の51.2%が、高血圧、脂質異常症、あるいは2型糖尿病のうち少なくとも1つ以上の実証されたリスク因子を抱えていました。さらに、44.0%の女性には心臓病の家族歴が存在していたのです。これはテストステロンを処方されていない対照群と同等の割合ですが、裏を返せば、すでに心血管リスクを多く抱えているハイリスクな女性たちが、長期的な安全性が確立されていないテストステロンを広く摂取しているという厳しい現実にほかなりません。
なお、すでに確立された虚血性心疾患を発症している割合については、テストステロン処方群の方が非処方群よりも有意に低い値でした(3.1%対4.7%、P値は0.001未満)。しかし、これは心臓病をすでに患っている患者に対して医師が処方を躊躇しているという健康な利用者効果(あるいは選択バイアス)を反映している可能性が高く、テストステロンが心血管を保護している証拠として解釈すべきではないと論文内では強く警告されています。
女性の中高年期は、動脈硬化性疾患が急速に発達するきわめてクリティカルな時期です。一般に女性が最初の心筋梗塞を発症するのは、閉経から平均して約20年後とされています。女性特有のホルモン環境、血栓感受性、治療適応、投与経路や用量の違いを考慮すると、心血管リスク因子を持つ女性へのテストステロン投与がどのような長期予後をもたらすのか、個別の安全評価が急務となっています。
男性へのテストステロン投与
現在、テストステロンの心血管安全性に関するデータの大部分は、男性を対象とした臨床試験から得られたものです。例えば、男性の性腺機能低下症患者を対象としたTRAVERSE試験では、経皮テストステロン補充療法がプラセボに対して主要不良心血管イベント(MACE)において非劣性を示し、これを受けてFDAはブラックボックス警告を血圧監視の勧告へと変更しました。しかしながら、このTRAVERSE試験においても、テストステロン群では心房細動の発生率(3.5%対2.4%、P値は0.02)や、肺塞栓症の発生率(0.9%対0.5%)が有意に高かったことが報告されています。
さらに、冠動脈CT造影(CCTA)を用いた男性の機構的な画像研究(メカニスティックスタディ)では、テストステロン治療が石灰化を伴わない非石灰化プラーク(不安定プラーク)の容積の有意な進行増加と関連していることが確認されています。これは、さらに長期の追跡期間において動脈硬化性アテローム性疾患のリスクを高める潜在的な危険性をはらんでいます。これを女性に安易に当てはめることのリスクは計り知れません。
本研究の限界(Limitation)
本研究を臨床や実践に適用するにあたっては、以下の限界(Limitation)を慎重に理解しておく必要があります。
第一に、使用されたEpic Cosmosデータベースは3億人以上の記録を含む巨大なネットワークですが、全米の医療利用者を完全に代表しているとは限りません。各医療機関や地域によってデモグラフィック情報、診断コード、処方レコードのコーディング実務やその完全性にばらつきがあり、サブグループの推定値に偏りを与えている可能性があります。
第二に、解析された処方データは医師が処方箋を発行した「処方の意図」を捉えたものであり、患者が実際にその薬剤を手に入れ、指示通りに正しく使用したかという「治療へのアドヒアランス(服薬遵守率)」までは追跡できていません。
第三に、今回のデータベース解析では、処方された薬剤の具体的な投与量(用量)、具体的な製剤、投与経路(経皮、経口、注射、ペレットなど)、血清テストステロン濃度、および治療期間は評価されていません。これらは心血管予後に異なる影響を与える可能性があります。また、オーダーメイドで特別に調剤される自家製剤や院内調剤(Compounded formulations)は、電子カルテシステム上で捕捉しきれず、実際よりも過小評価されている可能性が高いとされています。
第四に、電子カルテにリンクされた遭遇時の診断名は、実際の臨床的な治療適応を正確に反映していない場合があり、HSDDのコーディング率が8.2%と低かったことをもって、必ずしも不適切な処方が行われている確実な証拠と断定することはできません。また、前述の通り虚血性心疾患の有病率が処方群で低かったことについても、交絡因子の調整がCosmosプラットフォームの仕様(Slicer Dicerなど)では十分にできないため、因果関係として解釈することは不可能です。
明日からの行動と臨床実践に活かすアプローチ
この論文から得られる最先端の知見は、単なる疫学データにとどまりません。ヘルスケアに関心を持つすべての人が、明日からすぐに実践し、周囲に活かせる具体的なロードマップを提示してくれています。
- メディアの魅力的な主張を科学的に疑う
SNSやトレンド雑誌では「テストステロンが更年期のすべての不調を吹き飛ばす」といったトーンでその効果が盛んに宣伝されています。しかし本論文が示す通り、エネルギーや認知機能に対するエビデンスは国際的に認められていません。こうした情報に触れた際は、まず「女性におけるテストステロンの唯一の確立された適応症は性的欲求低下障害(HSDD)のみである」という基本原則を思い出し、安易な流行に流されない姿勢を持つことが大切です。 - 治療開始前の徹底的な心血管リスク因子のスクリーニング
もし自身や家族、あるいは担当する患者が更年期症状の緩和のためにテストステロンなどのホルモン補充を検討している場合、治療を開始する前に血圧、脂質プロファイル、血糖値、および心血管疾患の家族歴を徹底的に精査してください。データの通り、テストステロンを求める女性の51.2%に何らかの心代謝リスク因子が潜んでいます。動脈硬化の土台がある状態でのホルモン使用は、慎重なモニタリングを要します。 - 投与経路の選択と共有意思決定(Shared Decision-Making)
医師に相談する際は、期待できるベネフィット(リビドー改善など)だけでなく、長期的な安全性が確立されていないこと、そして血中濃度が過度に上昇するペレットや注射製剤はガイドラインで推奨されていないことを念頭に置き、治療方法を選択してください。肝臓への負担や脂質異常症を避けるため、もし使用する場合は経皮製剤による生理的範囲での投与と、定期的な血中濃度測定による安全性の管理が必要です。患者と医師が科学的な不確実性を共有した上で治療を決定するアプローチを徹底しましょう。
健康の質(ウェルビーイング)を高めようとする熱意が、予期せぬ心血管イベントによって遮られてはなりません。急増するテストステロン治療のブームの裏側にある科学的事実を正しく理解し、リスクを最小限に抑えるスマートな選択を行うことが、明日からの健康管理の強力な礎となります。
参考文献
Avivi I, Stuenkel CA, Sampath-Kumar R, Ben-Yehuda O. Accelerating Testosterone Prescribing for U.S. Women: Implications for Cardiovascular Safety. JACC Adv. 2026;5(5):102724. doi:10.1016/j.jacadv.2026.102724.

