はじめに:前立腺肥大症と心血管疾患
前立腺肥大症(benign prostatic hyperplasia: BPH)は、高齢男性の健康問題として広く知られていますが、単なる排尿障害にとどまらず、近年では心血管疾患(cardiovascular diseases: CVD)との関連が指摘されています。BPHは70歳以上の男性の14.67%、80歳以上では実に80%近くが罹患しており、その罹患率は1990年から2019年の間で105.7%も増加しています。これに伴い、米国ではBPHに関連する医療費が2017年時点で年間40億ドルにまで膨らんでいます。
一方、CVDは世界的な死因の上位を占める疾患群であり、その予防と早期介入は医療経済的にも臨床的にも重要な課題です。近年の観察研究では、BPH患者がCHD(冠動脈疾患)、心筋梗塞(MI)、脳卒中、心不全(HF)、心房細動(AF)といったCVDを合併しやすいことが報告されてきました。しかし、こうした相関が果たして「因果」なのか、それとも単なる「交絡」に過ぎないのかは、これまで明確にはされていませんでした。
たとえば、こちら。
本稿では、その疑問に対して答えを提示する最新の研究、「双方向メンデルランダム化解析(bidirectional Mendelian Randomization, MR)」を用いた因果推論による解析結果を解説します。
メンデルランダム化解析とは何か:自然が与える無作為化試験
メンデルランダム化(MR)は、「遺伝的変異(SNP)」を自然のランダム割り付けとみなし、曝露(例:BPH)がアウトカム(例:CVD)に因果的に影響しているかを調べる方法です。交絡因子や逆因果(例:CVDがBPHを引き起こす)といった問題を回避できる利点があります。
本研究では、「BPH→CVD」の因果関係と、その逆方向である「CVD→BPH」の因果関係の両方を検討しています。解析に用いられたデータは、英国バイオバンク(UK Biobank)、HERMESコンソーシアム、FinnGenなど、信頼性の高い大規模ゲノムデータです。
研究デザインと統計手法:堅牢な多面的アプローチ
この研究では、まずBPHおよび5つのCVD(CHD、MI、脳卒中、HF、AF)に関連するゲノムワイド有意なSNP(p<5×10⁻⁸)を抽出し、曝露とアウトカムの因果関係を解析しました。主解析にはInverse Variance Weighting(IVW)法を用い、感度分析としてMR-Egger、Weighted Median、MBE(Model-Based Estimation)、MR-PRESSO、RAPS(Robust Adjusted Profile Score)、ConMix法などを組み合わせて多面的に評価を行っています。
特に、ConMix法では外れ値や多重効果(pleiotropy)の影響を除去した上での推定が可能であり、より信頼性の高い結果が得られます。
※ 補足:双方向メンデルランダム化解析(bidirectional Mendelian Randomization, MR)について
この研究で用いられた「双方向メンデルランダム化解析(bidirectional Mendelian Randomization, MR)」の方法論を補足します。
そもそもMendelian Randomization(MR)とは?
メンデルの法則 × 疫学
MRは、遺伝子(SNPなど)を「自然のランダム化試験(RCT)」のように使うことで、「Aという病気がBという病気を引き起こすのか?」という因果関係(causality)を調べる統計手法です。
なぜ遺伝子を使うの?
- 遺伝子は生まれた時に決まっており、生活習慣や環境の影響を受けにくい。
- そのため、「交絡因子(例:加齢、喫煙、生活習慣病など)」や「逆因果(例:BPHになったから生活が変わって心疾患が増えた)」の影響を排除できるという強みがあります。
この研究でのMRの具体的な使い方
目的:BPHと心血管疾患(CVD)の因果関係を調べる
→ 「BPHがCVDを引き起こすのか?」
→ 「逆にCVDがBPHを引き起こすのか?」
この両方向を検証しています(これが「双方向」MR)。
ステップごとの流れ
① Exposure(曝露)としてのBPHに関連する遺伝子(SNP)を探す
- 英国バイオバンクなどの大規模GWASデータから、
- 「BPHと強く関係している遺伝子」を見つける(p < 5×10⁻⁸などの統計的有意性)。
② Outcome(結果)としてのCVDに関連するデータと突き合わせる
- BPHに関連するSNPを持つ人が、CVDを起こしやすいのか?を統計的に分析。
- このとき、BPH→CVDの方向で解析(これが「正方向のMR」)。
③ 逆方向のMRも行う(CVD→BPH)
- 今度はCVDに関連するSNPを使って、
- 「CVDの遺伝的リスクがある人はBPHを起こしやすいか?」を分析。
使用された分析手法(感度解析)
- IVW(Inverse Variance Weighting)
→ 最も基本的な方法で、複数のSNPを加重平均して効果を推定。 - MR-Egger
→ 「SNPが複数のルートでCVDに影響してるのでは?」という**水平多重効果(pleiotropy)**を検出。 - Weighted Median
→ 半分以上のSNPが正しい仮定を満たしていれば、安定した推定ができる手法。 - MR-PRESSO
→ 外れ値を検出・除去して再解析。頑健性をチェック。 - RAPS(Robust Adjusted Profile Score)
→ ノイズの多いデータにも耐えうるような強固な手法。 - ConMix(Contaminated Mixture)
→ 外れたSNPを識別し、因果効果を再推定するモデルベース手法。
結果:BPHはCHDとMIのリスクを高め、脳卒中のリスクを下げる
MR解析の結果、BPHに関連する遺伝子変異を持つ人は、CHDおよびMIのリスクが有意に高いことが示されました。具体的には、CHDに対してはConMix OR=1.152(95%CI: 1.011–1.235, p=0.035)、MIに対してはConMix OR=1.107(95%CI: 1.022–1.164, p=0.013)という結果でした。Weighted Median法やRAPSによる解析でも、ほぼ同様の傾向が確認されました。
一方で、脳卒中に関しては逆の因果関係が示され、BPHがむしろ脳卒中リスクを減少させる可能性があることが明らかとなりました(ConMix OR=0.872, 95%CI: 0.797–0.926, p=0.002)。
AFおよびHFについては、いずれも統計的に有意な因果関係は確認されませんでした。
また、逆方向解析では、CHDやMIなどのCVDがBPHの発症に与える因果的影響は認められず、BPHの方が先行する可能性が高いことが示唆されました。
生物学的メカニズム:アンドロゲン、内皮機能、夜間血圧
研究では、いくつかの分子メカニズムが示唆されています。
まず、BPHはアンドロゲン依存性の疾患であり、特にテストステロンが過剰な前立腺増殖に関与しています。テストステロンには心筋梗塞との因果関係も報告されており、このホルモン経路がMIリスクの増加に寄与している可能性があります。
さらに、BPH患者に高頻度にみられる勃起不全(ED)は、内皮機能障害および酸化ストレスの指標とされ、これが冠動脈疾患リスクの増加を介して関与していると考えられます。
興味深いのは、BPHによる夜間頻尿が脳卒中リスクを下げる可能性があるという点です。夜間頻尿が血圧の夜間低下(dipping)を促進し、血管平滑筋細胞の増殖を抑制することで、脳血管イベントのリスク低下に関与している可能性が指摘されています。
臨床的意義:前立腺肥大症を「循環器の窓」として捉える
この研究は、BPHが単なる排尿障害ではなく、CHDやMIのリスクマーカーである可能性を示唆しています。下部尿路症状(LUTS)を訴える中高年男性に対して、血圧、脂質プロファイル、血糖値、EDの有無などを含む包括的な心血管リスク評価を行うことが重要です。
また、睡眠習慣や夜間排尿の頻度の聴取も、脳卒中の予防戦略における新たな視点を提供します。PPS(ペントサンポリ硫酸)のように、前立腺と血管平滑筋に共通の効果をもつ薬剤の研究も進められており、BPHとCVDの両者に対する治療戦略の統合的アプローチが求められます。
新規性と意義:双方向因果性を明示した初の大規模MR研究
従来の研究は、BPHとCVDの関連を観察研究により示唆するに留まっており、因果関係の検証には至っていませんでした。本研究の新規性は、双方向のMR解析という強力な方法論により、BPHがCHDやMIを引き起こすリスク因子であること、逆にCVDがBPHを引き起こす明確な証拠はないことを初めて明示した点にあります。
Limitation:今後の研究への課題
いくつかの限界も存在します。第一に、解析対象としたCVDは5疾患に限定されており、他の疾患(例:末梢動脈疾患)との因果関係は未検証です。第二に、使用されたGWASデータは主に欧州系集団に限定されており、アジア人など他民族への一般化には注意が必要です。第三に、CVD群に女性が含まれていたことがあり、解析にわずかなバイアスを生じさせた可能性もあります。
おわりに:前立腺から見える心血管の未来
この研究はBPHとCVDの関係について新たなパラダイムを提唱しました。BPHは単なる局所的な疾患ではなく、全身的な心血管リスクと関連するシステム疾患として捉える必要があります。特に、BPHがCHDとMIの危険因子である一方、脳卒中に対しては保護的に働く可能性があるという発見は、今後の研究と臨床実践に大きな影響を与えるでしょう。
BPH患者の管理においては、泌尿器科的症状の緩和だけでなく、心血管リスクの評価と管理を統合的に行う「ホリスティックアプローチ」が重要です。また、生活習慣介入や両疾患に効果的な治療法の開発が今後の課題と言えます。
参考文献
Xiang N, Su S, Wang Z, Yang Y, Chen B, Shi R, Zheng T, Liao B, Lin Y and Huang J (2024). Exploring the causal relationship: bidirectional mendelian randomization study on benign prostatic hyperplasia and cardiovascular disease. Front. Genet. 15:1432055. https://doi.org/10.3389/fgene.2024.1432055