スタチン使用と乳がん死亡率の低下 Target Trial Emulation

がん、悪性腫瘍

序論:心血管薬ががん予後を変えるか

スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)は、心血管疾患予防の基幹薬として世界中で広く使用されています。その主たる作用は、メバロン酸経路の抑制によるコレステロール合成の低下ですが、近年この経路が腫瘍細胞の増殖・浸潤・免疫逃避などに関与することが明らかになってきました。特に乳がんでは、細胞膜コレステロールの過剰蓄積がシグナル伝達を活性化し、腫瘍の悪性化を促進することが知られています。そのため、スタチンの抗腫瘍作用が注目されてきました。

これまでの疫学研究では、スタチン使用者における乳がん再発・死亡リスクの低下が報告(例えば、Br J Cancer. 2025;133:539–554.)されていましたが、観察研究には「不死時間バイアス(immortal time bias)」などの構造的な問題が残っていました。今回のHarborgらの研究は、デンマーク全国データベースを用い、最新のターゲットトライアル・エミュレーション法(TTE;Target Trial Emulation)を採用することで、より因果的な推論に近づけたという点に新規性があります。


方法:デンマーク全土を対象にした仮想ランダム化試験

研究対象は、2000年から2021年にかけてデンマークで診断された早期乳がん(ステージI〜III)の女性66,952例です。診断前にスタチンを使用していた患者、他の悪性腫瘍の既往を持つ患者は除外されました。これにより、診断後に新たにスタチンを開始した群(4,851人、7.2%)と、開始しなかった群が比較されました。

解析には、現実の診療データを用いながら、ランダム化比較試験を模倣するターゲットトライアル・エミュレーション手法が用いられました。すなわち、全患者を仮想的に「スタチンを開始する場合」と「開始しない場合」の2つに複製し、実際にスタチンを開始した時点で非開始側のデータを打ち切る(censor)という方法です。この設計により、「スタチンを始めるまでに必ず生き延びている」という時間的バイアスを除去しました。

主要アウトカムは乳がん死亡、副次アウトカムは全死亡および心血管死亡です。共変量として、年齢、診断年、腫瘍径、リンパ節転移、ER(エストロゲン受容体)状態、治療内容(化学療法・放射線・内分泌療法)などを調整しました。追跡期間は最大10年で、死亡・移住・2022年10月5日までのいずれか早い時点で終了しました。


結果:10年で乳がん死亡を1.7%減少

平均追跡期間は9.1年、総追跡人年は60万6,000人年に達しました。
その間に9,130人が乳がんで死亡し、全死亡は19,679人でした。

10年乳がん死亡率は、

  • スタチン開始群:11.8%
  • 非開始群:13.5%

であり、絶対差1.7%(95%信頼区間 0.5–3.0)、ハザード比(HR)0.90(95%CI 0.85–0.95)と有意に低下しました。すなわち、スタチン使用者では乳がん死亡リスクが約10%低い結果です。

全死亡でもHR 0.92(95%CI 0.85–1.00)とわずかに低下傾向を示しましたが、統計的にはぎりぎり非有意でした。一方、心血管死亡に関してはHR 0.94(95%CI 0.84–1.05)で有意差を認めませんでした。

開始時期別の解析では、診断後12か月以内にスタチンを開始した群でより強い効果があり、乳がん死亡HR 0.72(95%CI 0.63–0.83)、全死亡HR 0.81(95%CI 0.73–0.89)と顕著でした。
24か月以内開始群でもHR 0.83(95%CI 0.77–0.89)と有意なリスク低下を維持していました。

サブグループ解析では、ER陽性・陰性のいずれの乳がんでも効果が一貫しており、リンパ節転移陽性群および閉経後女性でより明確な利益が見られました。10年あたり乳がん死亡を1例防ぐための治療必要人数(NNT)は59人でした。


生物学的背景:メバロン酸経路とがん細胞の代謝

スタチンの抗腫瘍作用は、単なるコレステロール低下以上の多面的なメカニズムを持つと考えられています。メバロン酸経路は、がん細胞の膜構成脂質、ステロイドホルモン、プレニル化タンパク質(RAS、RHOファミリーなど)の合成に関わり、これらが腫瘍の増殖・転移能を支えています。スタチンはこの経路を遮断することで、細胞増殖シグナルの抑制、炎症性サイトカインの減少、アポトーシス促進をもたらします。

また、エストロゲン受容体(estrogen receptor, ER)陽性乳がんでは、コレステロール代謝産物である27-ヒドロキシコレステロール(27HC)がエストロゲン様活性を示し、腫瘍増殖を促進することが知られています。スタチンにより27HC産生が減少することは、今回のER陽性群での一貫した効果を生物学的に裏付ける可能性があります。


本研究の新規性:バイアスを抑えた「現実データRCT」

本研究の最大の特徴は、ターゲットトライアル・エミュレーション(TTE;Target Trial Emulation)を用いた点にあります。従来の観察研究では、スタチン開始群が「健康意識の高い人」や「長く生存できる人」に偏りやすく、効果が過大評価される傾向がありました。本研究では、TTEにより「開始のタイミング」をそろえ、時間依存バイアスを除去しました。これは、観察データを用いたがん治療研究における方法論的進歩といえます。

また、対象数6万6千人以上・追跡9年というスケールの大きさは、実際の臨床現場におけるエビデンスの代表性を高めています。先行研究と比べ、効果の大きさ(HR 0.90)はやや控えめでしたが、より信頼性の高い推定値と考えられます。


臨床的意義と実践への示唆

乳がん診断後、心血管疾患のリスクは治療の影響もあり上昇します。スタチンはこの心血管保護に加え、今回のように乳がん死亡の低下とも関連したことから、がんサバイバーにおける二重のベネフィットをもたらす可能性があります。

特に、乳がん診断後の高脂血症管理において「がん治療中だからスタチンは後回しに」と考えがちな臨床現場では、むしろ早期からの再開・開始を検討する意義があることを示唆しています。実際、12か月以内の開始で最も顕著な効果が見られた点は、行動につながる重要な結果です。

ただし、この結果をもって「全乳がん患者にスタチンを推奨すべき」と結論することはできません。RCTでの検証が不可欠であり、現在進行中のMASTER試験(NCT04601116)がこの疑問に答えることになります。


限界と今後の展望

本研究の限界は、第一にスタチン服薬の継続状況(アドヒアランス)を正確に把握していない点です。処方記録から使用を定義しているため、実際に服用していたかどうかは確認できません。
第二に、生活習慣因子(BMI、運動、食事など)の情報が欠如しており、残余交絡の可能性があります。
第三に、競合リスク(他疾患死)を完全には補正できず、観察研究の限界を超えるものではありません。

それでも、この大規模で方法論的に精緻な研究は、乳がん治療後の長期管理におけるスタチンの意義を再評価する上で重要な一歩です。


結語

Harborgらの研究は、スタチンが乳がん診断後の生存率に及ぼす影響を、最も現実に近い形で明らかにした解析です。乳がん死亡リスクを約10%低下させるという結果は、決して劇的ではありませんが、低コストで安全性が高い薬剤であることを考えれば、臨床的価値は小さくありません。

この研究は、がんと生活習慣病という二つの疾患領域をつなぐ「橋渡しのエビデンス」であり、がんサバイバーの包括的管理に新たな視点を与えています。

参考文献

・Harborg S, Pedersen L, Sørensen HT, Ahern TP, Cronin-Fenton D, Borgquist S.
Postdiagnosis Statin Use and Breast Cancer Mortality.
JAMA Network Open. 2025;8(10):e2538737. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.38737

・Scott OW, Tin Tin S, Cavadino A, Elwood JM. Statin use and breast cancer-specific mortality and recurrence: a systematic review and meta-analysis including the role of immortal time bias and tumour characteristics. Br J Cancer. 2025;133:539–554. doi:10.1038/s41416-025-03070-w

参考

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