研究の背景と意義
「性的活動は心臓に悪いのではないか?」――この問いは、高齢化社会の中でますます重要性を増しています。とくに、既往に心疾患を抱える患者にとって、性的活動がどの程度の心血管負荷をもたらすのかを定量的に評価することは、安全な性生活を導くための重要な情報となります。本研究(Palmeriら, 2007)は、日常的な性的活動がどれほどの運動負荷に相当するのかを、ブルースプロトコルに基づくトレッドミル運動負荷試験との比較により明らかにしました。
研究方法
本研究では、40〜75歳の性行為可能な男女32名(男性19名、平均年齢55±8歳、女性13名、平均年齢51±7歳)を対象に、まず最大努力のトレッドミル負荷試験を実施し、その後、自宅での通常の性行為中に心拍数(HR)と収縮期血圧(SBP)を測定しました。トレッドミル負荷は標準的なブルースプロトコルで行われ、最大努力が求められました。
一方、性行為は被験者の「日常のパートナー」(6ヶ月以上関係にあるパートナー)との通常のセッションであり、非侵襲的な携帯型モニターを装着して行われました。心拍は5秒ごとの連続記録、血圧は6分ごとの自動記録に加え、性行為の開始前および男性のオーガズム直後に手動で記録されました。
測定技術には以下の工夫が見られます:
- 心拍数計測:Polar S610(胸部に装着する無線式心拍モニター)
- 血圧計測:SpaceLabs Medical 90217(6分間隔の自動記録と手動トリガー機能付き)
- データ記録:男性の射精前約10分から射精後約16分まで継続
主要な結果:性活動の心臓負荷は予想以上に穏やか
研究結果から、性活動による心臓への負荷は一般的な認識よりも穏やかであることが明らかになりました。性活動と運動(最大努力のトレッドミル負荷試験)の比較は以下の通りです。
持続時間の比較
- 男性:性活動32分38秒±17分24秒 vs 運動11分28秒±3分12秒
- 女性:性活動30分51秒±19分54秒 vs 運動10分52秒±2分52秒
性活動の持続時間は運動の約3倍長かったものの、心臓への負荷は以下の通り大幅に低くなりました。
心拍数(HR)の比較
- 男性:性活動時の最大HRは運動時の72%(113±24 vs 157±22 bpm)
- 女性:性活動時の最大HRは運動時の64%(105±18 vs 164±16 bpm)
収縮期血圧(SBP)の比較
- 男性:性活動時の最大SBPは運動時の80%(152±22 vs 191±18 mmHg)
- 女性:性活動時の最大SBPは運動時の75%(136±22 vs 182±22 mmHg)
心臓仕事量(HR-BP product)の比較
- 男性:性活動時は運動時の57%(17,214±5,140 vs 29,992±5,688)
- 女性:性活動時は運動時の48%(14,565±4,387 vs 30,082±5,663)
※ 参考 二重積(DP; Double Product=HR-BP product)
二重積(DP)= 心拍数(HR,拍/分)× 収縮期血圧(SBP,mmHg)の一般的な基準として、以下のように解釈されます:
10,000以下
・安静時レベル
・心筋への負荷が極めて低い状態
10,000-20,000
・軽度~中等度の身体活動(歩行、家事など)
・当研究では性活動がこの範囲に該当
・心血管リスクの低い患者で許容可能な範囲
20,000-30,000
・高強度運動(階段昇降、ジョギングなど)
・安定した心血管疾患患者の運動上限目安
30,000以上
・極めて高い心筋酸素需要
・虚血性心疾患患者では危険域
・トレッドミル最大負荷時に観察
性活動は約5-7 METs相当
性行為中に得られたRPPを、同一参加者が行ったトレッドミル負荷試験のBruceプロトコル中の各ステージにおけるRPPと比較すると、性活動の身体的ストレスは、男性ではBruceプロトコルのステージII(約7 METs)、女性ではステージI(約5 METs)に相当することが示されました。これは軽~中程度の運動強度に相当します。
代謝当量; METs(Metabolic Equivalent for Tasks)とは身体活動の強度の単位です。 安静座位時(静かに座っている状態)を1とした時と比較して何倍のエネルギーを消費するかで、活動の強度を示します。
参考
- 平地歩行(3km/h):3 METs
- やや速歩(5.6km/h):4.3 METs
- かなり速歩(6.4km/h):5 METs
- ゆっくりジョギング:6 METs
- ジョギング:7 METs
※ 数字だけ見ると「軽いジョギング並み」と感じられますが、実際の体感とは乖離があることに注意が必要です。
- 持続時間の短さ
この研究では、性活動中の心拍数・血圧のピークは平均2-3分間のみでした。METs値は瞬間的なピーク強度を表しており、ジョギングのように持続的な負荷とは根本的に異なります。 - 断続的な負荷特性
性活動は「動きの激しい局面」と「休息的な局面」が交互に訪れます。総合的には「階段を2階分ゆっくり上がる(4.5 METs)」+「短いピーク(7 METs)」の組み合わせと考えると現実的です。
年齢と身体能力の関係
この研究では、年齢が運動能力と性活動の持続時間に影響を与えることが明らかになりました。
- 年齢が1歳増すごとに、トレッドミル運動持続時間は9秒減少(p=0.036)
- 年齢が1歳増すごとに、性活動持続時間は1分減少(p=0.024)
- トレッドミル運動の持続時間が1分長いと、性活動持続時間は2.3分長い(p=0.026)
日常的な運動能力が性的活動の持続力を予測する可能性が示唆されます。
興味深いことに、年齢は運動時の最大心拍数(1.6拍/分/年減少、p≤0.001)には影響を与えますが、性活動時の心拍数には有意な影響を与えませんでした。これは、性活動の強度が加齢に伴って自然に調節される可能性を示唆しています。
自覚的な負荷感と心臓の実際の負荷
被験者が感じた運動強度をボルグスケールで評価した結果、トレッドミル運動では平均「4.6(最大〜重度)」、性行為では「2.5〜2.7(軽度〜中等度)」と評価されました。
先記のように性行為中のRPPは 男性でBruceステージII(7 METs)相当、女性でステージI(5 METs)相当=中等度運動(moderate-intensity activity)に分類される範囲であり、本来であればボルグスケールでは「3〜5(ややきつい~強い)」程度が想定されます。
これは、実際の心拍数や血圧の上昇幅と比べて、性行為中の主観的な運動強度がやや低めに感じられていることを示しており、実際の身体的負荷に対して本人の自覚が控えめである傾向があることがうかがえます。
性行為は客観的な心血管負荷のわりに、主観的な運動強度は低く感じられる可能性があります。
臨床的インプリケーション:性行為のリスク評価と運動指導への応用
本研究は、心血管疾患患者や高齢者にとって、日常的な性行為が中等度の運動に相当するが、最大運動負荷には及ばないという事実を明示しました。このことは、「性行為は危険」という過度な不安を和らげ、医師による安全な性生活の指導を可能にします。特に、トレッドミル試験でステージII以上の運動耐容能がある人においては、性行為による急性心血管イベントのリスクは低いと考えられます。
また、「性行為の耐久性は運動耐容能と相関する」という点から、患者教育やリハビリテーションのモチベーション向上にも資する知見です。
結論
Palmeriらの研究は、性活動が心臓に与える負荷が従来の認識よりも穏やかであることを実証しました。特に中高年層において、性活動は適度な運動と同等の利益をもたらす可能性があります。この知見は、心臓リハビリテーションや高齢者の性生活に関するカウンセリングに科学的根拠を提供します。
医療従事者はこの研究結果を活用し、患者に対して性活動の安全性について根拠に基づいたアドバイスを提供できるようになります。同時に、一般の人々も、適度な性活動が心血管健康の一部となり得ることを理解し、年齢を理由に性生活を制限する必要がないことを知るべきでしょう。
おまけ
布施個人として抱いた、この研究の興味深いポイントの一つは、「性行為は客観的な心血管負荷のわりに、主観的な運動強度は低く感じられる可能性」です。
なぜ負荷のわりにキツく感じないのか?
いくつかの要因が考えられます:
- 情動・報酬系の活性化
性行為は快楽を伴う活動であり、ドーパミンやオキシトシンといった神経伝達物質が分泌され、脳の報酬系が活性化します。このため、「頑張っている」という認知よりも「気持ちよさ」「快さ」が前面に出るため、同じ生理的負荷でも主観的には楽に感じられます。 - 注意の分散
性行為中は、パートナーとのコミュニケーションや触れ合いに意識が集中しやすく、心拍数や呼吸数の上昇といった「身体からのシグナル」に対する注意が薄れることで、負荷を強く意識しにくくなります。 - 心理的安全性
実験室や病院での運動負荷試験とは異なり、自宅というリラックスした環境で、そして信頼できるパートナーとの活動は「精神的ストレスが少ない」ため、同じ負荷でもきつさを感じにくい傾向があります。
身体活動トレーニングとしての示唆
これは、運動が苦手な人が運動に取り組む場合や、心血管疾患後のリハビリにおいて、「楽に感じられる中等度負荷の活動」を処方したい場合に、性行為が良い選択肢になる可能性があることを意味します。
特に以下のような人には応用可能です:
- 「運動するとすぐ疲れる」と感じる人
- メンタルストレスが高く、運動への動機づけが低い人
- パートナーとの関係を通じて身体活動量を増やしたい人
ただし、当然ながら医師による個別評価(虚血性心疾患の重症度や運動耐容能など)を前提とするべきです。
参考文献
Palmeri ST, Kostis JB, Casazza L, Sleeper LA, Lu M, Nezgoda J, Rosen RS. Heart Rate and Blood Pressure Response in Adult Men and Women During Exercise and Sexual Activity. Am J Cardiol. 2007;100:1795-1801. doi:10.1016/j.amjcard.2007.07.040