はじめに:曖昧な不調と現代女性のこころとからだ
倦怠感、手足のしびれ、息切れ、下肢のだるさ、胃の張り、集中力低下など、明確な器質的疾患の裏付けがないにもかかわらず日常生活に支障をきたすような「原因不明の身体的訴え(unidentified complaints)」は、近年とくに若年女性において問題視されています。これらは精神症状や自律神経機能の不調とも関わり、時に「未病」や「不定愁訴」と呼ばれることもあります。
本研究(Suzukiら、2025)は、これらの未特定の不調と精神的落ち込み(うつ症状)の背景に、食生活、とくに魚介類摂取量の影響があるのではないかという仮説のもと、若年女性を対象にした横断研究を行いました。従来の研究では食習慣と不定愁訴の関連が散見されていたものの、特定の食品群や栄養素に焦点を当てた体系的な分析はほとんど行われていませんでした。
方法
対象は、18〜27歳(平均20.1歳)の日本人女子大学生86人(栄養学専攻が大半)で、2023年6月から12月にかけて調査が実施されました。使用された評価尺度は以下の3つです:
- MDCQ(Micronutrient Deficiency-Related Complaints Questionnaire):未特定の身体的不調を26項目を4段階評価し(「まったくない」=0点「ときどきある」=1点「しばしばある」=2点「いつもある」=3点)、スコア27以上で高スコア群と判定。
- BDI-II(Beck Depression Inventory-II):うつ症状を21項目、4段階(0~3点)で評価し、スコア14以上を高うつ群と定義。
- FFQg(Food Frequency Questionnaire based on Food Groups):過去1か月の食事内容をもとに、EPA・DHAなどの栄養素や食品群の摂取量を推計。
29の食品群と10の調理法に関して、過去1か月間の摂取頻度と1回あたりの摂取量を自己記入形式で回答するものです。
BMIや食事内容の評価は、国の栄養調査と比較しても整合性が取れており、信頼できるデータといえます。
結果
不調と精神的落ち込みが共存
参加者のうち、MDCQスコア27以上の「高不調群」は21人、BDI-IIスコア14以上の「高うつ群」も21人で、両者の重複が13人(61.9%)と非常に高い割合を示しました(p = 6.15×10⁻⁷)。これは、不調と精神的落ち込みがしばしば共存することを示唆しています。
魚介類摂取量の相違
特筆すべきは、魚介類摂取量の大幅な違いです。両スコアとも高い群(HC-HD群)は、低スコア群(LC-LD群)に比べて、魚介類の摂取量が4分の1以下(中央値:約54 g/日 vs 約13 g/日)でした。
さらに、魚介類に多く含まれる以下の栄養素の摂取量が有意に低下していました:
- EPA(エイコサペンタエン酸):半分以下
- DHA(ドコサヘキサエン酸):半分以下
- ビタミンD:約40%減少(中央値3.5 µg/日)
- ビタミンB12:約40%減少(中央値3.9 µg/日)
いずれも、日本人女性(18〜29歳)の推奨摂取量(AI)を下回っている、あるいはぎりぎりの水準にとどまっていました。
分子栄養学的メカニズムと精神・身体への影響
EPA・DHA
魚介類に豊富に含まれるEPAおよびDHAは、脳内のシナプス膜においてリン脂質の構成成分となり、神経伝達物質の放出や炎症制御に関与しています。特にEPAは、炎症性サイトカイン(IL-6, TNF-αなど)の抑制や、プロスタグランジン経路の調整に寄与することが知られており、精神疾患の神経免疫仮説を支持する生物学的基盤とも一致します。
ビタミンD
ビタミンDは、脳のビタミンD受容体を介して脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現を高め、抗うつ作用を示す可能性があります。また、免疫細胞や腸内環境にも影響を与えることで、身体的不調にも影響を与えると考えられます。日本の若年女性における血中25-OHビタミンDの欠乏率は70%にも達しており、特に魚介類を避ける傾向のある若年層にとって深刻な課題です。
その他の微量栄養素
さらに、HC-HD群では亜鉛・セレン・モリブデン・ナイアシン・パントテン酸の摂取も有意に少ないことが明らかになりました。特に亜鉛は、セロトニン合成酵素の活性に関与し、うつや不安との関連が報告されています。亜鉛(Zn)はとくに貝類に多く含まれています。
実践的な意義:明日から取り入れられる「魚習慣」
この研究結果は、「なんとなく体が重い」「気分がすぐれない」と感じる若年女性に対し、食生活からの介入が有効である可能性を示唆しています。とくに以下の行動が推奨されます:
- 週3〜4回の魚介類(とくに青魚)の摂取を意識すること(1食あたり50〜100gを目安)
- 加熱調理や缶詰(さば缶など)でもEPA・DHAは保持されるため、忙しい人でも取り入れやすい
- 食事で補いきれない場合には、ビタミンDやオメガ3脂肪酸のサプリメントの検討も有用(ただし医師や管理栄養士と相談のうえ)
Limitation(限界)
- 食事内容の評価はFFQgによる推定値であり、精度に限界がある(記録法に比べて定量性が劣る)。
- 対象が栄養学専攻の学生に偏っており、一般化可能性に課題がある(栄養意識が高い層である可能性)。
- 血中栄養指標を測定しておらず、実際の生体内栄養状態との乖離がある可能性がある。
- 交絡因子(収入、生活習慣、運動量など)を調整していない。
- 横断研究であるため、因果関係は証明されていない。
おわりに:食生活から心身の不調にアプローチを
本研究は、身体的不調とうつ症状の共通基盤に「魚不足」が存在する可能性を示しました。とくにEPA・DHA・ビタミンD・B12といった神経機能・免疫制御に関わる栄養素が、魚介類摂取の減少により不足している現状が明らかになりました。明確な診断名がつかない不調に悩む若年女性にとって、食生活の見直し、特に「魚を食べる習慣」は、もっとも身近で実行可能なセルフケアの一つといえるでしょう。
参考文献
Suzuki, T., Yoshizawa, Y., & Takano, S. (2025). Extent of Unidentified Complaints and Depression Is Inversely Associated with Fish and Shellfish Intake in Young Japanese Women. Nutrients, 17(7), 1252. https://doi.org/10.3390/nu17071252