はじめに
脳卒中は世界的に依然として主要な死亡・障害原因の一つであり、特に東アジア地域では高い発症率を示しています。その最大の修正可能な危険因子は高血圧であり、収縮期血圧(SBP)の管理が脳卒中予防の鍵を握ります。しかし、至適な降圧目標値については議論が続いてきました。過去の大規模臨床試験では、標準降圧(SBP <140 mmHg)と比較した強化降圧(SBP <120 mmHg)の効果は一貫していませんでした。今回紹介するESPRIT試験の二次解析は、この問いに対して重要な新しい答えを提示しています。
研究の背景と目的
疫学研究では、SBPが115 mmHgを下回るまで脳卒中リスクが直線的に減少することが示されています。しかし実際の介入試験では、強化降圧の脳卒中予防効果は明確ではありませんでした。
- SPRINT試験では、糖尿病や脳卒中既往を持たない群で、強化降圧による脳卒中抑制効果は示されませんでした。
- ACCORD試験では、糖尿病患者で41%の脳卒中リスク減少が報告されました。
- RESPECT試験では、脳卒中既往者において有意差は出ませんでした。
このように対象集団の違いとイベント数の少なさから結論は一致せず、さらなる検証が必要とされていました。ESPRIT試験は心血管リスクの高い中国人集団11,255例を対象とし、主要解析では大血管イベント全体の減少を示しました。本二次解析は、その中でも特に「脳卒中」に焦点を当てた報告です。
方法
対象は50歳以上の高血圧患者で、SBP 130–180 mmHgかつ心血管リスクを有する症例です。平均年齢は64.6歳、女性は41.3%、約27%が脳卒中既往を有していました。患者は強化群(SBP <120 mmHg)と標準群(SBP <140 mmHg)に無作為化され、中央値3.4年間追跡されました。主要評価項目は脳卒中発症であり、そのサブタイプ(虚血性、出血性)や時間依存的効果も解析されました。
結果
- 平均血圧:強化群 119.1 mmHg、標準群 134.8 mmHg。
- 脳卒中全体:強化群 262例(4.7%)、標準群 303例(5.4%)、HR 0.86(95% CI 0.73–1.02, P=0.083)。全体では有意差はありませんでした。
- 虚血性脳卒中:243例(4.3%) vs 261例(4.6%)、HR 0.93(95% CI 0.78–1.11, P=0.423)。差はなし。
- 出血性脳卒中:23例(0.4%) vs 45例(0.8%)、HR 0.51(95% CI 0.31–0.85, P=0.009)。半減という顕著な効果が示されました。
- 時間解析:初年度は差がなく、1年以降に有意なリスク低下が出現(HR 0.75, 95% CI 0.60–0.94, P=0.011)。このことから、強化降圧の効果は即時的ではなく、慢性的な血管リモデリングの結果として現れる可能性が示唆されました。
分子生物学的・病態生理学的視点
高血圧は脳血管に対し持続的な機械的ストレスを与え、動脈硬化性変化や小血管病変を進展させます。特に小動脈の壁構造は圧負荷によってリモデリングされ、硬化や脆弱化が進みます。その結果、出血性脳卒中のリスクが増加します。強化降圧はこの過程を抑制し、脳内微小血管の破綻を防ぐと考えられます。
一方、虚血性脳卒中では血流低下による懸念がありましたが、本研究では強化降圧が虚血リスクを増やす証拠は得られませんでした。これは脳血流の自己調節能が予想以上に柔軟であり、慢性的な血圧低下にも適応可能であることを示唆しています。
臨床的意義と実践的応用
脳卒中全体で有意差はありませんでしたが、イベント数は強化群で減少しており(262 vs 303件)、リスク低下の傾向が示されています。
そしてこの研究から得られる最大の臨床的示唆は、強化降圧が「出血性脳卒中の予防に特に有効」であるという点です。日本を含む東アジアでは出血性脳卒中の比率が欧米より高いことが知られており、この知見は実践的に大きな価値を持ちます。さらに、強化降圧で懸念されていた「虚血性脳卒中の増加」は認められませんでした。つまり、出血性脳卒中を抑制しつつ、虚血リスクを高めないという点で臨床的に安心材料になります。
また、効果が1年以降に出現する点は、臨床現場での患者指導に応用できます。すなわち「厳格な降圧治療はすぐには効果が見えなくても、1年以上継続することで脳卒中予防に結びつく」という説明が可能になります。患者にとっては長期的な服薬継続の動機付けとなり得ます。
新規性
本研究の新規性は以下の点にあります。
- 既存試験よりも大規模(11,255例、脳卒中イベント565件)であり、従来の「イベント数不足」の問題を克服したこと。
- 虚血性脳卒中と出血性脳卒中を分けて検討し、強化降圧の効果が出血性に特異的であることを明示したこと。
- 効果発現が1年以降に出現するという時間依存性を明確にしたこと。
Limitation
- 脳卒中解析の一部は事後的で探索的性質を持ち、確証的とは言えません。
- サブグループ解析の検出力は限定的です。
- オープンラベル試験であり、診断バイアスの可能性があります。
- 最近3か月以内の脳卒中例や高度血管狭窄例は除外されており、急性期への適応はできません。
- 中国人集団に限定されているため、他民族への外挿には慎重さが求められます。
まとめ
ESPRIT試験の二次解析は、収縮期血圧を120 mmHg未満に抑える強化降圧が、出血性脳卒中を半減させることを明確に示しました。虚血性脳卒中リスクを増加させる懸念も払拭され、むしろ安全性が確認されました。効果は1年以降に現れるため、長期的な血圧管理の重要性を再認識させる研究です。特に出血性脳卒中の比率が高い東アジアにおいて、強化降圧は実臨床で有力な戦略となり得ます。
参考文献
Li J, Lei L, Li Y, Zhang H, Yan X, Sun Y, et al; ESPRIT Collaborative Group. Effect of Intensive Blood Pressure Control on Stroke: A Prespecified Secondary Analysis of the ESPRIT Trial. J Am Coll Cardiol. 2025;86(17):1405–1417. https://doi.org/10.1016/j.jacc.2025.07.055

