はじめに
「婚活に疲れてしまった」「結婚生活がうまくいかず、ストレスで心身の不調を感じている」……現代の医療現場や心理カウンセリングのルームには、こうした「結婚にまつわる悩み」を抱えた方が後を絶ちません。あなたは今、既存の「結婚」という枠組みに自分を無理に合わせようとして、深い息苦しさを感じていませんか? もしそうだとしたら、どうかご自身を責めないでください。医学的、そして社会学・歴史学的な視点から見れば、あなたが現代の結婚に対してストレスや困難を感じるのは「ごく普通のこと」なのです。 なぜなら、私たちが当たり前だと思い込んでいる「愛し合う男女が結婚し、血の繋がった子どもを育て、一生添い遂げる」という恋愛結婚のスタイルは、日本の長い歴史の中で見れば、ごく最近になって作り上げられた「近代の幻想」に過ぎないからです。 本稿では、家族社会学の知見と、生殖補助医療やDNA鑑定といった医療技術の進歩を交えながら、結婚の形がいかに時代とともに変化してきたかを解き明かします。これを読めば、「既存のスタイルにしがみつく必要は全くない」という医学的・心理的な解放感を得られるはずです。
日本の結婚史を解剖する――「通い婚」から「嫁入り」へ
まず、日本の結婚の歴史を振り返ってみましょう。日本の婚姻史は、大きく「妻問婚(婿取式)」「嫁取婚」「寄合婚」の三つの段階に分けられます。
妻問婚(ツマドヒ);古代から平安・鎌倉時代
古代から平安・鎌倉時代に至るまで、日本で比較的多かったのは「妻問婚(つまどいこん/ツマドヒ)」でした。これは男性が女性の家に通う、あるいは住み着くという形態であり、生活の基盤は女性の側(母系)にありました。「家は女性のもの」という母系的な伝統があったのです。驚くべきことに、この時代は夫婦の結びつきは緩やかで、愛がなくなれば自然に解消される「無宣告離婚(夜離れ)」が一般的だったのです。
古代日本において「家は女性のもの」とされていた背景には、当時の社会が「母親を中心とした血縁関係」と「女性の家での子育て」を基盤とする母系社会であったことが深く関係しています。
なぜ男性ではなく女性のものだったのか、具体的な理由は以下の4点にまとめられます。
血縁の確実性(分娩という事実)が母にあったから
古代の婚姻形態は、夫が妻の家に通う「妻問婚(つまどいこん)」が主流でした。この時代、子の父親が誰であるかは不確実になりやすい一方で、誰が産んだか(分娩の事実)という母親の血縁は疑いようがなく自明でした。そのため、家族や親族のつながりは、確実な血縁関係である「母と子」を軸として(母系として)形成されるのが最も自然で合理的だったのです。
家が「子を産み育てる拠点(妻屋)」だったから
妻問婚の時代、夫はあくまで外部から通ってくる「客人(まろうど)」の立場でした。子どもは母親の家(妻屋)で生まれ、母方の親族(一族)の責任と保護のもとで育てられました。生活や育児の絶対的な基盤が女性側の家にあったため、家そのものが「女性(および母方の一族)のもの」とみなされるのは必然でした。
家財を娘に受け継がせる「女系伝領」の原則
当時の夫婦は財産を別々に所有する「夫婦別産制」であり、宅地などについて「家は女のもの」という伝統的観念がありました。家や土地は、親から娘へ、さらにその娘へという「女系伝領」によって代々受け継がれるのが原則でした。息子は成人すると他家に婿に行ってしまうため、家を継いで家を守るのは娘の役割でした。
カマドの火を共有する「母系同火」の原理
古代の家には「母カマドから娘カマドの派生として観念される」という、母系の火(カマド)を重んじる原理がありました。同じカマドの火を共有できるのは母系の血族だけであり、息子であっても成長して妻をめとれば異火系となるため、同居(同火)が禁忌とされる側面もありました。家の中心である火を女性が守り継いでいくという精神的な支柱も、「家=女性のもの」という認識を強固にしていました。
このように、古代から平安・鎌倉時代にかけては、生命を産み育てる女性の役割と、それを支える母系集団の結束が社会の基盤であったため、家や財産の所有権も自然と女性側に帰属していたと言えます。
嫁取婚(ヨメトリ);室町時代から江戸時代
その後、室町時代から江戸時代にかけて、武家社会の台頭とともに「嫁取婚(よめとりこん/ヨメトリ)」が浸透、確立します。これは家父長制のもと、女性が男性の「家」に入り、私有財産を継承する跡取りを産むための制度でした。この時期、女性は「家」の従属物とされ、当事者間の自由な恋愛は「不義」として厳しく罰せられるようになります。
武家社会の台頭とともに「嫁取婚」が確立した最大の理由は、家父長(男性)が掌握した私有財産を、自分の血を引く男児に確実に継承させる「純父系的相続」が必要になったからです。
以下の3つの要因が挙げられます。
- 財産の個人所有と「家」の成立
武家社会の発展に伴い、それまでの氏族や親族によるゆるやかな財産共有制が崩れ、家父長が土地や財産を私有・独占するようになりました。そして、その財産を代々引き継ぐための「家」という制度が成立しました。 - 確実な跡取りの確保
私有財産を自分の血を引く跡取り(男児)に確実に継承させるため、女性を夫の家に入れ、家父長の管理下に置いて子どもを産ませる手段(嫁取婚)が必須となりました。 - 女性の財産権喪失と地位低下
財産が男性に集中した結果、かつては独自の財産を持っていた女性たちが無産者(被扶養者)となり、経済的に夫に依存せざるを得なくなったことも、女性が夫の家に入る形態を決定づけました。
寄合婚(一夫一婦の個人型);明治時代以降
そして明治時代以降、近代化とともに西洋の思想が流入し、男女が平等の立場で結合する「寄合婚(一夫一婦の個人型)」の萌芽が見られるようになりました。 さらに興味深いのは、明治中期(1880年代半ば)までの日本は、普通離婚率※が3‰を超える「世界トップクラスの離婚大国」であったというデータです。私たちは「昔の日本人は一度結婚したら一生添い遂げていた」と錯覚しがちですが、それは事実ではありません。
※ 普通離婚率:「人口1,000人当たり、その年に何件の離婚が発生したか」を示しています。ちなみに現在は、1.50(2025年厚生労働省統計)で、2002年のピーク(2.3)から減少傾向にあります。世間で言われる「3組に1組」は、その年の離婚件数を婚姻件数で割った「特殊離婚率(約36.6%)」に基づいたもので、実際の離婚割合とは異なります。
古代〜平安・鎌倉時代の結婚の目的
この時代は、先記のように男性が女性の家に通う、あるいは住み着く「妻問婚(つまどいこん)」や「婿取婚(むことりこん)」が主流でした。個人の愛情が全く無かったわけではありませんが、社会制度としての結婚には、主に以下のような切実かつ戦略的な目的がありました。
集団間(氏族や部族)の同盟・関係構築
古代から平安時代にかけて、結婚は個人同士の結びつき以上に、「集団と集団の政治的・経済的な関係を築くための重要な戦略」でした。
- 平和と服従の手段: 古代の社会において、異族間で婚姻関係(性の交歓)を結ぶことは、争いを避けて和平を結び、同盟関係を築く(村づくり・国づくり)ための最も有効な道でした。
- 政略結婚: 平安貴族が天皇の后に自分の血筋の娘を送り込んで権力を握ろうとしたり、有力な家同士が結びついたりするように、他家との関係を築いて自分の集団を有利にするための手段として結婚が利用されました。
外部からの「労働力・武力」や「子ダネ」の獲得
女性の家に男性を招き入れる「婿取式」の時代には、外部から優秀な人材を自集団(妻の家)に取り込むことが大きな目的でした。
- 初期には、他集団の男性を招くことで、自集団を繁栄させるための優秀な「子ダネ」を獲得する目的がありました。
- 時代が下り荘園制社会へと移行すると、生産力の増大に伴い、男性の「労働力(あるいは武力)」が妻の家から強く求められるようになりました。有能な男性を婿として家に引き入れ、自集団の戦力や労働力として取り込むことが、婿を取る側の大きな動機だったのです。
母子の生活を安定させる「父親の割り当て」
これは日本のこの時代に限らず、人類の歴史に広く共通する目的ですが、結婚の根本的な機能の一つに「子に父を割り当てること」がありました。 女性が一人で子どもを産み育てるのは生存上のリスクが高いため、結婚という制度によって特定の男性を「父」として位置づけ、母子のためのサポート要員(保護者)として機能させる意味があったのです。
古代〜平安・鎌倉時代の結婚は政治的・社会的な戦略手段
古代〜平安・鎌倉時代の結婚は、「氏族や部族といったより大きな集団同士のネットワーク(同盟)作り」や、「外部からの優秀な人材(婿としての労働力・武力)の獲得」という、よりダイナミックで政治的・社会的な戦略手段としての目的を強く持っていました。
室町時代以降には、結婚が「ひとつの家(自営業)の財産や経営を維持し、跡継ぎを生産する」という内向きな目的に特化して行きます。
室町時代〜江戸時代の結婚:家業(生産・経営組織)を維持・拡大するための手段
前近代(室町時代から江戸時代(明治維新前まで))の結婚は、現代の私たちが考えるような「個人の愛情や幸福の追求」よりも、「家業(生産・経営組織)を維持・拡大するための手段」としての性質が強くありました。
具体的には、家庭が自営業や農業の運営を支えていた時代の結婚には、以下のような特徴がありました。
- 結婚=就職(家族従業員としての労働): 当時の家族は、農業や商売などを営むひとつの「会社組織」のようなものでした。そのため、結婚してその家に入ることは、組織の家族従業員として働き始めること(=就職)を意味しました。結婚後の生活にはパーソナルな関係性以上に「経営の論理」が強く作用し、若い嫁にとって姑は「仕事のやり方を教える上司」のような存在でした。
- 労働力の獲得と跡継ぎの生産: 結婚は、外部から新しい労働力(配偶者)を獲得し、さらに生殖を通じて将来の働き手や家の跡継ぎとなる人員を増やすための、極めて重要な経営戦略でした。
- 愛情よりも「仕事の適性」が優先される: 家族の領域と仕事の領域が一体化していたため、夫婦間のロマンティックな愛情関係よりも、組織としての生産性が重視されました。もし嫁が家業の仕事ができなかったり、上司である姑との関係が悪くて経営のパフォーマンスに支障をきたすような場合は、「配置転換」ができない小規模組織ゆえに、早々に追い出されたり(離婚)、自ら出ていかざるを得ないというシビアな環境でもありました。
このように、仕事(生産や経営)の要素が家族の内部にあった時代は、結婚はロマンティックな性愛を育む場というより、「家という生産組織を成り立たせ、労働力を確保するための合理的な結合」であったと言えます。
現代の結婚観:「愛と生殖と経済的安定をすべて一人のパートナーに求める」という過酷なミッション
私たちが現在「当たり前」とイメージしている「恋愛をして結婚し、サラリーマンの夫と専業主婦の妻が子どもを育て、一生添い遂げる」という結婚・家庭像は、日本の長い歴史の中で見ればごく最近、実質的には戦後の高度経済成長期以降に定着した「せいぜい数十年〜半世紀ちょっと」の歴史しかありません。西洋思想が流入した明治時代から数えても、約150年程度です。
現代の家族像の完成は「戦後の高度経済成長期」
現在の標準的な核家族(夫が外で稼ぎ、妻が家事・育児を担い、子どもを持つ)のスタイルが強固に定着したのは、日本では第二次世界大戦後から1980年代にかけての「前期近代」と呼ばれる時代です。
1950年代半ばからの高度経済成長期、地方の農村部から都市部へ若者が集団就職などで大量に移動しました,。都市に出て会社に就職し、毎年給与が上がる中で20代のうちに結婚した彼らは、親元を離れているため必然的に夫婦と子どもだけの「核家族」を形成しました,。 親族の援助がない新興住宅地で子育てをするため、妻は育児と家事に専念する「専業主婦」となる必要がありました。こうして「サラリーマンの夫と専業主婦の妻、2人の子ども」という、あこがれのホームドラマのような家族像が爆発的に増加し、標準化されたのです。
「恋愛結婚」の概念が入ってきたのは明治時代
「愛し合う男女が結婚する」というロマンティックな恋愛結婚の概念自体も、日本では比較的新しいものです。 江戸時代(武家社会)までは家父長制のもとでの「家と家との結びつき」であり、当事者間の自由な恋愛はむしろ「不義(道徳に反すること)」とされていました。
明治時代に入り、西洋から「一夫一婦主義」などの思想が流入し、明治20年代(約130年前)に北村透谷や島崎藤村ら若い文学者たちが「恋愛の自由」を宣言したことが、近代的な恋愛観の画期となりました,。しかし、それが「愛し合って結婚し、一生添い遂げる」という強固なモデルとして一般大衆に完全に普及したのは、やはり戦後になってからのことです。
家庭に愛と生殖が結びついた
近代化が進むと、家族から「仕事(生産や経営)」の要素が切り離され、会社などの外部組織へと移行しました。すると、家族の内部には「ロマンティック・ラブ(情熱的な性愛)」と「生殖(子どもを持つこと)」が強く結びついて入り込んできたのです。つまり、「愛し合って結婚し、その愛の結晶として子どもを産み育てる」というモデルが強固に標準化されました。 さらに、男性が外で稼ぎ、女性が家事や育児を担う「性別分業体制」がこのモデルを補強しました。
前近代までの家族が「自営業や農業を営むひとつの生産・経営組織」であり、結婚が「労働力の確保や跡継ぎの生産」であった長い時代,から比べると、現代の「愛情で結ばれ、仕事は外部の会社で行い、家庭内は消費と休息の場となる核家族」という形は、歴史全体から見ればごく特殊で一過性のスタイルに過ぎません。
私たちが無意識に「絶対的な基準」として縛られている家庭像は、たかだか数十年〜100年ほど前に作られたものです。
強い心理的ストレスや疎外感を生みだす
この強力な「標準家族」の世界観は、そこから外れる人々(離婚・再婚家庭、同性愛者、子どものいない夫婦など)を周縁化し、強い心理的ストレスや疎外感を与えることになったのです。 現代人の多くは、この「愛と生殖と経済的安定をすべて一人のパートナーに求める」という過酷なミッションを自分に課しています。しかし、これらすべてを一生涯、一人の相手と満たし続けることは至難の業であり、それが達成できないときに生じる深い葛藤が、私たちのメンタルヘルスを蝕む原因となっているのです。
社会環境が変われば家族の形が変わるのも当然であり、古い標準モデルに無理に当てはめようとしてストレスを感じる必要は全くないと言えます。
医療技術が切り拓く「新しい家族」の形――DNA鑑定と生殖補助医療がもたらす解放
ここで、最新の医療技術が結婚観に与えた絶大なインパクトについて触れておきましょう。 古来、結婚の最大の社会的な機能の一つは「父子関係の確定(嫡出推定)」でした。誰が父親かを明確にし、母子の生活を保護し、財産を継承させるために、女性の性を管理する「結婚」という枠組みが必要だったのです。
しかし現代では、DNA鑑定という医療技術の普及により、生物学的な父子関係は科学的にいとも簡単に証明できるようになりました。これにより、父子関係を推定するための制度としての結婚の絶対的な意義は大きく低下しました。
さらに、体外受精や人工授精、卵子凍結、代理懐胎といった「生殖補助技術(ART)」の目覚ましい進歩は、家族の形を根底から変えつつあります。これらの技術により、「遺伝的な母」「産みの母」「育ての母」がそれぞれ別々の人物になるなど、親の形が複数化・複雑化しています。同性カップルが子どもを持つことも、医療技術の介入によって現実のものとなりました。
生殖補助医療の発展は、「結婚・性愛・生殖」という近代家族の三位一体の呪縛を解き放ちました。血縁関係だけに固執しない、多様なアタッチメント(愛着・ケア関係)の構築が、医学的・心理学的な観点からも子どもの健全な発育に有効であることが示唆されています。結婚という制度に頼らなくても、私たちは医療技術と社会のサポートによって、多様な家族を形成できる時代を生きているのです。
結婚は人生の「外枠」から「オプション」へ――内部化する共同性
こうした歴史的変化と医療技術の発展を経て、現代(後期近代)の結婚は、私たちの人生を決定づける「外枠」ではなく、数ある選択肢の一つ、つまり「オプション(パーツ)」として私たちの人生の「内部」に組み込まれるようになりました。社会学ではこれを「内部化」と呼びます。 「不貞をしないこと」や「子どもを持つこと」は、かつては結婚を外から縛る絶対的な要件でしたが、今では当事者がケース・バイ・ケースで重視したりしなかったりする部分的な構成要素に過ぎません。そして、離婚の法的基準も、相手の明確な落ち度を責め立てる「有責離婚」から、協力的な共同生活の実態が失われた場合に離婚を認める「無責離婚」へと世界的にシフトしています。
現在では、深いコミットメントを求める「法律婚」、柔軟な共同生活を営む「事実婚」、そしてフランスのPACSに代表されるような「シビルユニオン(パートナーシップ制度)」など、自分のライフスタイルやメンタルヘルスに合わせて関係性の形を選べるようになっています。同性婚の法制化を求める動きも、この「多様な共同性を社会的に承認し、当事者の選択肢を増やす」という歴史的な必然の流れなのです。
まとめ:既存のスタイルにしがみつかなくていい!――あなたらしい「共同性」を見つけよう
私たちが無意識に縛られている「現在の恋愛結婚のスタイル」は、日本の長い歴史の中で見れば、ごく最近になって形成された一時的な形態に過ぎません。 社会環境や医療技術がこれほど劇的に進化しているのですから、結婚の形が今後も変わっていくのは当然のことです。古い「標準モデル」にしがみつき、そこに自分を無理に当てはめようとすれば、心身に多大なストレス反応が生じるのは医学的にも必然だと言えます。 もし今の結婚生活や婚活がうまくいかなくても、「仕方ない」と割り切ってください。それはあなたの人間性の問題ではなく、制度と現実のズレが引き起こしている摩擦なのです。 これからの時代に大切なのは、形としての「結婚」にこだわることではなく、あなた自身が心身ともに健やかでいられる「ケアし合える共同性」をいかに築くかです。法律婚であれ、事実婚であれ、同棲やシェアハウスであれ、あなたにとって最も心地よく、ストレスのないパートナーシップの形を自由に選び取っていきましょう。時代はすでに、あなたのその多様な選択を後押しする方向へと大きく舵を切っているのですから。
参考文献
- 鷲見等曜(1974)「平安時代の婚姻」
- 落合恵美子(2004)「歴史的に見た日本の結婚――原型か異文化か」『家族社会学研究』15巻2号, 39-51頁
- 米村千代(2011)「家族社会学における歴史的研究の展開と課題」『家族社会学研究』23巻2号, 170-181頁
- 加藤彰彦(2025)「日本の家族構造 ―変化・連続性・地域性―」『明治大学社会科学研究所紀要』63巻2号, 128-165頁
- 高群逸枝(1963)『日本婚姻史』至文堂(日本歴史新書)
- 筒井淳也(2025)『人はなぜ結婚するのか ――性愛・親子の変遷からパートナーシップまで』中公新書

