はじめに
高血圧は、心血管疾患の主要なリスク因子でありながら、無症状であることが多いため、しばしば見過ごされてしまいます。この論文では、心音を用いて高血圧を検出する新たなアプローチを探求し、非侵襲的で継続的なモニタリングの可能性を提示しています。260名の参加者からなる新しいデータセットを用いて、患者に依存しないクロスバリデーションを行い、汎用性を確保しました。本手法は、畳み込みニューラルネットワーク(Convolutional Neural Network: CNN)ベースのHidden Semi-Markov Model(HSMM)を用いて心音をセグメンテーションし、振幅、持続時間、周波数に基づく手作り特徴量を抽出します。ランダムフォレストモデルを用いて高血圧の二値分類を行い、70%の精度と72%の感度を達成しました。この研究は、心音を用いた高血圧検出の実現可能性を示し、今後の研究開発の基盤を提供しています。
背景と重要性
高血圧の世界的な問題
2019年の研究によると、過去30年間で高血圧の世界的な有病率は6億5000万人から12億8000万人に増加し、そのうち5億8000万人が自身の状態に気づかず、7億2000万人が適切な治療を受けていません。高血圧は、心血管疾患の主要なリスク因子であり、早期発見と継続的なモニタリングが重要です。
従来の血圧測定法の限界
従来の血圧測定は、臨床現場での水銀柱血圧計やデジタルモニターに依存してきました。しかし、家庭用血圧計の普及により、より頻繁で便利な測定が可能になったものの、診断された高血圧患者の約半数しか家庭での血圧モニタリングを行っていないことが報告されています。また、白衣高血圧症などの現象により、臨床現場や家庭での測定が不正確になる可能性もあります。
心音を用いた血圧モニタリングの新たな可能性
心音を用いた血圧モニタリングは、非侵襲的で継続的な測定が可能であるため、既存の方法を補完する新たなアプローチとして注目されています。高血圧は心音に影響を与え、特に第二心音(S2)の強度が増加したり、分裂したりすることが知られています。このような変化を捉えることで、高血圧を検出する可能性があります。
研究方法
データセット
本研究では、264名の参加者(男性169名、女性95名、年齢67.8±13.2歳)から心音データを収集しました。参加者のうち226名は心雑音を持ち、260名には血圧測定データが記録されています。収集された心音データは、4つの異なる胸部位置(大動脈弁、肺動脈弁、三尖弁、僧帽弁)から録音され、WAV形式で4000Hzのサンプリングレートでエクスポートされました。血圧は、Philips IntelliVue MX450患者モニターを用いて測定し、し、収縮期血圧(sBP)を基準に以下の3群に分類しました。
・境界域(120 mmHg < sBP < 140 mmHg):135名(解析の主要対象外)
・正常血圧群(sBP ≦ 120 mmHg):64名
・高血圧群(sBP ≧ 140 mmHg):61名
前処理と特徴量抽出
心音データのセグメンテーションには、CNNベースのHSMMを用いました。この手法は、音声信号から抽出された4つのエンベログラムに1次元CNNを適用し、HSMMと組み合わせて心音を主要な成分(S1、収縮期、S2、拡張期)に分割します。セグメンテーション後、振幅、持続時間、周波数に基づく特徴量を抽出しました。
- 振幅ベースの特徴量:S1とS2のピーク振幅およびその比率を含みます。高血圧患者では、動脈内の圧力上昇によりS2の振幅が増加することが期待されます。
- 持続時間ベースの特徴量:S1、S2、収縮期、拡張期の持続時間およびそれらの比率を含みます。高血圧により、心臓がより高い抵抗に対して血液を送り出すために収縮期が長くなることが予想されます。
- 周波数ベースの特徴量:S1とS2の周波数特性を含みます。高血圧により、大動脈弁の緊張が高まり、S2の高周波成分が増加する可能性があります。
各音声記録に対して、これらのパラメータを計算し、10の統計的指標(平均、標準偏差、中央値、四分位範囲、最小値、最大値、歪度、尖度、範囲、変動係数)を算出しました。これにより、各記録に対して130要素の1次元特徴ベクトルが生成されました。
実験設計
本研究では、以下の4つの実験を行いました。
- 高血圧検出:正常血圧患者と高血圧患者を用いて二値分類タスクを行いました。心音セグメンテーションベースの手作り特徴量を抽出し、伝統的な機械学習モデルの性能を評価しました。
- 特徴量重要度分析:高血圧予測に最も影響を与える特徴量を特定しました。
- 心拍数と血圧の相関研究:心拍数と血圧の相関を調べ、モデルが高血圧を検出していることを確認しました。
- 境界例の分析:前高血圧クラスの患者に対するアルゴリズムの性能を評価しました。
結果と考察
高血圧検出
ランダムフォレストモデルが最も高い性能を示し、70%の精度と72%の感度を達成しました。この結果は、従来のECGやPPGを用いた手法と比較しても十分に実用的な精度であると考えられます。
・精度(Accuracy):70.1%
・感度(Sensitivity):72.3%
・特異度(Specificity):69.6%
特に、最適な聴診部位として、僧帽弁領域(Apex)が最も高い感度(72.4%)を示しました。これは、僧帽弁が左心室の圧力変化に直接影響を受けるため、収縮期血圧(sBP)と密接に関連しているためです。
特徴量重要度分析
振幅ベースの特徴量が単独で最も高い性能を示しましたが、持続時間ベースの特徴量も重要な役割を果たしていることがわかりました。特に、収縮期と拡張期の持続時間に関する統計量が最も重要な特徴量として特定されました。
心拍数と血圧の相関
心拍数と血圧の間に統計的に有意な相関は見られませんでした。これは、モデルが心拍数の影響を受けずに高血圧を検出していることを示唆しています。
境界例の分析
前高血圧クラスの患者に対して、42%が正常血圧と分類され、残りが高血圧と分類されました。この結果は、モデルが血圧変化に関連する有意義なパターンを捉えていることを示しています。
どのように活用できる?
まだまだ先の話とは思いますが、どのような活用法があるか妄想は膨らみます。
医療現場での活用可能性
本研究の成果は、医療現場においても幅広い活用が期待されます。例えば、電子聴診器と血圧計を一体化したデバイスを開発することで、医師が診察中に心音を聴取しながらリアルタイムで血圧の推定が可能になります。これにより、従来のカフ式血圧測定を補完し、より迅速で手軽な血圧スクリーニングが実現できる可能性があります。
また、救急医療の現場では、患者搬送時に心音をリアルタイムで解析し、異常が検知された場合に即座に医療処置を判断する補助として活用することが考えられます。さらに、遠隔医療の分野では、在宅医療の患者がスマート聴診器を用いて定期的に心音を記録し、医師が遠隔で血圧の変動をモニタリングすることが可能になるかもしれません。
このように、心音と血圧の統合解析技術は、診療の効率化や患者の負担軽減に寄与する可能性があり、今後のデバイス開発が期待されます。
日常生活での活用可能性
本研究の成果は、特にスマートフォン対応のデバイスやウェアラブル端末との組み合わせによって、日常生活での活用が期待されます。例えば、スマートフォンに接続可能な電子聴診器を用いることで、家庭での心音記録が可能になります。さらに、AI解析を搭載したアプリケーションがこれらのデータを解析し、血圧の異常を検知することで、定期的なモニタリングが容易になります。
また、スマートウォッチやウェアラブル心音センサーにより、日常的な装着が可能となれば、通勤中や就寝時などのリラックスした状態での血圧測定も実現できるかもしれません。このような技術の進展により、これまで不規則だった血圧測定がより連続的かつ利便性の高いものへと変わる可能性があります。
結論と今後の展望
本研究は、心音を用いた高血圧検出の実現可能性を示しました。CNNベースのHSMMセグメンテーションと手作り特徴量を用いたランダムフォレストモデルは、70%の精度と72%の感度を達成しました。今後の研究では、回帰モデルを用いてより詳細な血圧推定を行うことや、心音にECGやPPGなどの補完的なモダリティを組み合わせることが期待されます。また、データセットの拡充により、性別のバランスを取ることで、心音ベースの血圧検出のロバスト性を強化することが重要です。
参考文献
Bondareva, E., Han, J., Szczurek, K., Szczepanek, D., Jadczyk, T., & Mascolo, C. (2023). Heart Sounds for High Blood Pressure Prediction. Journal of Medical Systems, 47(3), 1-12. doi:10.1007/s10916-023-01925-4