はじめに
アルコール依存症は世界的に治療ギャップが大きい疾患のひとつです。日本においても、アルコール依存症と診断される人々のうち専門的治療を受けているのは1割に満たず、多くは長期間にわたり未治療のまま放置されています。その背景には、入院や断酒プログラムといった従来型治療への心理的・社会的抵抗感、あるいは医療資源へのアクセス不足が存在します。こうした状況を打開するため、断酒ではなく「減酒」を治療目標とする新たな方針や、デジタル技術を活用した支援が注目を集めています。
今回紹介するSoらの研究は、スマートフォンアプリ「ALM-003」を用いたデジタル治療(Digital Therapeutics: DTx)の有効性と安全性を検証した多施設オープンラベルRCTであり、日本発の先駆的成果です。本研究は、アルコール依存症患者の治療をより柔軟かつ身近に提供できる可能性を示しました。
【参考】
https://www.sawai.co.jp/release/detail/000904.html
減酒治療補助アプリ「HAUDY(ハウディ)」を2025年9月1日に販売開始
アルコール依存症治療領域で国内初の公的医療保険適用
対象と方法
この試験には、ICD-10の診断基準でアルコール依存症と判定された278名が登録されました。ただし、重篤な離脱症状や致死的臓器障害、深刻な社会的問題を伴う重症例は除外され、比較的軽症から中等症の依存症群が対象となりました。離脱症状はCIWA-Arスコアで評価され、いずれも10未満で軽度にとどまっていました。
飲酒量は、男性で1日60g超、女性で40g超という「高リスク」あるいは「非常に高リスク」飲酒者に限定されました。さらに、スクリーニング4週間において6日以上のHeavy Drinking Days(HDD: 男性>60g、女性>40gの飲酒日)が存在し、かつ5日以上連続した禁酒を達成できなかった人が登録されました。つまり、飲酒の制御に困難を抱えつつも、外来治療の対象となりうる患者群です。
参加者はランダム化により、136名がALM-003群、142名が対照群に割り当てられました。両群ともに日本アルコール関連問題学会の「減酒治療マニュアル」に基づく心理社会的介入(動機づけ面接・認知行動療法・簡易介入・行動契約・家族支援などを組み合わせ、患者自身が主体的に減酒を実践できるように支援すること)を受けましたが、ALM-003群ではアプリを介して日々の飲酒記録、睡眠・気分のチェック、インタラクティブな課題、AIアシスタント「Nancy」によるフィードバックなどが提供され、医師側も患者データを踏まえた個別的支援が可能となる仕組みでした。一方の対照群は、飲酒日記アプリと冊子ベースの教育資料を利用しました。
補足:どのような人が対象なのか?詳細説明
非常に重要な点ですので、くどいですが確認しておきます。この試験で対象となったのは「ICD-10でアルコール依存症と診断される人」の中でも、比較的軽症~中等症レベルに位置づけられる患者群です。その評価は以下のように設定されています。
診断の基本枠組み
・ICD-10のアルコール依存症基準を満たすこと。
→ これで「依存症」と診断される。
ICD-10におけるアルコール依存症(Alcohol Dependence Syndrome)の診断基準は以下の通りです。国際疾病分類(ICD-10, WHO 1992)では、過去12か月間に少なくとも 3項目以上 を満たした場合に「依存症候群」と診断されます。
ICD-10 アルコール依存症診断基準(要約)
- 強い欲求・渇望
アルコールを摂取したいという強い欲望や衝動(craving)がある。 - 統制の障害
飲酒の開始・終了・量をコントロールできない。予定より多く飲んでしまう、やめられない。 - 離脱症状
飲酒を中断または減量すると、典型的な離脱症状(振戦、不眠、発汗、発作など)が出現する。あるいは、それを回避・軽減するために再飲酒する。 - 耐性の形成
同じ量では効果が減少し、酔うためにより多量を必要とする。 - 生活の中心化
飲酒やアルコールを得る行動が生活の中心となり、他の重要な活動や関心が犠牲になる。 - 使用の継続
身体的・精神的・社会的に有害な結果(肝障害、対人関係悪化、仕事上の問題など)が明らかであるにもかかわらず飲酒を続ける。
重症度の制限(軽症~中等症に絞り込む条件)
(1) 身体・精神・社会的重篤性の除外
- 入院を要するほどの依存や離脱はなし
- 深刻な社会的・家庭的な問題がない
- 致死的な臓器障害がない
- 緊急対応を要する重度離脱症状なし
➡ これにより「重症依存(入院治療を要する状態)」が除外されている。
(2) 離脱症状の評価
- CIWA-Ar(Clinical Institute Withdrawal Assessment for Alcohol-Revised)スコア < 10
→ CIWA-Arは0–67点で、- 0–9:軽度
- 10–19:中等度
- ≥20:重度
と評価されるため、本試験では「軽度以下」しか登録されない。
(3) 飲酒リスクレベルの設定
- 過去28日間の平均飲酒量が、男性 >60g/日、女性 >40g/日
→ WHO/EMA基準で「高リスク(High)」または「非常に高リスク(Very High)」群に該当。
(4) 禁酒困難性の確認
- スクリーニング4週間で
- Heavy Drinking Days(HDD)※ ≥6日
- 5日以上連続した禁酒日を達成できていない
➡ 「飲酒コントロール困難」という依存的特徴を確認。
※ Heavy Drinking Days(HDD)とは、「過剰飲酒をした日数」を指す評価指標で、国際的に用いられている定義は以下の通りです。
・男性:1日に 60 g以上の純アルコール を摂取した日
・女性:1日に 40 g以上の純アルコール を摂取した日
実際の患者像(ベースライン特性)
- 平均HDDは23日/28日とかなり多い(ほぼ毎日重度飲酒)。
- しかしCIWA-Arは<10で、深刻な離脱症状はなし。
- 致命的臓器障害や重度社会問題もない。
➡ つまり、「依存症ではあるが、重症離脱や深刻な臓器障害はなく、外来で減酒治療を試みられるレベル」の患者が対象。
補足のまとめ:この研究の対象者とは
この試験の「比較的軽症から中等症の依存症群」とは、
- ICD-10で依存症に該当する
- 高~非常に高リスクの飲酒量を持つ
- ただし 離脱症状は軽度(CIWA-Ar <10)
- 入院や救急対応が不要で、社会的問題も深刻でない
という条件で評価されています。
結果
主要評価項目は「28日間におけるHDDの変化」であり、結果は以下の通りです。
- ベースラインのHDDは両群とも約23日/28日。
- 12週時点のHDD減少は、介入群 −12.2日、対照群 −9.5日。
- 両群差は −2.79日/28日(95% CI: −4.67〜−0.90, P=0.004) と有意。
さらに24週時点では、介入群 −14.1日、対照群 −12.6日となり、差は縮小したものの依然として介入群が良好でした。
飲酒量全体(TAC: Total Alcohol Consumption)も12週時点で介入群が有意に多く減少していました(−39.4 g/日 vs −33.3 g/日, 差 −6.1 g/日, P=0.02)。また、HDDが4日以下に抑制された割合は12週で介入群39.8%、対照群18.1%と大きな開きが見られました。
安全性に関しては、有害事象発生率は介入群32.9%、対照群33.6%と同程度であり、アプリに直接起因する有害事象は報告されませんでした。アプリの一時的な動作不良は一部に見られましたが、健康被害は伴いませんでした。
本研究の新規性
本研究の新しさは、以下の3点に集約されます。
- 「減酒」を明確な治療目標としたデジタル介入
日本の臨床ガイドラインが示す「断酒以外の選択肢」を、RCTの形で検証した初めての研究の一つです。 - 外来で扱える比較的軽症〜中等症依存症を対象とした点
多くの依存症研究は入院や重症例を中心に行われてきましたが、実際の診療現場で遭遇する「生活に致命的な破綻はないがコントロール困難な飲酒者」を対象にした点で実践的意義があります。 - DTxとしての科学的検証
デジタル治療は心理社会的介入の補完として期待されていますが、ランダム化比較試験でHDD削減効果を明確に示したのは大きな進展です。Nalmefeneなどの薬物試験と比較しても、群間差は同等レベルでした。
実践的意義
この研究から得られる教訓は、臨床現場だけでなく個人レベルの行動変容にも応用できます。
- 日々の飲酒記録の重要性:単なる回想ではなく、毎日の記録を行うことで客観的把握が可能となり、減酒の第一歩につながります。
- フィードバックの力:医師からの指導だけでなく、アプリによる即時的なフィードバックや行動提案は、動機づけを維持する有効な手段です。
- 小さな達成の積み重ね:HDDを減らすことは、断酒が難しい患者にとって現実的かつ健康改善に直結する戦略であり、長期的には肝疾患や心血管疾患リスクの低減に寄与することが示唆されます。
患者にとっては「完全にやめられなくても意味がある」という実感を持てる点が重要であり、臨床家にとっては「断酒を強制せずに治療関与を引き出す」新しいツールになり得ます。
Limitation
本研究にはいくつかの制約も存在します。
- 対象の限定性
深刻な離脱症状や重度の身体・社会的問題を伴う患者は除外されており、重症依存症への適用可能性は不明です。 - オープンラベルデザイン
参加者・医師ともに割付を認識しており、プラセボ効果や観察者バイアスの影響を完全には排除できません。 - 長期効果の不確実性
24週で両群の差が縮小しており、実臨床での持続的効果を検証する必要があります。 - 有効成分の不明確さ
アプリにはセルフモニタリング、マインドフルネス、教育など複数要素が組み込まれており、どの要素が最も効果的かは特定できていません。 - 労力や負担の評価不足
患者や医師のワークロードの定量的測定は行われておらず、実装時の負担は未評価です。
結論
本研究は、デジタル治療「ALM-003」がアルコール依存症における減酒治療に有効かつ安全であることを示しました。外来診療に適した軽症~中等症依存症患者において、HDDを有意に減少させ、行動変容を支援する新しい選択肢となり得ます。治療のハードルを下げ、より多くの人々が適切な介入を受けられる道を開く点で臨床的・社会的意義は大きいといえます。
参考文献
So R, Nouso K, Matsushita S, Yoshiji H, Yuzuriha T, Hida E, Nishimura H, Takagi Y, Horie Y.
Efficacy and safety of a digital therapeutic for alcohol dependence: A multicenter, open‐label, randomized controlled trial.
Psychiatry and Clinical Neurosciences. 2025; doi:10.1111/pcn.13874.