EV時代の到来と科学的精査の必要性
電気自動車は、地球規模での気候変動対策と都市の大気汚染軽減という喫緊の課題に対し、内燃機関車に代わる持続可能なソリューションとして急速に普及しています。従来の排ガス(NOx、SO2、微小粒子状物質など)が引き起こす内皮機能不全や全身性炎症といった心血管リスクの低減に大きく貢献しますが、一方で、EV固有の新たな健康課題、すなわち、高電圧システムから発生する電磁界(electromagnetic field:EMF)への曝露が懸念されています。
本総説の新規性は、EVの普及が加速する現代において、これまで環境汚染物質の排出量削減という側面が強調されがちだったEVの議論に対し、車両内部で発生する電磁界に焦点を当て、特に電気信号に極めて敏感な心臓血管系への影響を、利用可能な最新の学術的エビデンスに基づいて体系的に整理した点にあります。この緻密な精査は、技術革新と公衆衛生の安全基準との調和を図る上で、非常に重要な一歩となります。
EVにおける電磁界(EMF)曝露の実態
EVにおける電磁界の発生源は、主にバッテリーパック、電動モーター、インバーター、および充電ポートといった高電流部品です。これらのEMFは、細胞のDNAを直接損傷する電離放射線ではなく、極低周波(ELF(extremely low-frequency): 1 Hz〜300 Hz)から中間周波数(IF: 300 Hz〜10 MHz)帯に分類される非電離・非熱性の電磁界です。
EMF曝露レベルに関する研究では、大多数の測定値が、国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)が定める公衆曝露の安全基準内に収まっていることが確認されています。しかし、車両タイプを比較すると、EVは内燃機関車よりも低周波EMFを一般的に高く放出することが示されています。
具体的な数値としては、Lennerzらの2018年の研究が、EV(BMW i3、日産リーフ、テスラ モデルSなど)の車内において、充電中に30.1〜116.5 µTという比較的高い磁界曝露が発生するものの、デバイス機能には影響を及ぼさなかったと報告しています。曝露強度はインバーターや電動モーターの近く、特に運転席や助手席で最も高くなりますが、距離に応じて急速に減衰する特性を持ちます。
EMF曝露の心血管系への影響メカニズム
EMF曝露が心血管系に影響を及ぼす可能性のあるメカニズムは、主に細胞レベルでの電気生理学的・生化学的プロセスに集約されます。
1. カルシウムイオンチャネルの機能不全と不整脈リスク
心筋細胞の興奮と収縮は、細胞膜を介したカルシウム(Ca2+)イオンの流入に依存しています。極低周波EMFへの曝露は、細胞膜の電気生理学的特性を変化させ、電圧依存性Ca2+チャネルの活動を乱す可能性があります。このCa2+シグナル伝達の調節不全は、心臓の電気的活動に影響を与え、心房細動や心室性不整脈といった不整脈に対する感受性を高める潜在的リスクとして理論づけられています。
実際、Fangら(2016年)による実験的研究では、短期間の極低周波パルス電磁界(ELF-PEMF)曝露後、被験者のECG信号のRMS値が平均3.72%増加し、R-R間隔にわずかな変化が見られたことが報告されています。これは、心臓の自動能と伝導系への微妙な影響を示唆しています。
2. 内皮機能不全と酸化ストレス
EMF曝露のもう一つの重要な標的は、血管の恒常性維持に不可欠な血管内皮細胞です。
- NO産生の障害: Ca2+シグナルの異常は、内皮細胞内の一酸化窒素合成酵素(eNOS)の活性化に必要なCa2+流入を阻害し、主要な血管拡張因子である一酸化窒素(NO)の産生を減少させる可能性があります。
- 酸化ストレスの亢進: 動物モデルを用いた研究では、長期的な極低周波EMF曝露が活性酸素種(ROS)の生成を増加させ、酸化ストレスを亢進させることが示されています。ROS、特にスーパーオキシドは、NOと結合してその血管拡張作用を無効化し、内皮機能不全をさらに悪化させます。
- エンドセリン-1の調節: Morimotoら(2005年)の研究では、EMFが強力な血管収縮因子であるエンドセリン-1の産生を抑制する可能性が示されましたが、この抑制効果はNO合成酵素を阻害すると消失することから、このメカニズムもNOシグナル伝達に強く依存していることが示唆されています。
これらの分子レベルでの変化は、血管拡張能力の低下、血管スティフネスの増加、そして最終的には高血圧やアテローム性動脈硬化症といった心血管疾患の病態進行に寄与する可能性があります。
心臓植込み型電子機器(CIED)への電磁干渉(electromagnetic interference;EMI)リスク評価
ペースメーカーや植込み型除細動器(ICD)といった心臓植込み型電子機器(CIED)の使用者にとって、外部からの電磁干渉(EMI)は最も深刻な懸念事項です。EMIが発生すると、デバイスが外部信号を心臓固有の活動と誤認識(オーバーセンシング)したり、心臓の活動を検出できなくなったり(アンダーセンシング)する可能性があり、不適切なペーシング抑制やショック作動といった生命を脅かす事態につながる可能性があります。
最新の臨床データが示す「低いリスク」
この総説に組み込まれた複数の臨床研究は、EV環境下でのEMIリスクが極めて低いことを示しています。
- Lennerz et al (2018年): CIED患者108名を対象とした評価では、複数のEVモデル(BMW i3、テスラ モデルSなど)の運転中および充電中に、EMIは一切検出されませんでした(発生率0%、95%信頼区間:0%〜3.4%)。
- Lennerz et al (2023年): CIED患者130名を対象に、最大350 kWの超高出力充電ステーションでの充電イベント561回を観察した結果でも、EMIの証拠は得られませんでした。リスクは患者ベースで0%〜2%、充電ベースで0%〜0.6%と非常に低く評価されています。
- Wase et al (2023年): ICD患者69名を対象に、テスラ車(モデルSおよびX)の充電中に、車両内や周辺の5つの異なる位置で評価が行われましたが、ICD機能へのEMI影響は認められませんでした。
これらの結果は、EVの設計における効果的なシールド技術が、CIEDへの干渉を大幅に抑制していることを示唆しています。既存の研究では、職業環境などの極めて強いEMF曝露下で心房リードが特にEMIを受けやすい可能性が指摘されていますが、EVという日常環境においては、そのリスクは限定的であると言えます。
研究の限界(Limitation)と課題
現在の科学的知見は安心材料を提供する一方で、この分野の研究には複数の限界が存在します。インテリジェンスの高い読者の皆様には、これらの限界を認識した上で、知見を捉えていただきたいと思います。
- 長期的な慢性曝露データ不足: 現在の知見は、主に短期間の曝露実験や限定的な臨床観察に基づいています。数十年間にわたる日常的な低レベルEMF曝露が、上記で述べた分子生物学的変化(酸化ストレス、NOシグナル障害)を介して、最終的に臨床的に有意な心血管系のアウトカム(不整脈や高血圧の発生・悪化)につながるかどうかは、依然として不確実です。
- 研究の数と対象集団の限定: 本総説に含まれたEVと心血管系に特化した関連研究はわずか5報と非常に限られています。特に、心血管疾患の既往を持つ患者や、特定の合併症を持つ脆弱な集団における臨床的エビデンスが不足しています。
- 技術革新への追従の遅れ: EV技術、特にワイヤレス充電システムやさらなる高出力充電システムの開発速度は速く、現在のガイドラインや臨床研究が新しい曝露シナリオに完全に対応できていない可能性があります。
- 個別症例報告の不足: 一般的な臨床データではリスクが低くても、特定のデバイスモデルや植込み部位の特殊性による個別リスクの把握には、症例報告(ケースレポート)の積み重ねが重要ですが、それらが依然として不足しています。
実践的提言
この学術的な検証から得られる知見は、医療専門家やハイテクに関心を持つ知識人が、患者指導や自己管理を行う上で具体的な指針となります。
- CIED使用者への個別指導の強化:
- 患者に対し、「EVの利用自体は安全性が高い」と伝える一方で、自身のCIEDモデルのEMI感受性について、担当の医療従事者や技術者に確認するよう推奨してください。
- 特に、高出力充電中(最大350 kWなど)は、念のため車両や充電器本体から必要以上の距離(例えば1メートル以上)を保つという予防原則に基づいた指導が合理的です。
- 分子生物学的リスクの意識:
- EMFが酸化ストレスや内皮機能不全という心血管疾患の共通の病態生理学的経路に影響を与える可能性は、理論上無視できません。
- このリスクは、EV以外の日常的なEMF発生源(高圧線、一部の産業機器)にも共通します。EMF曝露を完全に避けることは不可能ですが、高曝露環境での滞在時間を意識的に短縮するという行動は、他の生活習慣改善(禁煙、運動、食事)と相まって、血管保護につながる可能性があります。
- 長期的な健康管理の必要性:
- 現在のデータは即時リスクを否定しますが、慢性的な長期リスクは未確定です。EVの所有・利用期間が長くなるにつれて、血圧や心電図(特にR-R間隔)など、心血管パラメーターの定期的なモニタリングの重要性が増します。この知見は、予防医学の観点から、定期健診の意義を再認識させる材料となります。
結論
電気自動車の電磁界曝露に関する現在の包括的な検証は、即時の心血管リスクやCIEDへの大規模な電磁干渉のリスクが極めて低いことを明確に示しています。しかし、この「高電圧」がもたらす「高リスク」は、短期的な事象ではなく、分子生物学的な経路を通じた長期間の微細な蓄積という形で潜んでいる可能性があります。
今後、EVの普及率の上昇、高出力充電技術の一般化、そしてワイヤレス充電の採用が進むにつれて、科学界は、大規模で長期的な追跡研究(ロジスティカルスタディ)を緊急に展開し、慢性的なEMF曝露の心血管系への影響を定量的に評価し続ける必要があります。技術の便益を最大限に享受しつつ、公衆衛生を最大限に守るため、規制当局、メーカー、臨床医、そして消費者が協力し、この重要な知見を継続的にアップデートしていくことが求められています。
参考文献
Dewi, I. P., Anggitama, A. M., Yusrizal, T., & Dewi, K. P. (2025). High Voltage, High Stakes: Assessing Cardiovascular Effects of Electromagnetic Fields From Electric Vehicles. JACC: ASIA. doi:10.1016/j.jacasi.2025.09.012

