はじめに
ヒトの生理と行動は光の影響を強く受けています。視覚的刺激としての光に加えて、光は内分泌系や自律神経系を介して睡眠、情動、覚醒状態をも制御します。近年、特に注目されているのが「光曝露による心臓迷走神経活動(cardiac vagal activity:CVA)」の調節効果です。CVAは副交感神経トーンの代表的な指標であり、非侵襲的に心拍変動(heart rate variability:HRV)を測定することで評価可能です。本レビューは、光曝露(特に照度と色)によってHRVのうち迷走神経媒介成分(vagally-mediated HRV:vmHRV)がどのように変化するかを系統的に整理した初の試みです。
光と自律神経の生理学的接点
光の刺激は、視覚系を超えて「非視覚系経路(non-image-forming pathway)」を介し、自律神経の中枢である視交叉上核(SCN)を通じて心臓の迷走神経出力にまで影響を及ぼします。特に、網膜のipRGCs(内在性光感受性網膜神経節細胞)は、青色光(ピーク波長約480nm)に反応し、SCNを経由して視床下部の傍室核(PVN)や延髄の迷走神経背側運動核にシグナルを伝えます。これにより、副交感神経出力が調節され、心拍間変動(HRV)に反映されるのです。
本レビューでは、vmHRVの指標として、時系列領域の「RMSSD(連続拍動間隔の二乗平均平方根)」および周波数領域の「HF-HRV(高周波成分、0.15–0.4Hz)」を分析対象としています。これらはいずれも副交感神経活性を選択的に反映する指標です。
研究の概要と新規性
この系統的レビューでは、2024年6月までに公表・登録された論文24,673報から、最終的に25件(27実験)を選定しました。対象者は669名(平均年齢33.7歳、18〜84歳)で、うち20報が健常者対象、5報がうつ病や術後患者などの臨床群でした。評価された光の特徴は「照度(lux)」および「色(波長または色温度)」であり、vmHRV変化との関連性を検討しています。
このレビューの新規性は、「光の生理的影響がvmHRVを通じて自律神経機能に及ぼす影響」に特化し、しかも照度と波長という2つの光の定量的側面に着目して包括的に整理した点にあります。従来の研究は光曝露と睡眠、気分などの主観的・行動的アウトカムに焦点を当てていましたが、自律神経という客観的・生理学的マーカーへの影響を系統的に整理した本研究は、光療法の標準化に向けた重要な一歩といえます。
光の照度とvmHRVの関係
照度に関する解析では、相反する結果が報告されています。高照度(例:1200〜5000 lux)ではvmHRVが低下する傾向があり、これは交感神経の優位化を反映している可能性があります(例:Luo et al., 2022)。一方、低照度(200 lux未満)ではvmHRVが上昇する例も報告され、特に暖色系の低照度下では顕著でした(Canazei et al., 2017)。
興味深いのは、Rechlinら(1995)による繰り返し曝露の研究です。うつ病患者に14日間の高照度照射を行った結果、HF-HRVは曝露前後で有意に上昇し(0.63→1.05、p < 0.025)、さらに気分改善も同時に報告されました。このような長期照射による自律神経の適応効果は、本レビュー中で唯一の報告であり、今後の臨床応用に向けた重要な知見です。
光の色(波長)とvmHRVの関係
光の色に関しては、青色光(450〜480nm)がvmHRVを低下させる傾向が報告されています。たとえば、Sergeevaら(2023)は、不安傾向のある若年女性に青色光(765 lux、480nm)を照射したところ、初期5分間でHF-HRVが有意に低下しました(p < 0.05)。これはipRGCsの覚醒促進効果を反映していると考えられます。
一方で、赤色光(620〜780nm)や暖色系白色光(<3000K)は副交感神経活性を高める可能性が示唆されており、vmHRVの上昇が観察された例もあります(Petrowski et al., 2023)。ただし、うつや不安の傾向がある群では、赤色光でHFがむしろ低下する傾向も報告されており(Choi et al., 2011)、個人の心理状態によって反応が変わることも示唆されます。
臨床的意義と応用可能性
vmHRVは自律神経バランスの敏感なマーカーであり、うつ病、不安障害、不眠症などに共通する副交感神経低下のモニタリングに有用です。本レビューは、光という環境刺激が自律神経の回復や調整を支援する可能性を示唆しており、臨床現場での応用が期待されます。
たとえば、
- 日中の作業環境において高照度の青色光を使用し、集中力や覚醒度を向上させる。
- 就寝前やリラクゼーション時には、低照度かつ赤〜暖色系光を用いて副交感神経を優位に導く。
- うつ傾向のある人には、朝の高照度白色光照射を短期的かつ継続的に行うことで、vmHRVを改善しうる可能性がある。
このように照度と色を組み合わせた「パーソナライズド光環境設計」は、今後のライフスタイル医学やメンタルヘルスの介入に大きな可能性を持つと考えられます。
限界と今後の課題
本レビューの重要な限界は、すべての研究が高リスク・バイアスと評価された点にあります。主な問題点は、盲検化の不備、データ欠損、曝露条件の不均一性です。また、照射時間、測定タイミング、照度・波長の定義が研究間で大きく異なるため、統一的な結論を導くにはさらなる研究が必要です。
さらに、多くの研究では単回曝露のみが対象であり、Rechlinらのような長期介入の報告はきわめて少数でした。今後は、曝露期間・時間帯・個人特性(年齢、心理状態、性別)を加味した大規模なランダム化比較試験が求められます。
おわりに
光は、単なる視覚刺激ではなく、自律神経系を介して心身の恒常性維持に深く関与する環境因子です。本レビューは、光曝露がvmHRVを変化させることで自律神経機能に影響を与える可能性を初めて包括的に示しました。特に照度と波長という2つの要素が、交感・副交感神経のバランスに異なる影響を与える点は、臨床応用における設計指針としてきわめて重要です。
明日からの実践として、作業時とリラックス時の光環境を意識的に切り替えること、また睡眠衛生の一環として夜間の青色光曝露を避けるなどの工夫は、医療・健康維持に直結する行動となります。
参考文献
Martins, V., Allen, M. S., Borges, U., Laterza, P., Jacković, M., Mosley, E., Javelle, F., & Laborde, S. (2025). Effects of light exposure on vagally-mediated heart rate variability: A systematic review. Neuroscience and Biobehavioral Reviews, 176, 106241. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2025.106241