はじめに
かつてないほど清浄な冠動脈を持つことで知られるボリビア・アマゾンの先住民、チマネ族。彼らの心臓は、現代社会の誰よりも若々しいことで有名です。しかし、最新の研究が明らかにしたのは、その「清らかな血管」というイメージを覆す、脳血管における驚くべき石灰化の現実でした。本稿では、Journal of the American Heart Association(JAHA)に掲載された、脳血管老化の新たな地平を切り拓く論文を深く掘り下げます。
研究プロトコールの概要(PECO)
本研究の構造を簡潔に整理します。
・P(Population):ボリビアのアマゾン低地に居住する狩猟採集・園芸先住民であるチマネ族およびモセテン族、合計1232名(平均年齢58.5歳、40歳から80歳以上まで)。2017〜2019年。
チマネ族は、電気、きれいな水、医療サービスへのアクセスがほとんどない小さな農村に住み、焼畑農業、狩猟、漁業、野生の果物の収集など、多様な自給自足活動に従事する、採集・園芸家です。
モセテン族はチマネ族と文化的にも言語的にも類似しており、農業による自給自足の生活様式を共有しているが、市場経済や学校、きれいな水の供給、衛生設備、電気、医療などのサービスへのアクセスがチマネ族よりも優れています。
・E(Exposure):非造影頭部CTスキャンによって定量化された、脳内頸動脈( intracranial carotid arteries;ICAC)、椎骨動脈(vertebral arteries ;VAC)、および大脳基底核(basal ganglia;BGVC)の血管石灰化。
・C(Comparison):欧米の工業化社会(ロッテルダム研究などの先行研究)における年齢一致集団との比較、および先住民内での年齢、性別、集団(生活様式の違い)による比較。
・O(Outcome):脳萎縮の指標(全灰白質容積、全白質容積、平均皮質厚)、認知機能テストのスコア、およびパーキンソン症状(震え、固縮、寡動など)の臨床的評価。
蔓延する石灰化:工業化社会を凌駕する衝撃的数値
この研究で最も衝撃的なのは、脳血管石灰化の圧倒的な有病率です。心血管疾患のリスク因子が極めて低いにもかかわらず、その有病率は欧米の工業化社会を大きく上回っていました。
具体的な数値を見ると、脳内頸動脈石灰化(intracranial carotid artery vascular calcification;ICAC)は対象者の97.2%に見られ、椎骨動脈石灰化(vertebral arteries ;VAC)は71.7%、大脳基底核血管石灰化(basal ganglia;BGVC)に至っては98.4%という、ほぼ全員に近い数値を示しました。
これを欧米のロッテルダム研究(平均年齢69歳)と比較すると、ICACの82.2%、VACの21.0%という数値がいかに低いかがわかります。
また、著者らは目視による定性的な観察において、これらの石灰化の多くが、アテローム性動脈硬化で見られる点状のパターンではなく、血管の中膜に沿った環状(annular)の形態を呈していたことを報告しています。これは、いわゆる中膜型石灰化(メンケベルグ型硬化に類似した病態)が主体であることを示唆しており、現代社会で一般的な内膜型のアテローム硬化とは異なる老化プロセスが進行している可能性を浮き彫りにしています。
石灰化が脳の構造と機能に負の影響
血管の石灰化は、しばしば臨床現場で「加齢に伴う偶発的な所見」として見過ごされがちです。しかし、本研究の結果は、これらの石灰化が脳の構造と機能に直接的な負の影響を与えていることを鮮明に描き出しました。
脳の萎縮
多変量解析の結果、ICAC容積およびVAC容積の増加は、年齢や性別を調整した後でも、全灰白質容積の減少と有意に関連していました。ICAC容積に関しては、平均皮質厚の減少とも相関が認められています。領域別の解析では、中大脳動脈の供給領域である前頭頭頂部、大脳基底核、海馬の萎縮、さらには側脳室の拡大がICACと関連していました。
認知機能低下
認知機能についても、ICAC容積の増大は即時単語再生の成績低下と関連し、VAC容積の増大は遅延単語再生の成績低下、さらにBGVC容積は数字の順唱テスト(ワーキングメモリの指標)の低下と関連していました。
パーキンソン症状
さらに、ICAC容積が大きいほど震えや固縮といったパーキンソン症状が、BGVC容積が大きいほど仮面様顔貌といった症状が、それぞれ約2倍の頻度で出現していたのです。
これらは、血管石灰化が神経変性プロセスを加速させる「沈黙のトリガー」であることを物語っています。
メカニズムの考察:炎症と骨代謝のミッシングリンク
なぜ、クリーンな食生活と多大な運動量を誇る彼らの脳血管が、これほどまでに石灰化しているのでしょうか。研究チームは、従来の心血管リスク因子(CVRF)ではない「代替要因」に注目しています。
まず、血圧との相関が見られなかった点は特筆に値します。通常、高血圧は血管石灰化の主要な推進力ですが、本研究ではその寄与が認められませんでした。
慢性的な感染症と炎症
代わりに浮上したのが、慢性的な感染症と炎症の関与です。
チマネ族は生涯を通じて寄生虫や細菌などの高レベルな感染環境に身を置いており、慢性的な炎症状態にあります。この持続的な全身炎症が、中膜の平滑筋細胞を骨芽細胞様の細胞へと表現型転換させ、血管の「骨化」を促進しているという仮説です。
骨・血管軸
また、ICAC容積と胸椎の骨密度(BMD)との間に負の相関(調整後相関係数マイナス0.19)が認められたことも重要です。これは、骨からカルシウムが溶け出し、それが血管壁に沈着するという「骨・血管軸」のメカニズムが、この特殊な環境下でも作動していることを示唆しています。
複雑な動態
集団間の比較も興味深い知見を提供しています。より市場経済に近い生活を送り、精製糖や調理油の摂取量が多いモセテン族は、チマネ族よりもICACの容積が25パーセント大きく、一方でVACやBGVCの容積は小さかったのです。これは、生活習慣の変化が脳内の部位ごとに異なる影響を与える、複雑な動態を示しています。
研究の新規性と学術的意義
本研究の新規性は、工業化されていない自給自足の集団において、これほど大規模な脳血管石灰化の定量評価を行った点にあります。これまでの常識では、心血管系が健康であれば脳血管も同様に保護されていると考えられてきました。しかし本研究は、全身の動脈硬化(冠動脈など)と頭蓋内の血管老化が必ずしも並行しない、あるいは異なる生物学的パスウェイを持っていることを実証しました。
具体的には、冠動脈石灰化とICACの相関は認められたものの、その相関係数は0.19と低く、VACやBGVCに至っては冠動脈との有意な相関すら見られませんでした。これは、脳血管の老化が心臓のそれとは独立した監視対象であるべきことを示唆しており、将来的な認知症予防戦略にパラダイムシフトを迫るものです。
本研究の限界(Limitation)
結論を解釈する際には、いくつかの制約を考慮する必要があります。第一に、本研究は横断的研究であり、血管石灰化と脳萎縮の因果関係を確定させるものではありません。石灰化が萎縮を招いたのか、あるいは共通の病理プロセスが両者を同時に進行させたのかは、今後の追跡調査を待つ必要があります。
第二に、非造影CTスキャンの限界として、血管の狭窄度や潰瘍形成、軟性プラークの有無までは評価できていません。また、基底核の石灰化において、血管壁の石灰化と実質の石灰化を完全に区別することは現時点の解像度では困難です。さらに、認知症の症例数が少なかったことも、統計的な検出力を制限している可能性があります。
明日から活かせる実践的知見と行動指針
この研究が、医療知識を持つ読者の皆様に教える「明日からの行動」は何でしょうか。それは、以下の3点に集約されます。
第一に、「数値上の健康」に慢心しないことです。LDLコレステロール値が低く、血圧が正常であっても、脳の血管老化は別の論理で進行している可能性があります。特に慢性的な炎症を抱えている場合、たとえ心血管リスクが低くても脳血管の石灰化に注意を払うべきです。歯周病や慢性的な副鼻腔炎など、軽微とされがちな持続性炎症の管理が、脳の保護においてこれまで以上に重要視されるべきでしょう。
第二に、血管健康を「システム全体」としてではなく「部位別」に捉える視点を持つことです。心エコーや冠動脈CTで異常がないからといって、脳血管が健康である保証はありません。人間ドック等で頭部CTを受ける機会があれば、単に「異常なし」という報告を鵜呑みにせず、微細な石灰化の有無やその分布に注目し、それを自身の認知機能や運動機能の微細な変化と照らし合わせる習慣を持つことが賢明です。
第三に、骨代謝への意識を強めることです。血管の石灰化は、骨の健康と表裏一体です。適切なカルシウム代謝を維持することは、骨粗鬆症を防ぐだけでなく、脳血管の異所性石灰化を防ぐ防波堤となります。ビタミンK2やビタミンDといった、カルシウムを適切な場所に運ぶ栄養素の摂取や、適度な日光浴、抗重力運動の継続は、心臓だけでなく脳の「石灰化予防」という観点からも再評価されるべき行動です。
アマゾンの深奥で発見されたこの事実は、私たちが信じていた老化のルールが、環境や生活習慣の裏側にある「炎症」という伏流によって、いとも容易く書き換えられることを教えてくれています。
参考文献
Barisano, G., Bigjahan, B., Schleifer, G., Ashna, M., Mack, W. J., Sutherland, M. L., Sutherland, J. D., Chui, H. C., Law, M., Fischbach, T. J., Irimia, A., Chaudhari, N. N., Cummings, D. K., Hooper, P. L., Aronoff, J. E., Walters, E. E., Rodriguez, D. E., Gutierrez, R. Q., Cuata, J. B., Buetow, K., Finch, C. E., Gurven, M. D., Stieglitz, J., Thomas, G. S., Thompson, R. C., Trumble, B. C., Kaplan, H., & Gatz, M. (2026). High Prevalence of Cerebrovascular Calcifications and Clinical Correlates in Indigenous Bolivian Forager-Horticulturalists: A Population-Based Observational Study. Journal of the American Heart Association, 15, eJAHA/2025/043028.


