肺感染症(Pulmonary Infection, PI)は、世界的に見ても罹患率が高く、適切な早期診断と治療が重症化を防ぐ鍵となります。スマートウォッチを用いたアルゴリズムが新たな可能性を提示しています。ここでは、最新の人工知能技術とウェアラブルデバイスを組み合わせることで、肺感染症の早期スクリーニングを実現するための重要な一歩を示した論文をご紹介します。
背景
PIの主要な病原体は、細菌(肺炎球菌、マイコプラズマなど)、ウイルス(インフルエンザウイルス、SARS-CoV-2など)、真菌(アスペルギルス)、さらには寄生虫など多岐にわたります。この多様な原因を特定するには、通常、時間とコストがかかる検査が必要です。
その一方で、PIは心拍変動(HRV)、呼吸数、酸素飽和度(SpO2)などの生理学的指標に影響を及ぼします。本研究はこれらの指標と咳音の解析を組み合わせ、PIのリスクを迅速に評価する新しい方法を提示しています。
方法とアルゴリズム
対象:
87名のPI患者と408名の健康被験者を対象。
包含基準:
1. 年齢 18 歳以上、
2. コンピューター断層撮影 (CT) による肺病変の疑いの特定、
3. 患者がスマートウォッチの着用を順守していること
PI の診断基準は以下のとおりです。
1. 最近の咳、喀痰、または元の呼吸器疾患の悪化(痰の生成、胸痛、頻呼吸、呼吸困難、喘鳴、または喀血の有無は問わない)
2. 発熱
3. 肺の硬化や湿性ラ音などの身体所見
4. 末梢血白血球数が 10 × 10 9 /L 超または 4 × 10 9/ L 未満
5. 胸部 CT 画像検査で、新たな斑状浸潤、葉状または節状の硬化、すりガラス様所見、または間質性変化が認められる。 PI は、肺水腫、無気肺、肺好酸球浸潤、および肺血管炎によって引き起こされる病態生理学的変化を除外する、
上記の基準 1 または 2 を満たすものと定義されました。
データ収集:
Huawei Watch 3を用い、心拍変動、呼吸数、SpO2、体温、咳音を収集しました。このデータは、夜間の睡眠中(≥3時間)や日中の咳音収録(15秒間の咳動作を2–3回)を通じて得られました。
特徴量の抽出:
- 生理学的データ: 平均値、分散、変動係数などの統計量を抽出。
- 咳音データ: 時間領域(持続時間、強度)や周波数領域(パワースペクトル、フォルマント)を解析。
アルゴリズム:
XGBoost(eXtreme Gradient Boosting)を用いて、3種類のモデルを構築しました。
Algo-PP: 生理学的データのみ(HRV、SpO2、体温、呼吸数)。
- 感度: 37.86%
- 特異度: 98.09%
- 精度: 68.0%
Algo-CS: 咳音データのみ。
- 感度: 83.57%
- 特異度: 81.53%
- 精度: 82.6%
Algo-CSPP: 生理データと咳音を統合。
- 感度: 81.43%
- 特異度: 90.45%
- 精度: 85.9%
検証:
165名(80名のPI患者と85名の健康者)を対象に実施。結果、Algo-CSPPが最も高精度でPIのスクリーニングに有効であることが示されました。
活用シナリオ
いつ使うのか:
このアルゴリズムは、感染症の流行期(例: 冬季のインフルエンザ流行やCOVID-19の拡大時)や、体調不良を感じ始めた初期段階で特に有用です。また、手軽なモニタリングが可能なため、日常生活における健康管理ツールとしても活用できます。
どのような人が使うのか:
・高リスク群:
- 高齢者、慢性疾患(COPD、糖尿病など)を持つ人。
- 免疫抑制治療を受けている人や臓器移植後の患者。
・職業的リスクのある人:
- 医療従事者や介護職、集団生活を送る学生など。
・健康志向の一般人:
- 健康データを日常的に管理したい人や、過去に肺感染症を経験したことがある人。
・医療アクセスが限られる人:
- 遠隔地や医療機関の少ない地域に住む人。
どう使うのか:
・日常のモニタリング:
- スマートウォッチを装着し、睡眠時や日中の活動中にデータを収集。
- 専用アプリで結果を確認し、異常が検知された場合は早期に医療機関を受診。
・定期チェック:
- 慢性疾患を持つ人が定期的に使用し、悪化の兆候を早期に把握。
・感染拡大防止:
- 感染症流行期において職場や学校での健康管理ツールとして導入。
感染症の病態とパラメータ
肺感染症は、病原体の侵入による炎症反応により、さまざまな分子変化を引き起こします。具体的には、サイトカインストーム(IL-6、TNF-αなど)や酸化ストレスが血流動態や呼吸機能に影響を及ぼします。本アルゴリズムで収集されたデータ、特にHRVやSpO2は、これらの分子レベルでの変化を反映している可能性があります。
たとえば、酸素飽和度(SpO2)の低下は、肺胞におけるガス交換の障害を示し、病原体による炎症性サイトカインの放出と関連しています。同様に、HRVの低下は交感神経と副交感神経の不均衡を示し、ストレス応答や炎症性反応の指標として機能します。
実用性と限界、将来展望
実用性:
スマートウォッチによるPI検出は、以下の点で実用性が高いです:
- 低コスト: 従来の検査と比べて費用対効果が高い。
- 非侵襲的: 痛みや負担がない。
- 継続的モニタリング: 患者の日常生活の中で使用可能。
制限と課題:
- 本アルゴリズムは病原体の特定には対応していないため、臨床医によるさらなる検査が必要です。
- 咳音データは環境ノイズの影響を受けやすく、信号品質の確保が課題です。
将来展望:
- より多くのデータを収集し、モデルの精度を向上。
- 特定の病原体を識別するAIアルゴリズムの開発。
- 他の慢性疾患(COPD、喘息など)への応用。
病原体の識別に関する展望
この研究プロトコールの中で、研究者たちは現在のアルゴリズムが病原体の種類を特定するものではないことを認識しています。ただし、将来的に病原体の特定が可能になる方向性についていくつかの可能性と展望が示唆されています。
将来的に病原体特定が可能になる可能性
- 咳音解析の進化
咳音には、特定の病原体に固有の音響的特徴が含まれる可能性があります。例えば、肺結核の咳音は乾性で長引くのが特徴であり、COVID-19の咳音は湿性で断続的であることが報告されています。これらの違いをAIが学習することで、特定の病原体を特定できるアルゴリズムを構築することが可能です。 - 生理学的データとの統合
病原体によっては、特有の生理学的影響を引き起こします。例えば、ウイルス感染では炎症性サイトカインの放出が顕著であり、これがHRVやSpO2に反映される可能性があります。異なるデータソースを統合することで、病原体ごとのパターンを特定する精度が向上するでしょう。 - 機械学習モデルの進化
XGBoostのような決定木ベースのモデルに加えて、ディープラーニング技術(例: リカレントニューラルネットワークや畳み込みニューラルネットワーク)を組み合わせることで、音響特徴と生理データをより詳細に解析できる可能性があります。
そのためには
この論文では、現在のアルゴリズムが肺感染症全体のリスクをスクリーニングすることに重点を置いていますが、将来的な方向性として以下が挙げられています:
- データのさらなる収集
より大規模なデータセットを収集し、異なる病原体(細菌、ウイルス、真菌など)に関連する特徴を学習する。 - 病原体識別アルゴリズムの構築
病原体特定に特化したモデルを設計し、咳音や生理学的データのパターンを利用して病原体を区別する方法を検討する。 - 特定疾患への応用
COVID-19、肺結核、ニューモシスチス肺炎など、特定の疾患に特化したスクリーニングツールの開発も視野に入れている可能性があります。
結論
この研究は、スマートウォッチを用いたPIの早期スクリーニングが実現可能であり、特に咳音と生理学的データの統合が診断精度を向上させる鍵であることを示しました。
また、現時点では病原体の種類を特定することはできませんが、技術的にはその可能性が十分にあります。これが実現すれば、さらに高精度で包括的な感染症管理ツールとなるでしょう。
医療のデジタル化が進む中、こうした技術は予防医療や遠隔医療の新しい基盤となる可能性を秘めています。
参考文献
Chen Y, She D, Guo Y, Chen W, Li J, Li D, Xie L. Smartwatch-based algorithm for early detection of pulmonary infection: Validation and performance evaluation. Digit Health. 2024 Oct 25;10:20552076241290684. doi: 10.1177/20552076241290684. PMID: 39465220; PMCID: PMC11512465.