はじめに
近年、米国の子どもの健康状態が悪化しているという警鐘が、科学界や政策立案者から発せられています。この状況は、単一の健康指標に留まらず、複合的な要因が絡み合う複雑な問題として浮上しています。今回取り上げる論文「Trends in US Children’s Mortality, Chronic Conditions, Obesity, Functional Status, and Symptoms」(Forrestら、2025)は、この深刻な事態を包括的かつ体系的に分析した、極めて重要な研究です。本稿では、この研究が明らかにした驚くべき事実と、そこから読み取れる本質的な課題について解説します。
この研究は、米国の国民皆保険制度を持たない特殊な医療環境下における子どもの健康動向を、多角的な視点から捉えています。National Academies of Sciences, Engineering, and Medicineの2024年の報告書が「米国は、子どもと若者の健康と幸福の悪化という重大な危機に直面している」と述べるなど、すでに警鐘は鳴り響いています。今回の論文は、その危機的状況を定量的に裏付けたものと言えるでしょう。
死亡率:先進国との決定的な乖離
まず、最も衝撃的な結果の一つは、米国の小児死亡率が他の高所得国と比較して著しく高いという事実です。本研究は、経済協力開発機構(OECD)に加盟する18の高所得国(以下、OECD18)との比較を行い、その格差を浮き彫りにしています。
2007年から2022年の期間、米国における1歳未満の乳児の死亡率は、OECD18と比較して1.78倍も高かったのです(95% CI, 1.78-1.79)。さらに、1歳から19歳の年齢層では、その差はさらに広がり、死亡率は1.80倍でした(95% CI, 1.80-1.80)。特筆すべきは、2020年から2022年にかけて、この年齢層の死亡率の乖離が拡大し、米国の子どもたちはOECD18の子どもたちに比べて2倍以上死亡する可能性が高まったという点です。この16年間で、米国ではOECD18と比較して31万5795人もの過剰死亡が発生しており、これは1日あたり約54人の子どもの命が失われている計算になります。
では、この憂慮すべき格差の要因は何でしょうか。論文では、死因別の分析も行われています。
- 乳児(1歳未満)の死因:
- 早産:OECD18と比較して2.22倍の死亡率(95% CI, 2.20-2.24)。
- 乳幼児突然死症候群(SUID):2.39倍(95% CI, 2.35-2.43)。
- 先天異常:1.48倍(95% CI, 1.47-1.50)。
- 呼吸器感染症:1.69倍(95% CI, 1.62-1.76)。
特に早産とSUIDの死亡率の高さは、周産期ケアや育児環境における構造的な問題を強く示唆しています。
- 子どもと若者(1〜19歳)の死因:
- 銃器関連事件:OECD18と比較して、驚くべきことに15.34倍の死亡率(95% CI, 14.89-15.80)。
- 自動車事故:2.45倍(95% CI, 2.42-2.48)。
- 薬物使用:5.25倍(95% CI, 5.07-5.44)。
- 殺人:5.32倍(95% CI, 5.04-5.63)。
これらのデータは、米国における公衆衛生、社会政策、および安全保障の根本的な脆弱性を浮き彫りにしています。銃器関連の死亡率が極端に高いことは、米国の社会構造に深く根ざした問題であり、医療の範疇を超えた対策が不可欠であることを示しています。
慢性疾患の流行
死亡率の増加に加えて、子どもの健康状態の質そのものも低下しています。本研究は、電子カルテデータ(PEDSnet)と全国的な調査データ(National Survey of Children’s Health: NSCH)を併用し、慢性疾患の有病率の上昇を明らかにしました。
2011年から2023年にかけて、米国の子どもたちに慢性疾患を持つ割合は増加の一途をたどっています。PEDSnetのデータでは、3〜17歳の子どもにおける97の慢性疾患の有病率が39.9%から45.7%に上昇(RR, 1.15)し、一般人口の調査データでは、15の慢性疾患の有病率が25.8%から31.0%に上昇(RR, 1.20)しています。
この中で特に注目すべきは、精神神経系の疾患の劇的な増加です。PEDSnetのデータで増加率が最も大きかった8つの疾患のうち、6つが精神神経系または代謝系の疾患でした。
- 大うつ病:RR, 3.30(95% CI, 3.16-3.44)。
- 不安障害:RR, 3.06(95% CI, 3.01-3.12)。
- 自閉スペクトラム症:RR, 2.62(95% CI, 2.57-2.67)。
- 摂食障害:RR, 3.20(95% CI, 3.02-3.39)。
これらの傾向は、単なる診断基準の変化や医療アクセス機会の増加だけでは説明しきれない、より根深い問題を示唆しています。分子生物学的な視点から見ると、幼少期における慢性的なストレス曝露が、脳の発達、特に扁桃体や海馬といった情動・記憶に関わる領域の構造的・機能的変化を引き起こす可能性が指摘されています。また、社会環境の変化、例えばデジタルデバイスの普及や社会的な孤立感の増加が、神経伝達物質のバランスに影響を与え、精神疾患の感受性を高めている可能性も考えられます。
肥満、機能障害、および症状の増加
慢性疾患の増加と並行して、身体的および精神的な症状も悪化しています。
- 肥満:2〜19歳の子どもにおける肥満率は、2007-2008年の17.0%から2021-2023年には20.9%へと上昇しました(RR, 1.23)。肥満は単なる体型の問題ではなく、インスリン抵抗性、脂質代謝異常、早期発症の2型糖尿病、そして心血管疾患リスクの増加に直結する深刻な病態です。
- 思春期早発:女児の思春期早発(12歳未満での初経)の割合は、2007-2008年の9.1%から2021-2023年には14.8%へと急増しました(RR, 1.63)。これは、環境ホルモンや栄養状態の変化、特に肥満が引き起こすレプチンレベルの増加などが、視床下部-下垂体-性腺軸に影響を与えている可能性が示唆されます。
- 睡眠障害:16〜17歳の若者における「睡眠障害」の割合は、2007-2008年の7.0%から2017-2020年には12.6%に上昇(RR, 1.80)しました。慢性的な睡眠不足は、成長ホルモンの分泌異常、免疫機能の低下、認知機能や情動の制御障害に繋がることが知られています。
- 身体症状:医師によって診断された27の身体症状のうち、22が10%以上増加しました。特に、皮膚科的症状(RR, 4.84)、疼痛(RR, 3.68)、月経不順(RR, 2.99)の増加が顕著です。
- 精神症状:9〜12年生における「悲しみや絶望感」を感じる割合は、2009年の26.1%から2023年には39.7%に急増(RR, 1.51)しました。また、12〜18歳の若者における「孤独感」も、2007年の20.2%から2021年には30.8%に上昇(RR, 1.52)しています。
これらのデータは、子どもたちが肉体的にも精神的にも大きな負担を抱え、日々の生活の質(functional status)が低下していることを示しています。2018年のデータでは、活動に制限がある子どもの71.7%が、その原因を発達障害に帰していると報告されていることも見逃せません。
明日への提言
この論文は、単なる事実の提示に留まらず、私たちインテリジェンスの高い知識人に対して、明日から行動できる具体的な示唆を与えています。この深刻な状況は、個人の問題として片付けられるものではなく、社会全体で取り組むべき構造的な課題です。
- システム全体を視野に入れた「発達エコシステム」の改善への提言: 論文が示唆しているように、健康の悪化は単一の要因によるものではありません。家庭、学校、地域社会、そして国全体の政策を含む「発達エコシステム」全体が機能不全に陥っている可能性が高いです。専門家として、私たちは個々の疾患や症状に焦点を当てるだけでなく、より広範な社会的・環境的要因に目を向け、学際的なアプローチで解決策を模索する必要があります。例えば、学校のカリキュラムにメンタルヘルス教育を組み込む、安全な遊び場や健全なコミュニティ活動を支援する、といった政策提言が重要になります。
- 因果関係の解明と分子レベルでのアプローチ: 論文の限界として挙げられているように、この研究は相関関係を示しているものの、因果関係を直接的に証明しているわけではありません。しかし、その背景には分子生物学的なメカニズムが隠されている可能性が非常に高いです。例えば、慢性的なストレスがエピジェネティクス修飾を通じて遺伝子発現パターンを変化させ、将来的な疾患リスクを高める可能性が指摘されています。私たちは、基礎研究者と臨床医が連携し、社会環境の変化が子どもの細胞や遺伝子にどのような影響を与えているかを解明する研究に、積極的に関与していくべきです。
- データ活用の促進と行動変容の支援: この論文は、複数のデータソースを統合することで、全体像を明らかにすることに成功しています。私たちは、このようなデータを活用し、自らの専門分野で子どもの健康改善に貢献できる方法を考えるべきです。例えば、医師であれば、患者の診察時に単一の疾患だけでなく、精神的健康や睡眠、生活習慣に関する包括的なアセスメントを行うことをルーチン化する。政策立案者であれば、データに基づいたエビデンスベースの政策を策定する。教育関係者であれば、学校保健の向上に努める。このように、専門知識を持つ一人ひとりが、この論文の知見をそれぞれの立場で実践に活かすことが求められます。
この研究は、米国の未来を担う子どもたちの健康が危機的な状況にあることを、データという客観的な根拠をもって突きつけています。この事実は、単なる統計的な数値ではなく、一人ひとりの子どもの人生、そして国家の未来に直接関わる重大な警告です。私たちはこの警告を真摯に受け止め、専門家としての知見と責任をもって、この静かなる危機を打開するための行動を開始しなければなりません。
参考文献
Forrest CB, Koenigsberg LJ, Harvey FE, Maltenfort MG, Halfon N. Trends in US Children’s Mortality, Chronic Conditions, Obesity, Functional Status, and Symptoms. JAMA. 2025;334(6):509-516. doi:10.1001/jama.2025.9855