はじめに
がん患者における手術は、治療の中核を担う重要な選択肢です。しかし、術後の合併症リスクは、患者の健康状態や生活習慣に大きく左右されます。なかでも喫煙は、創傷治癒の遅延や感染リスクの増加、肺機能の低下など、多岐にわたる影響を及ぼすことが知られています。
これまでの研究では、喫煙と手術後の合併症リスクの関連性が指摘されてきましたが、具体的な禁煙期間と術後転帰の関係については不明瞭な点が多く残されていました。本研究は、2000年以降に発表された研究を対象に系統的レビューとメタアナリシスを行い、喫煙状況および禁煙期間ががん手術後の合併症リスクにどのように影響するのかを定量的に評価しています。
研究の概要
本研究は、Embase、CINAHL、Medline COMPLETE、Cochrane Libraryのデータベースを用い、2000年1月1日から2023年8月10日までに発表された関連論文を対象に系統的レビューを実施しました。その結果、54の研究が対象となり、うち24の研究がメタアナリシスに含まれました。対象となった患者数は39,499人にのぼり、多様ながん種および手術手技に関するデータが収集されました。
研究の主要な目的は、手術前の喫煙状況(現在喫煙、過去喫煙、禁煙期間)と術後合併症の発生率との関連を明確にすることでした。
主要な研究結果
喫煙と術後合併症のリスク
- 手術4週間以内に喫煙していた患者は、4週間以上前に禁煙していた患者に比べて術後合併症のリスクが31%高い(オッズ比(OR) 1.31, 95% CI 1.10-1.55, n=14,547)。
- 喫煙歴がない患者と比較すると、4週間以内に喫煙していた患者の術後合併症リスクは2.83倍高い(OR 2.83, 95% CI 2.06-3.88, n=9,726)。
- 2週間以内に喫煙していた患者と、2週間~3か月前に禁煙した患者の間には統計的に有意な差はみられなかった(OR 1.19, 95% CI 0.89-1.59, n=5,341)。
- 1年以上禁煙していた患者は、1年以内に喫煙していた患者よりも術後合併症リスクが13%低かった(OR 1.13, 95% CI 1.00-1.29, n=31,238)。
術後合併症の種類と発生率
本研究では、以下のような術後合併症が喫煙と関連していることが確認されました。この パーセンテージ(%) は、全54研究のうち、それぞれの合併症を報告した研究の割合 を示しています。
- 肺合併症(例:肺炎、無気肺、呼吸不全) – 41研究(75.9%)
- 心血管系合併症(例:心筋梗塞、不整脈、高血圧) – 28研究(51.9%)
- 創傷治癒遅延(例:手術創部感染、瘻孔形成) – 26研究(48.1%)
- 神経学的合併症(例:脳卒中、意識障害) – 17研究(31.5%)
- 死亡率(30日以内) – 25研究(46.3%)
合併症が生じるメカニズム
喫煙が手術後の合併症リスクを高める分子生物学的メカニズムには、以下のような要因が関与しています。
- 組織酸素供給の低下:喫煙により一酸化炭素が血中に増加し、ヘモグロビンの酸素運搬能力が低下する。
- 血管収縮と微小循環障害:ニコチンが交感神経を活性化し、血管収縮を引き起こし、創傷治癒に必要な血流が減少する。
- 免疫抑制:喫煙は免疫細胞(マクロファージや好中球)の機能を抑制し、術後感染リスクを増加させる。
- コラーゲン合成の抑制:線維芽細胞の増殖が抑制され、手術創部の組織修復が遅延する。
臨床への応用
本研究の知見から、以下の具体的な臨床応用が推奨されます。
- 術前4週間以上の禁煙指導:可能であれば手術前4週間以上の禁煙を推奨する。
- 禁煙補助療法の活用:行動療法+薬物療法(ニコチンパッチ、バレニクリンなど)を組み合わせた禁煙支援を行う。
- 禁煙成功者の術後ケアの強化:短期間の禁煙者は術後のモニタリングを強化する。
- がん患者に対する禁煙プログラムの導入:外科手術の一環として、禁煙プログラムを標準的な介入に組み込む。
研究の限界
- 観察研究が中心:介入研究が少なく、因果関係の確定には追加のRCTが必要。
- 喫煙状況の評価が自己申告:客観的指標(例:コチニン測定)が用いられた研究が少ない。
- 禁煙期間の定義の不一致:研究間で異なるカットオフ値が用いられている。
- 術前治療の影響を考慮していない:化学療法や放射線療法の影響が統計解析に反映されていない。
おわりに
がん手術を受ける患者において、禁煙は重要な術前管理の一環となります。本研究の結果は、臨床現場において禁煙指導のエビデンスを強化し、より良い手術転帰を目指すための貴重な知見を提供しています。
参考文献
Wong C, Mohamad Asfia SKB, Myles PS, et al. Smoking and Complications After Cancer Surgery: A Systematic Review and Meta-Analysis. JAMA Network Open. 2025;8(3):e250295. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.0295.