妊娠関連静脈血栓塞栓症の臨床像と転帰

女性医療

はじめに

妊娠は生理的変化によって凝固能が高まる状態であり、静脈血栓塞栓症(venous thromboembolism, VTE)のリスクが非妊娠時に比べて6〜7倍に上昇するとされています。VTEは、肺血栓塞栓症(PE)と深部静脈血栓症(DVT)を含む重大な合併症であり、欧米はもちろん、日本においても妊産婦死亡の主要因のひとつとして知られています。本稿で紹介する研究は、日本全国の急性期病院データベースを用いて、妊娠中のVTEの発症時期、治療実態、転帰を網羅的に明らかにしたものであり、現場の臨床判断に即座に応用可能な知見を豊富に提供しています。

研究の概要と方法:15年間の全国データに基づく分析

この研究は、2008年4月から2023年9月までの15年間にわたる「Medical Data Vision(MDV)」データベースを用いて、妊娠中にVTEで入院した15,470人のうち、抗凝固療法および画像診断を受けた410人の妊婦を解析対象としました。診断にはCT、肺換気血流スキャン、下肢静脈エコーが用いられ、抗凝固療法開始日がコホートのエントリーデートとされました。主要アウトカムは、6か月以内のVTE再発、出血イベント、入院中の全死亡です。

主な結果:発症の「二峰性」とPEの危険性

最も注目すべきは、VTEの発症時期が「第1三半期(14週未満)」と「第3三半期(28週以降)」にピークを持つ二峰性分布を示した点です。全体のうち、126人(30.7%)が第1三半期、236人(57.6%)が第3三半期に発症しており、PEは特に妊娠後期に集中していました。PEを含むVTEは110人(26.8%)で、残りの300人(73.2%)はDVT単独でした。発症時の妊娠週数の中央値は31週でした。

治療の実態:LMWHが使えない日本の特殊事情

抗凝固療法では、実に91.2%が未分画ヘパリン(UFH)を使用し、低分子ヘパリン(LMWH)はわずか4.4%に留まりました。日本では妊娠中VTEに対するLMWHの保険適用がないこと、また抗Xa活性の測定が困難であることがその背景にあります。これは欧米のガイドラインがLMWHを第一選択としているのと対照的です。また、抗凝固療法に代わる選択肢として、4.1%が下大静脈フィルターを留置しており、その安全性と適応について今後の検討が求められます。

予後と転帰:再発と死亡のリスクは現実的

6か月間の追跡期間中、17人(4.1%)がVTEを再発し、そのうち4人はPE、13人はDVTでした。再発は妊娠後期または産後30日以内が多く、全例でUFHが投与されていました。出血イベントは3人(0.7%)に発生し、そのうち1人が頭蓋内出血、2人が消化管出血でした。出血は全例でVTE発症から1日以内に生じており、いずれも抗凝固療法開始直後のタイミングでした。

さらに、4人(1.0%)が入院中に死亡しており、そのうち3人は帝王切開または子宮摘出を伴う手術歴がありました。死亡例の中には、BMI 41.8という高度肥満者や妊娠6週という早期の発症例も含まれており、VTEはあらゆる妊娠週数と身体条件で発症しうることが示されました。

臨床的意義と実践的示唆:早期発見と治療選択の見直しを

この研究から得られる最も実践的な知見は、「妊娠初期および後期にVTEのリスクが高まる」という事実です。第1三半期の発症は悪阻に伴う脱水やベッドレスト、第3三半期の発症は子宮による下大静脈圧迫や妊娠高血圧が誘因とされ、産科医・循環器医はその時期ごとの警戒が必要です。また、再発を防ぐためには、特に産後6週までの抗凝固療法の継続とモニタリングが重要であり、これは欧州の推奨と一致します。

一方で、出血リスクは全体として低く、安全に抗凝固療法を開始できる症例が多いことも示されました。若年で併存疾患の少ない妊婦では、出血リスクと比較して血栓再発リスクが重視されるべきです。

本研究の新規性:日本における妊娠関連VTEの全国規模解析は初

従来の日本の研究は、施設ベースの小規模な後ろ向き研究やアンケート調査が主であり、全国レベルでVTE発症時期や治療実態、転帰を包括的に明らかにした研究は存在しませんでした。本研究は、519病院における410例の詳細データを基に、日本の医療制度や診療実態を反映した現実的なエビデンスを提供している点で高く評価されます。

Limitation:データの限界とバイアスの可能性

本研究にはいくつかの限界があります。第一に、MDVデータベースは急性期病院に限定されており、診療所や慢性期病院の症例は含まれていません。第二に、診断や重症度、検査所見といった臨床的詳細はレセプトデータに含まれておらず、重症度による層別化が困難です。第三に、CTや肺スキャンを行わなかった例ではPEの過小評価が生じている可能性があり、VTE再発の一部も見逃された可能性があります。

おわりに:VTEは全妊婦に潜在するリスク、警戒と継続的治療が鍵

この研究は、妊娠に関連するVTEがどの週数でも発症しうる現実と、それに対して未分画ヘパリンが多く用いられているという日本特有の事情、さらに再発と死亡の現実的なリスクを明らかにしました。今後はLMWHの使用制限の見直しや、妊婦を対象とした安全な抗凝固療法の確立が求められます。そして何より、妊婦全体を対象とした早期のスクリーニングと個別化された管理が、VTEによる母体死亡を防ぐ鍵となるのです。

参考文献

Baba D, Yamashita Y, Fukasawa T, Takeda C, Xiong W, Horie T, Ono K. Clinical Characteristics and Outcomes of Pregnancy-Associated Venous Thromboembolism: Report From the Japanese Nationwide Hospital Administrative Database. Circ J. 2025; doi:10.1253/circj.CJ-25-0124.

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