分娩時低酸素性合併症に対するシルデナフィル投与の効果

ED

はじめに

分娩中、子宮収縮による一過性の胎盤血流低下は、胎児に低酸素性ストレスをもたらす可能性があります。特に胎盤機能が低下している妊婦では、収縮と収縮の間の再灌流が不十分となり、胎児の酸素供給が損なわれることがあります。このような低酸素性虚血性イベントは、重篤な神経学的後遺症を残す原因となるため、臨床現場では早急な対応が求められています。

このような背景から、血管拡張作用を有するPDE5阻害薬(特にシルデナフィル)が注目されてきました。PDE5阻害薬は一酸化窒素(NO)経路を介して血管拡張を促進し、子宮胎盤血流の改善に寄与すると考えられています。実際、非妊娠女性や動物モデルでは、シルデナフィルが子宮動脈・螺旋動脈の血流を増加させることが報告されており、胎児低酸素の予防的介入法として期待されてきました。

本稿では、2025年に発表された多施設共同ランダム化比較試験「iSEARCH Trial」の結果をもとに、シルデナフィルの分娩時使用が実臨床で有効か否かを検討し、既存の期待と現実の差を明らかにします。

研究デザイン 

iSEARCH試験は、オーストラリア13施設において実施された、3257名の妊婦を対象とするプラセボ対照無作為化二重盲検試験です。対象は妊娠37週以上で経膣分娩を予定する18歳以上の単胎または二絨毛膜性双胎妊婦でした。

被験者は、シルデナフィル50mgを8時間ごとに最大3回まで投与される群と、プラセボ群に割り付けられました。主要評価項目は、10項目からなる周産期合併症の複合アウトカム(死産、新生児死亡、5分後Apgarスコア<4、臍帯動脈pH<7.0、低酸素性脳症、けいれん、呼吸補助>4時間、NICU入院>48時間、持続性肺高血圧、羊水吸引症候群)であり、胎児低酸素性障害との関連が強いイベント群に焦点が当てられました。

結果 

主要複合アウトカムの発生率は、シルデナフィル群5.1%、プラセボ群5.2%と、統計的有意差は認められませんでした(相対リスク1.02、95%信頼区間0.75–1.37)。また、構成要素のいずれにおいても、シルデナフィルによる有意な改善は示されませんでした。

例えば、

  • Apgarスコア<4の発生率:0.3%(シルデナフィル) vs 0.2%(プラセボ)、RR=1.67
  • 臍帯pH<7.0:0.7% vs 0.3%、RR=2.28
  • 新生児けいれん:0.1% vs 0.1%、RR=1.87

緊急帝王切開あるいは器械分娩(胎児機能不全を主因とする)の頻度も21.1% vs 18.8%であり、有意差は認められませんでした(RR=1.12、95% CI: 0.98–1.29)。

分子生物学的機序と先行研究との対比

PDE5阻害薬は、子宮・胎盤の血管平滑筋に発現するPDE5を阻害し、NO-cGMP経路を活性化することで血管拡張を誘導します。胎児胎盤循環の改善によって、低酸素耐性の向上が期待されていました。実際、著者らが以前に行った第2相試験では、シルデナフィル群で緊急帝王切開率が有意に減少(18% vs 36.7%、RR=0.49)し、Placental Growth Factor(PlGF)の低下抑制も報告されました。

しかし今回の第3相試験では、それらの結果が再現されず、むしろ「現場レベルでの有効性の乏しさ」が浮き彫りになったといえます。

施設間のばらつきと出血リスクの懸念

興味深い点として、主要登録施設であるMater Mother’s Hospitalでは、シルデナフィル群の複合アウトカム発生率がプラセボ群より33%低下していた(1.8% vs 2.7%)一方で、他施設では逆に高い傾向が見られました(9.0% vs 8.1%)。この施設間の差異は有意ではありませんでしたが、医療資源や対応体制の違いが影響している可能性があります。

また、出血量1L以上の産後出血は、シルデナフィル群でやや高頻度に認められました(10.1% vs 7.9%、絶対差2.2%、95% CI: 0.2–4.3)。PDE5阻害による子宮平滑筋の弛緩が一因である可能性があり、安全性への留意が必要です。

Limitation(限界)

  1. 主要アウトカムの事前想定よりも発生率が低く、検出力がやや不足していた可能性があります(5.1% vs 想定7.0%)。
  2. 臍帯動脈pHの測定率が約70〜75%にとどまり、アウトカムの完全性に課題があります。
  3. 分娩誘発率が80%以上と高く、自発分娩例への外的妥当性が制限されます。
  4. 薬物動態データが得られておらず、有効血中濃度に達していたかは不明です。
  5. 低リスク妊婦が対象であり、シルデナフィルの真の効果が現れにくかった可能性も否定できません。

おわりに

本研究の結果は、「分娩時のシルデナフィル投与は、周産期アウトカムの改善にはつながらない」という明確なエビデンスを提供しています。今後は、高リスク群への選択的応用や、他の介入方法との比較、胎児低酸素のリアルタイム識別手法の確立などが課題となります。

「期待される機序があっても、エビデンスがなければ治療介入はできない」―そうした周産期医療の厳格な現実を、改めて私たちに突きつける研究といえるでしょう。

参考文献

Kumar S, Tarnow-Mordi W, Mol BW, et al; iSEARCH Investigators. Intrapartum Sildenafil to Improve Perinatal Outcomes: A Randomized Clinical Trial. JAMA. Published online June 9, 2025. doi:10.1001/jama.2025.7710

タイトルとURLをコピーしました