はじめに
医師の燃え尽き症候群(burnout)は、近年、医療界における深刻な課題の一つとなっています。米国の最新調査によれば、実に約63%の医師が燃え尽きを経験していると報告されており、これは医療の質・安全性・コストに直接的な影響を及ぼしています。医療過誤の増加、離職率の上昇、さらにはメンタルヘルスの悪化にまでつながるこの現象に対して、有効な介入方法は依然として十分に確立されていませんでした。
そのような背景のもと、今回のランダム化臨床試験(RCT)では「スマートウォッチ」という身近なデバイスを装着し、生理学的データ(睡眠、歩数、心拍数など)へアクセスすることが、医師のウェルビーイング(燃え尽き、レジリエンス、QOL、抑うつ、ストレス、眠気)に影響を与えるかを検証しました。
研究デザインと方法
本試験は、2023年6月から2024年6月にかけて、米国の2施設(Mayo Clinicとコロラド大学医学部)で実施されました。対象となったのは勤務医、研修医、フェローを含む184名で、平均年齢は37.5歳、女性が58.8%を占めていました。そのうち45.4%はレジデントまたはフェローという、キャリア初期の医師でした。
参加者は無作為に二群に分けられました。即時介入群はGarmin製のスマートウォッチを装着し、6か月間データを活用しました。対照となる遅延介入群は、6か月後に同様のデバイスを受け取りました。
評価指標は以下の通りです。
- 燃え尽き症候群:Maslach Burnout Inventory
- レジリエンス:Connor-Davidson Resilience Scale
- QOL(生活の質):単一尺度
- 抑うつ症状:PROMIS
- ストレス:Perceived Stress Scale
- 日中の眠気:Epworth Sleepiness Scale
これらは開始時、3か月、6か月、9か月、12か月のタイミングで測定されました。
参加者のスマートウォッチ介入
初期セットアップ
- Garmin製スマートウォッチを受け取りました。
- Garmin Connectアプリとクラウド型データ集約サービス(Fitabase)に接続するためのステップごとの電子マニュアルが配布されました。
定期的な情報提供
- 研究期間中、隔月でIRB承認済みニュースレターがメール配信されました。
- 内容は以下の通りです:
- スマートウォッチから得られたデータの集計統計
- データ同期のリマインダー
- デバイス機能の紹介。
装着の継続を促す工夫
- データが14日間送られていない場合、研究チームが参加者に同期を促す連絡をしました。
- 技術的な問題があれば、メールでサポートを提供しました。
- 研究後期(2024年3月〜5月)には、装着時間が70%以上の参加者に25ドルの電子ギフトカードが渡されました。
主要な結果
燃え尽き症候群
6か月時点で燃え尽き症候群を報告した割合は、介入群41.2%、対照群50.5%でした。一見すると統計的有意差は認められませんでしたが、多変量解析を行ったところ、介入群では燃え尽きのリスクが有意に低下していることが明らかになりました(オッズ比0.46、95%信頼区間0.21–0.99、P=0.046)。
レジリエンス
レジリエンススコアは介入群で31.9、対照群で29.5と有意に高く(P=0.01)、調整解析においても+1.20ポイントの改善が示されました(P=0.03)。これは小さな数値差に見えるものの、レジリエンス尺度における臨床的な改善として注目に値します。
QOLおよびその他の指標
生活の質(QOL)は6か月から12か月にかけて介入群で有意に改善し(7.1→7.5、P=0.03)、対照群の改善を上回りました。一方で、抑うつ、ストレス、眠気に関しては群間差は認められませんでした。
長期的効果
12か月の追跡では、遅延介入群も装着開始後に燃え尽き低下とレジリエンス改善を示し、即時介入群との差は縮まりました。これは介入効果が再現可能であることを意味しています。
解釈と考察
今回の結果から、スマートウォッチの装着そのものが、医師の燃え尽きを低減し、レジリエンスを高める可能性が示されました。重要なのは、研究者が具体的な行動改善プログラムを指示したわけではない点です。
参加者には、自身の心拍数、歩数、睡眠時間といった客観的データへのアクセスが与えられただけでした。つまり「自分の状態を客観的に把握できる」ことが、自己認識を高め、行動の微調整につながったと考えられます。
例えば、睡眠不足を数値として認識することが、休養の必要性を意識させる。心拍数の上昇を確認することが、ストレス軽減行動のきっかけになる。このような「可視化された自己データ」が、行動変容を自然に促したと推測されます。
臨床応用への示唆
この研究の新規性は「デバイスを装着させるだけの最小限の介入」で効果を確認できた点にあります。つまり、複雑な教育プログラムや外部指導を必要とせず、本人がデータを見て考えるという仕組みだけで、燃え尽き低減とレジリエンス向上が達成されたのです。
臨床現場の実践においては、以下のような応用が想定されます。
- 医師自身が日々の心身状態を客観データで振り返る習慣を持つこと。
- 組織として、医師にウェアラブル端末を配布し、自己管理を促進する環境を整えること。
- 医師個人がデータをきっかけに睡眠・休養・運動習慣を見直すこと。
明日から実践できることとして、まずは「睡眠や活動量を客観的に測定し、それを行動改善に活かす」という習慣を取り入れることが挙げられます。
Limitation
この研究にはいくつかの制約があります。
- 参加者はボランティアであり、若年・女性・白人の比率が高く、選択バイアスの可能性があること。
- 学術医療センター勤務医に限定されており、地域病院や一般診療所にそのまま適用できるかは不明であること。
- 盲検化が不可能であり、期待効果や社会的望ましさによるバイアスが残存すること。
- 行動変容の具体的内容(睡眠改善、運動増加など)は測定されておらず、効果のメカニズムは推測にとどまること。
- 即時介入群では12か月間継続装着したため、装着終了後の効果持続性は評価されていないこと。
結論
本研究は、スマートウォッチというシンプルな介入が、医師の燃え尽き低減とレジリエンス向上に寄与する可能性を示しました。これは「客観的データへのアクセス」が、医師の自己認識を高め、自己調整を促す強力な手段になり得ることを意味しています。
医療界における燃え尽き症候群への対策として、組織的改善と並行して、このような個人レベルのテクノロジー活用が現実的かつ即効性のある手段となることが期待されます。
参考文献
Dyrbye LN, et al. Effect of Smartwatch Use on Physician Well-being: A Randomized Clinical Trial. JAMA Network Open. 2025;8(1):e250767. doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.0767