2025年8月9日、循環器内科医として大変気になる事例、報道がありました。
病院到着20分遅れ搬送男性死亡 救急車が接触事故、愛知・小牧(共同通信)
愛知県小牧市消防本部は9日、胸の痛みを訴えた70代男性患者を搬送していた救急車が、トラックと接触事故を起こし病院への到着が約20分遅れたと発表した。男性は別の救急車で搬送されたが、急性心筋梗塞で死亡した。遅延との因果関係は調査中としている。
市消防本部によると、8日午前11時20分ごろ、同県春日井市の県道で、同市の病院に男性を搬送中、トラックを追い越す際に救急車のドアミラーとトラックの後部側面が接触した。男性は事故時は意識があったが、応援要請を受けた春日井市消防本部の救急車が現場に着いた時は心肺停止状態だった。
急性心筋梗塞(STEMI)の病態と早期再灌流
このケースの患者はST上昇型心筋梗塞(STEMI)による胸痛だった可能性が高いです。
急性心筋梗塞は、心臓の冠動脈が閉塞し、心筋への血流が途絶えることで心筋が壊死する疾患です。特にST上昇型心筋梗塞(STEMI)は、冠動脈の完全閉塞を示すことが多く、緊急性が非常に高い病態です。心筋は虚血に弱く、血流が再開されない時間が長引くほど、心筋のダメージは不可逆的なものとなり、心臓のポンプ機能の低下や致死性不整脈のリスクが高まります。
このため、STEMIの治療目標は「閉塞した冠動脈をできるだけ早く再開通させ、心筋への血流を回復させること」、すなわち早期再灌流療法です。再灌流療法には、カテーテルを用いて閉塞部を広げる経皮的冠動脈インターベンション(PCI)と、血栓を溶かす薬を投与する血栓溶解療法があります。現在、多くの施設ではPCIが第一選択とされています。
「20分遅れ」が与える影響は?
搬送途中の接触事故により到着が約20分遅延、その後に心肺停止、到着後に急性心筋梗塞〈AMI〉死亡という経過を念頭に、ST上昇型心筋梗塞(STEMI)の「早期再灌流」の意義、Door-to-Balloon(D2B)やFirst-Medical-Contact(FMC)関連指標、そして“20分遅れ”が臨床アウトカムに与えうる影響を解説します。
STEMI治療の核心は「総虚血時間の短縮」
- STEMIでは閉塞冠動脈の再灌流(最優先は一次PCI)を1分でも早く行うことが生存率と心筋梗塞サイズを左右します。primary PCI症例で、治療遅延は独立して死亡率上昇と関連します。De Lucaらは一次PCIにおいて1分の遅れごとに1年死亡が増えることを示しました。( Circulation. 2004 Mar 16;109(10):1223-5. )
- 「系統遅延(救急要請→病院到着→カテ室入室→デバイス到達までの全工程の遅れ)」も死亡と関連。1時間のシステム遅延ごとに死亡リスクが上がることがJAMAの多施設研究で示されています。(JAMA. 2010 Aug 18;304(7):763-71.)
搬送途中の20分遅延は、トータルの虚血時間を確実に延長します。単独の症例で因果を断定はできないものの、群データでは「遅れが死亡増加と関連」する方向性が一貫しています。
主要タイム指標(ガイドラインの目標)
- Door-to-Balloon(D2B):病院到着(ドア)からカテ室でワイヤ/バルーンが病変通過・拡張されるまで。多くのガイドラインが≤90分を基本目標にしています。( Circulation. 2022 Jan 18;145(3):e4-e17.)
- First-Medical-Contact(FMC)-to-Device:医療者が初めて接触した時点(院前EMS接触や救急外来到着)からデバイス到達まで。2025年の院前/救急領域の包括ガイドラインは≤90分が望ましいとし、地域体制で困難ならPCI可能施設へ直接搬送を推奨します。(Circulation. 2025 Apr;151(13):e771-e862. )
- Door-to-ECG:到着後10分以内に12誘導心電図を推奨。これが遅れると最終的なD2Bや死亡に不利に働くことが示唆されています。(West J Emerg Med. 2025 Mar;26(2):180-190.)
「20分の遅延」がもたらしうる具体的影響
- primary PCIまでの遅延と死亡
- De Lucaら:一次PCI症例で毎分の遅延が1年死亡に悪影響。遅延短縮の15分ごとに1000人あたり約6.3人の死亡回避という推定も紹介されています。(Circulation. 2004 Mar 16;109(10):1223-5. 、J Saudi Heart Assoc. 2009 Oct;21(4):229-43. )
- Terkelsenら:システム遅延(医療体制側の遅れ)1時間ごとに死亡が有意に増加(多変量調整後)。(JAMA. 2010 Aug 18;304(7):763-71. )
- FMC-to-PCI分析(スウェーデン登録):1時間超の遅延から死亡上昇が明確化。(J Am Heart Assoc. 2014 Mar 4;3(2):e000486.)
- 近年の解析:1時間超で再梗塞・死亡・心不全が急増という所見も報告。(JACC Adv. 2024 Jun 3;3(7):101005. )
- D2B短縮の限界と全体最適
- 病院到着後のD2B短縮は国レベルで大きく改善しても、全体死亡が必ずしも比例して下がらないという現実的な観察もあり(NEJMの米国データ)。これは前段階(発症→FMC→搬送)の遅延が依然として大きい、患者重症度が変化している、など複合要因があると考えられます。ゆえに「総虚血時間」全体を詰めることが肝要です。(N Engl J Med. 2013 Sep 5;369(10):901-9. )
まとめると:20分という数字自体は一見小さく見えますが、STEMIの時間軸では可逆心筋の運命を左右しうる量です。エビデンスは「遅れるほど死亡が増える」方向に強く収束します。
病院前〜院内のボトルネックと対策(再発防止の観点)
病院前(EMS/搬送)
- プレホスピタル12誘導ECG+カテ室事前起動:D2Bを短縮します(院内死亡が必ず低下するとは限らないが、時間短縮効果は一貫)。(Emerg Care. 2014 Jan-Mar;18(1):1-8. 、Emerg Med J. 2007 Aug;24(8):588-91.)
- PCI可能施設へのダイレクト搬送:地域体制でFMC-to-Deviceの目標達成が難しい場合は、近い非PCI施設に一旦寄るより、最初からPCI施設へが望ましい。(Circulation. 2025 Apr;151(13):e771-e862. )
- 安全な現場運用:サイレン走行中の事故は二次被害と遅延を同時に招くため、追い越しや交差点進入プロトコルの徹底、ダブルアテンション(運転/患者監視の役割固定)など、人員配置と運転手順を明文化(多くは体制指針)。
院内(ER〜カテ室)
- ED医主導のカテ室直接起動、心電図→カテ室到着までの各サブ区間のKPI化(Door-to-Activation、Activation-to-Arrivalなど)で合計D2B ≤90分の安定達成を図る。
- Door-to-ECG ≤10分の遵守。遅延は1年死亡増加に関連(近年のアウトカム研究)。
今回の事例をどう解釈するか
- 救急車の接触事故による約20分遅延は、結果として総虚血時間を延長させ、病院前→院内の“系統遅延”に寄与した可能性があります。STEMIの群データでは、遅延=死亡増加の方向性が一貫。よって因果関係は厳密な検証が必要ながら、医学的には有害方向のバイアスであることは間違いありません。
- 搬送時には意識あり→到着前にCPAへと悪化しており、虚血進行や致死性不整脈の可能性が高い状況。primaryPCIへの時間が遅れれば遅れるほど、電気的/機械的合併症のリスクは上昇します。
まとめ
- STEMIは時間=心筋。20分の遅れでもアウトカムに影響しうる。
- FMC-to-DeviceとD2Bの両輪で総虚血時間を最小化。
- 院前ECG+カテ室事前起動、PCI施設への直搬で遅延を減らす。
- 安全運転プロトコルは医療安全と時間短縮の両立に不可欠(運用原則)。
- 本件の医学的評価:個別因果の最終判断は調査に委ねられるが、既存データは遅延が死亡増加と関連することを明確に示している。
個人的には、このケースのように救急車が事故を起こした場合でも患者搬送を優先して、搬送後に事故現場に戻るという選択をできる特例を作ることが良いのではないかと思います。
参考文献
- De Luca G, et al. Time delay to treatment and mortality in primary angioplasty for acute myocardial infarction. Circulation. 2004;109:1223–1225. doi:10.1161/01.CIR.0000121424.76486.20
- Terkelsen CJ, et al. System delay and mortality among patients with STEMI treated with primary PCI. JAMA. 2010;304(7):763-771. doi:10.1001/jama.2010.1139
- Koul S, et al. Delay from first medical contact to primary PCI and all-cause mortality. J Am Heart Assoc. 2014;3(6):e000486
- Menees DS, et al. Door-to-balloon time and mortality among patients undergoing primary PCI. N Engl J Med. 2013;369:901-909
- Tsai SH, et al. Critical time intervals in door-to-balloon time linked to long-term mortality. J Am Heart Assoc. 2025;14:e034222
- Squire BT, et al. Effect of prehospital cath lab activation based on prehospital ECG. Prehosp Emerg Care. 2014;18(1):1-8
- Afolabi BA, et al. Use of the prehospital ECG improves door-to-balloon time. West J Emerg Med. 2007;8(3):141-145
- McCabe JM, et al. Impact of door-to-activation time on door-to-balloon time. Circ Cardiovasc Qual Outcomes. 2012;5:672-679
- Khot UN, et al. ED physician activation of the cath lab decreases door-to-balloon time. Circulation. 2007;116:67-76
- 2021 ACC/AHA/SCAI Guideline for Coronary Artery Revascularization JACC/Circulation 2021/2022.
- 2025 ACC/AHA/ACEP/NAEMSP/SCAI Guideline for the Management of Acute Coronary Syndromes in the Prehospital and Emergency Department SettingsCirculation. 2025