序論:高血圧診療のパラダイムシフトへ
高血圧診療において、「座位血圧」が最も重要な評価項目とされてきた歴史は長く、その根拠となるエビデンスも蓄積されています。しかし、近年「体位変化に伴う血圧変動」への関心が高まり、特に夜間や臥位(supine)での血圧上昇が、心血管イベントリスクと深く関連することが指摘されています。今回のJAMA Cardiology掲載論文は、この「臥位高血圧(supine hypertension)」が座位血圧の有無にかかわらず、心血管リスクを独立して予測するという非常に重要な知見を提示しました。この発見は、既存の高血圧診療の枠組みに対し、大きな修正を迫る可能性があります。
研究方法と対象
この研究は、Atherosclerosis Risk in Communities Study(ARIC study)という、米国の大規模な前向き観察研究のデータを用いています。11,000人以上の中高年成人(40〜65歳、平均54歳(ベースライン時)、男性45%、女性55%)を対象とし、平均26~28年間にわたる追跡調査を行いました。対象者は、研究開始時に既知の心血管疾患を持たない人々でした。血圧は、座位と仰臥位の両方で測定され、高血圧は収縮期血圧が130 mmHg以上、または拡張期血圧が80 mmHg以上と定義されました。
血圧測定方法
研究では、参加者の血圧を測定するために、以下の手順が採用されました。
座位での血圧測定
- 準備:
- 参加者は、少なくとも5分間安静にした状態で測定を行います。
- 測定中は、背もたれのある椅子に座り、足を床につけ、腕は心臓の高さに保ちます。
- 血圧計のカフは、上腕に適切に装着。
- 測定:
- 自動血圧計を使用して、2回の測定を行います。
- 測定間隔は1~2分間とし、その平均値を座位血圧として記録します。
仰臥位(臥位)での血圧測定
座位測定終了後、被験者は仰臥位(supine)に移行。
- 準備:
・参加者は、仰向けに寝た状態で少なくとも5分間安静にします。
・腕は心臓の高さに保ち、カフを上腕に適切に装着します。
2. 測定:
・自動血圧計を使用して、2回の測定を行います。
・測定間隔は1~2分間とし、その平均値を座位血圧として記録します。
主な結果
研究の結果、座位で高血圧であった人々の約75%が仰臥位でも高血圧を示しました。一方、座位で高血圧でなかった人々のうち、仰臥位で高血圧を示したのは16%でした。
このデータから見えてくるのは、「仰臥位でのみ血圧が上昇するサブグループ」の存在です。これまでの診療では見過ごされやすかったこの層に注目している点は極めて重要で、しかもこの層が長期的な心血管リスクを抱えている可能性が示されたのです。
仰臥位高血圧が心血管疾患のリスクを独立して高める
最も重要な発見は、仰臥位高血圧が、座位高血圧の有無や降圧薬の使用に関係なく、心血管疾患のリスクを独立して高めることでした。具体的には、仰臥位高血圧は、致命的および非致命的な冠動脈疾患、心不全、脳卒中、全死因死亡率の増加と関連していました。特に、座位と仰臥位の両方で高血圧を示した患者では、これらのリスクが最も高くなりました。
さらに、仰臥位のみで高血圧を示した人々は、座位のみで高血圧を示した人々と比較して、非致命的な冠動脈疾患、心不全、脳卒中、全死因死亡率のリスクが高いことが明らかになりました。
- 座位高血圧+臥位高血圧:最もリスクが高い群
- 臥位高血圧のみ(座位正常):非致死性冠動脈疾患、心不全、脳卒中、全死亡率の有意な上昇
- 座位高血圧のみ(臥位正常):臥位高血圧単独群よりリスクは低い
「夜間高血圧」との関連
特に注目すべきは、「夜間高血圧」との関連です。これまで、夜間高血圧は、交感神経系の活性化や睡眠時無呼吸症候群(SAS)との関連が指摘されており、これらが心血管リスクを高めるメカニズムとして考えられていましたが、本研究では「臥位での血圧」がその一因である可能性が示唆されました。これは家庭血圧や24時間血圧計測(ABPM)による夜間血圧測定とも補完し合う知見です。
臥位高血圧の背後にあるメカニズム
自律神経系
臥位高血圧の背後には、自律神経系の異常な制御が関与している可能性が指摘されています。立位から臥位への体位変換に伴い、正常では交感神経活動は低下し、副交感神経が優位となることで血圧は低下します。しかし、交感神経過活動やバロレセプター(圧受容器)機能低下を有する場合、この制御機構が破綻し、臥位高血圧が出現します。
正常では、臥位になると重力負荷が減少し、静脈還流増加→心拍出量増加→交感神経抑制・副交感神経亢進が生じ、血圧は低下します。
しかし、自律神経機能低下(加齢・糖尿病・自律神経疾患)があると、このフィードバックが破綻し、臥位でも交感神経緊張が持続します。
仰臥位から立ち上がった際に血圧が急激に低下する「起立性低血圧」を示す人々では、仰臥位での血圧上昇も観察されることがあります。この場合、座位高血圧がマスクされているという表現でも良いのかもしれません。これは、自律神経系の調節能力が全体的に低下していることを示唆しています。このような自律神経系の異常は、長期的には心血管疾患のリスクを高める要因となります。
血管内皮機能の障害
一酸化窒素(NO)の産生低下
血管内皮は、一酸化窒素(NO)を産生し、これを介して血管を弛緩させます。NOは、血管平滑筋を弛緩させることで、血流を増加させ、血圧を低下させる働きがあります。
血管内皮機能が障害されると、NOの産生が減少し、血管の弛緩能力が低下します。これにより、血管が収縮しやすくなり、血圧が上昇します。
仰臥位では、重力の影響が少なくなるため、下半身に滞留していた血液が心臓に戻りやすくなります。これにより、心拍出量(心臓が送り出す血液量)が増加します。心拍出量が増加すると、血管内皮にかかるせん断応力(血流による力、 Shear Stress)が増加します。血管内皮機能が障害されている場合、このせん断応力に対する適応能力が低下し、血管が収縮しやすくなります。その結果、血圧が上昇します。
仰臥位では、血液が体全体に均等に分布するため、血管内皮機能の障害がより顕著に現れます。特に、NOの産生が低下している場合、血管の弛緩能力が低下し、血圧が上昇しやすくなります。
動脈硬化と血栓形成のリスク
血管内皮機能の障害は、動脈硬化(血管の硬化や狭窄)の進行を促進します。動脈硬化が進むと、血管の柔軟性が失われ、血圧が上昇しやすくなります。
さらに、血管内皮が障害されると、血栓(血液の塊)が形成されやすくなります。血栓が血管を詰まらせると、心筋梗塞や脳卒中を引き起こすリスクが高まります。
RAAS(レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系)
また、RAAS(レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系)の過剰活性化により、ナトリウム貯留と循環血漿量増加が持続することも、臥位高血圧に寄与する可能性があります。特に高齢者では、加齢による交感神経のβ受容体感受性低下や、腎ナトリウム排泄能の低下が、臥位時の過剰血圧反応を助長します。
RAASの役割
- RAASは、腎臓から分泌されるレニンという酵素を起点として、アンジオテンシンIIという強力な血管収縮物質を生成します。
- アンジオテンシンIIは、血管を収縮させるとともに、アルドステロンというホルモンの分泌を促進します。アルドステロンは、腎臓でのナトリウム再吸収を増加させ、体液量を増やすことで血圧を上昇させます。
RAASの過剰活性化
- 仰臥位での血圧上昇は、RAASの過剰な活性化を示唆しています。特に、夜間や安静時にRAASが過剰に活性化されると、血圧が持続的に高くなり、心血管リスクが増加します。
- RAASの過剰活性化は、高血圧だけでなく、心肥大や心不全、腎障害などのリスクも高めます。
RAASと自律神経系の相互作用
RAASと自律神経系は密接に関連しています。アンジオテンシンIIは、交感神経系を活性化する作用も持っています。これにより、血管収縮と心拍数の増加がさらに促進され、血圧が上昇します。
メラトニン分泌
加えて、夜間のメラトニン分泌異常が交感神経緊張とRAAS亢進を介して、臥位高血圧を促進する可能性もあります。メラトニンは交感神経抑制と血管拡張を誘導する重要なホルモンですが、概日リズム異常や加齢により分泌低下が生じると、臥位高血圧リスクが高まると考えられます。
臥位高血圧のみ(座位正常)の病態
仰臥位で高血圧を示すにもかかわらず、座位では血圧が正常である理由として、以下のような要因が考えられます。
心拍出量の違い
座位では、下半身に血液が滞留しやすくなるため、心拍出量が減少します。これにより、血管内皮にかかるせん断応力が低下し、血管内皮機能の障害が目立ちにくくなります。
一方、仰臥位では、心拍出量が増加するため、血管内皮機能の障害が顕在化しやすくなります。
自律神経系の調節
仰臥位では、副交感神経が優位になることが期待されますが、自律神経系に異常がある場合、交感神経が過剰に活性化されることで血圧が上昇します。
座位では、交感神経が適度に活性化され、血管が収縮することで血圧が維持されます。この状態では、血管内皮機能の障害が目立ちにくくなります。
先にも述べましたが、仰臥位から立ち上がった際に血圧が急激に低下する「起立性低血圧」を示す人々では、仰臥位での血圧上昇も観察されることがあります。この場合、座位高血圧がマスクされ、仰臥位のみの高血圧を呈する場合もあるかもしれません。これは、自律神経系の調節能力が全体的に低下していることを示唆しています。
既存研究との比較と新規性
既存の高血圧研究では、「座位血圧」を中心に心血管リスクが評価されてきました。また、夜間高血圧やモーニングサージ(早朝血圧上昇)と心血管イベントとの関連も示されています。しかし、本研究の新規性は以下の点に集約されます。
- 臥位血圧単独測定による長期リスク評価の実施
- 座位正常でも臥位高血圧を持つ群の予後悪化を世界で初めて明確に示した点
- 臥位高血圧が「夜間高血圧」の基盤である可能性の提示
これにより、「座位高血圧=高リスク」という単純な構図が覆され、「体位に応じた血圧評価」が必要な時代へとシフトする可能性が示唆されています。
明日からの血圧管理に活かすポイント
- 体位変化に伴う血圧測定をルーチン化 診察時には座位だけでなく、臥位血圧測定を加えることで、隠れた高リスク群を早期に拾い上げることが可能です。
- 高リスク患者へのABPM(24時間血圧測定)の積極活用 特に夜間高血圧を疑うケースでは、ABPMを活用し、実際の夜間血圧推移を確認する重要性が再認識されます。
- 睡眠習慣と生活習慣の改善指導 交感神経過活動を抑えるためには、夜間のリラックス時間確保、就寝前のスクリーンタイム制限、適度な運動、塩分制限、メラトニン分泌を妨げない生活リズムの確立が有効です。
結論:新たなターゲットとしての「臥位高血圧」
仰臥位高血圧は、座位高血圧とは独立して心血管リスクを高める重要な因子であることが明らかになりました。本研究の成果は、高血圧診療における「第三の血圧評価軸」として、「臥位血圧」を確立する可能性を秘めています。座位のみならず、臥位でも血圧を確認する。このシンプルな手法が、長期予後改善に繋がる可能性を示した本研究の意義は極めて大きいものです。
参考文献
・Anderer S. Supine Hypertension Linked to Cardiovascular Risk Regardless of Seated Blood Pressure. JAMA Cardiology. Published online February 21, 2025. doi:10.1001/jama.2025.0544
・Giao DM, Col H, Larbi Kwapong F, Turkson-Ocran RA, Ngo LH, Cluett JL, Wagenknecht L, Windham BG, Selvin E, Lutsey PL, Juraschek SP. Supine Blood Pressure and Risk of Cardiovascular Disease and Mortality. JAMA Cardiol. 2025 Jan 22. doi: 10.1001/jamacardio.2024.5213. Epub ahead of print. PMID: 39841470.