序論
砂糖摂取の増加は、肥満、糖尿病、心血管疾患といった生活習慣病の主要な原因のひとつです。現在の各国の栄養ガイドラインでは、「フリーシュガー(砂糖や添加糖)の摂取はなるべく控えるべき」とされています。世界保健機関(WHO)は総エネルギーの 5–10%以下 に抑えることを推奨しています。
WHOは「最初の1000日 first 1000 days」すなわち受胎から2歳までの胎児期・乳幼児期を人の健康を規定する最重要の発達期と位置づけています。しかし、胎児期を含むこの期間の砂糖摂取が、数十年後の成人期の心血管リスクにどう影響するのかについては、長期的エビデンスが限られていました。
今回紹介するBMJ掲載の研究は、第二次世界大戦後の英国における「砂糖配給制」(戦時中の物資不足に対応した国家的な配給制度)という歴史的状況を自然実験として活用しました。母体が妊娠中に砂糖配給制の影響を受け、その後も生後2年間砂糖摂取が制限された世代と、制限を受けなかった世代を比較し、成人期の心血管リスクの差を明らかにしました。
研究デザインと対象
対象はUK Biobankに登録された63,433人で、1951年10月から1956年3月に英国で出生した人々です。1953年9月に砂糖配給制が終了したため、
- 配給制の影響を受けた群:妊娠期から出生後2年までのいずれか、あるいは全期間で砂糖摂取制限を経験
- 影響を受けなかった群:胎児期・幼少期ともに制限を受けなかった
と分類されました。主要アウトカムは心血管疾患(CVD)、心筋梗塞、心不全、心房細動、脳卒中、心血管死亡で、NHS診療データと死亡登録に基づき評価されました。統計解析にはCox比例ハザードモデルとGompertz分布を用いたパラメトリックハザードモデルを適用しました。母親や家庭背景に関連する複数の因子を調整しています。
外部妥当性の検証には、米国Health and Retirement Study(HRS)およびEnglish Longitudinal Study of Ageing(ELSA)が利用されました。
主な結果
心血管リスクの低下
胎児期から乳幼児期にかけて砂糖摂取が制限されていた群は、そうでない群に比べて成人期の心血管イベントリスクが一貫して低下していました。
- 心血管疾患:HR 0.80(95% CI 0.73–0.90)
- 心筋梗塞:HR 0.75(0.63–0.90)
- 心不全:HR 0.74(0.59–0.95)
- 心房細動:HR 0.76(0.66–0.92)
- 脳卒中:HR 0.69(0.53–0.89)
- 心血管死亡:HR 0.73(0.54–0.98)
20〜30%のリスク低減が認められ、曝露期間が長いほどリスクが低下する傾向もみられました。
発症年齢の遅延
心血管疾患の発症年齢は平均2.5年遅れ、特に心不全では約3年遅れる効果が示されました。これは単に発症率が低いだけでなく、疾患進展そのものが遅れる可能性を示しています。
媒介要因
リスク低下の一部は糖尿病や高血圧を介していました。
- 糖尿病:23.9%
- 高血圧:19.9%
- 両者合計:31.1%
一方で出生体重の寄与は2.2%にとどまり、胎児期の成長制限そのものよりも、代謝性疾患の抑制が大きな役割を果たしていました。
心臓MRIの所見
一部参加者で行われた心臓MRIでは、胎児期から幼少期に砂糖制限を経験した群で、左室一回拍出量指数(+0.73 mL/m²)と駆出率(+0.84%)が有意に高値でした。
分子生物学的視点
胎児期は、心臓や血管系が急速に発達する臨界期です。母体が高糖環境にあると、胎児は酸化ストレスや炎症応答の活性化、内皮機能の障害を受けやすく、将来の心血管疾患リスクに直結することが動物実験で報告されています。逆に、母体が砂糖制限下に置かれることで、胎児期から代謝環境が改善し、長期的に心血管系の健全な成熟を促進する可能性があります。今回の研究は、人間においても胎児期を含む「最初の1000日間」の砂糖制限が、70年後の心血管リスクに影響を及ぼすことを初めて実証的に示しました。
新規性
本研究の新規性は以下にあります。
- 胎児期を含む最初の1000日の砂糖制限が、その後の成人期の心血管イベント全般に影響を与えることを示した初めての大規模研究。
- 自然実験という準ランダム化に近い状況を活用し、交絡の影響を最小化。
- 発症率だけでなく、発症年齢の遅延効果を明示的に確認。
臨床および政策的意義
この知見は、母体の妊娠中から幼少期にかけての栄養管理が、成人期の心血管リスクを大きく左右することを示しています。家庭レベルでは妊娠期・授乳期の母親が砂糖を控えること、離乳期に砂糖を多用しないことが、子の将来の健康を守る「投資」となります。政策レベルでは、乳幼児食品の糖含有規制や課税政策が、長期的な心血管疾患予防に資する可能性が強く示されました。
Limitation
- 個人レベルでの砂糖摂取量は測定されておらず、出生時期を代理指標とした。
- 配給制終了に伴う他の社会的変化を完全に制御できない。
- コホートは主に白人であり、他民族への一般化は限られる。
- 心臓MRIは一部のみの実施で、選択バイアスの可能性あり。
- 観察研究であるため、因果関係の確定には限界がある。
結論
胎児期から生後2年にかけて砂糖摂取が制限されていた人々は、そうでない人々に比べて、成人期における心血管イベントのリスクが20〜30%低く、発症も平均2〜3年遅れていました。
この結果は、妊娠中から始まる「最初の1000日」における砂糖制限が、数十年後の心血管疾患予防に持続的な効果を持つことを示唆しており、公衆衛生政策に新たな視点を与える重要な成果です。
参考文献
Zheng J, Zhou Z, Huang J, Tu Q, Wu H, Yang Q, Qiu P, Huang W, Shen J, Yang C, Lip GYH. Exposure to sugar rationing in first 1000 days after conception and long term cardiovascular outcomes: natural experiment study. BMJ. 2025;391:e083890. doi:10.1136/bmj-2024-083890
おまけ:妊娠中と乳児期の「影響の質」
1. 妊娠中(胎児期)の砂糖摂取
- 胎児は母体を通じて糖質環境に曝露されます。
- 妊娠糖尿病や高血糖は、胎児の膵β細胞やインスリン感受性の発達に影響し、将来の肥満・耐糖能異常・高血圧のリスクを高めることが知られています。
- このため、胎児期は代謝プログラミング(metabolic programming)が起こる最もクリティカルな時期と考えられています。
2. 乳幼児期(出生後2年まで)の砂糖摂取
- この時期は味覚の形成期でもあり、早期から砂糖を多く摂取すると「甘味嗜好の強化」や「過食の習慣化」につながりやすいことが報告されています。
- また、腸内細菌叢の発達段階でもあり、砂糖過剰が腸内環境を変化させ、炎症や代謝異常のリスクを高める可能性があります。
- したがって、乳幼児期は「食行動の学習」と「腸内代謝環境の形成」において重要です。
3. どちらがより重要か?
- 胎児期は「将来の基礎代謝・心血管リスクの設計図」を決める段階
- 乳幼児期は「生活習慣と味覚嗜好の方向性」を決める段階
今回の研究(BMJ 2024)では、「受胎から生後2年までの最初の1000日」をひとまとめに扱っており、どちらか一方を切り分けて優劣をつけてはいません。むしろ「両方が連続的に重要である」という立場です。
4. 実践的な解釈
- 妊娠中は母親が過剰な砂糖・精製炭水化物の摂取を控えることが第一に重要です(妊娠糖尿病予防の観点も含む)。
- 乳幼児期は、砂糖を含む飲料やお菓子を極力遅らせることが推奨されます(WHOも「2歳未満は自由糖の摂取を避けるべき」としています)。
おまけのまとめ
妊娠中と乳幼児期は、いずれも心血管リスクの生涯影響に直結します。ただし、胎児期は「代謝の設計図」、乳幼児期は「食習慣と腸内環境」という異なる側面を通じて作用するため、両方を同等に重視することが妥当です。

