はじめに
冠動脈疾患(CAD)は依然として世界的な死亡原因の上位を占めており、その発症には高LDLコレステロール、高血圧、糖尿病、喫煙など、よく知られた危険因子が関与しています。これまでの疫学的研究では、これらの因子がCAD全体の90%以上のリスクを説明できるとされてきました。しかし、それは本当に「人間の宿命」なのでしょうか?
2017年にThe Lancet誌に掲載されたこの画期的な研究「Coronary atherosclerosis in indigenous South American Tsimane: a cross-sectional cohort study」は、ボリビアのアマゾン熱帯雨林に住む先住民ツィマネ(Tsimane)の人々が、現代工業化社会の集団と比較して驚異的に低い冠動脈硬化の頻度を示すことを明らかにしました。この研究は、人類学的調査と最先端の心血管イメージング技術を融合させ、冠動脈疾患の予防に関する新たな知見を提供しています。
ツィマネの人々は狩猟・採集・農耕を組み合わせた自給自足の生活を営んでおり、現代的な心血管危険因子(高LDLコレステロール、高血圧、糖尿病、肥満、喫煙など)の頻度が非常に低い一方で、感染症による炎症負荷は高いという特徴があります。この一見矛盾するような特徴を持つ集団を詳細に調査することで、研究者たちは冠動脈疾患の発症メカニズムについての従来の理解に挑戦する発見をしました。
研究の背景と新規性
冒頭に述べた通り、これまでの大規模人口研究では、冠動脈疾患のリスクの90%以上が従来の危険因子(高コレステロール、喫煙、高血圧、糖尿病など)で説明可能とされてきました。また、心臓に良い生活習慣を採用することで、遺伝的素因が高い個人でも冠動脈疾患リスクを50%近く減らせることも示されていました。
しかし、この研究の真の新規性は、現代工業化社会とは全く異なる環境で生活する集団を対象に、直接的な冠動脈石灰化(CAC;coronary artery calcium)スコアを用いて冠動脈硬化を評価した点にあります。これまでの「前近代的」生活様式と心血管健康に関する研究の多くは、古代のミイラの末梢動脈の石灰化を調べたものか、工業化社会における観察研究に限られていました。
ツィマネ研究は、生きた人間を対象にCTを用いて直接冠動脈を可視化し、現代社会との比較を可能にした初めての大規模研究です。特に、高い炎症負荷(感染症が多い環境)と低い冠動脈硬化という一見矛盾する現象を同時に観察できたことは、動脈硬化の病因論に新たな視点を加えるものです。
研究方法の革新性
この研究では、40歳以上の705名のツィマネ成人を対象に、非造影CTを用いて冠動脈石灰化(CAC)スコアを測定しました。CACスコアは冠動脈プラークの量と重症度を反映する確立された指標で、100以上は有意な動脈硬化性疾患を示します。
比較対象として、米国の多民族コホート研究(MESA;Multi-Ethnic Study of Atherosclerosis)の6,814名のデータを使用しました。この比較は、現代工業化社会と前工業化社会の心血管健康状態を直接対比する初めての試みでした。
研究チームは、単なるCACスコアの比較だけでなく、脂質プロファイル、炎症マーカー(高感度CRP、赤沈、白血球分画、サイトカインなど)、生活習慣データを詳細に収集し、多変量解析を行いました。特に、CACスコアの分布に多くの「ゼロ」値が含まれる特性を考慮し、ゼロ過剰負の二項回帰モデルという高度な統計手法を採用した点が特徴的です。
驚くべき主要発見
40歳以上の705名のツィマネ成人のうち、最も多い年齢層は45–54歳(約42%)であり、全体の年齢構成はやや若年よりですが、75歳以上の高齢者も48人(約7%)含まれています。平均年齢 57.6歳(範囲:40~94歳)です。
冠動脈石灰化の極端に低い有病率
ツィマネ成人705名中、596名(85%)がCACスコア0(全く石灰化なし)、89名(13%)がスコア1-100、20名(3%)のみがスコア100以上でした。特に驚くべきは、75歳以上の年齢層でさえ、31名(65%)がCACスコア0を維持し、100以上はたった4名(8%)だったことです。
この数字は米国MESAコホートと比較して劇的な違いを示しています。MESAでは同年代でCACスコア0の人はわずか14%、100以上の人が50%以上でした。統計的には、ツィマネはCACスコアが0を超えるまでに24年、100に達するまでに28年の「遅れ」があると計算されました。つまり、80歳のツィマネの「血管年齢」は、米国人の50代半ばに相当するのです。
【ツィマネ族とMESA(米国)とのCACスコア比較】
年齢層または指標 | ツィマネ族 | MESA(米国) | 差(ツィマネの遅れ) |
---|---|---|---|
CAC= 0(全体) | 85% | 14% | −71ポイント |
CAC = 0(75歳以上) | 65% | 8% | −57ポイント |
CAC > 100(全体) | 3% | 50%以上 | −47ポイント以上 |
CAC出現年齢(CAC > 0) | 約65歳 | 約41歳 | 24年遅れ |
CAC > 100 出現年齢 | 約69歳 | 約41歳 | 28年遅れ |
伝統的な心血管危険因子の稀さ
ツィマネの平均LDLコレステロールは2.35 mmol/L(91 mg/dL)、HDLは1.0 mmol/L(39.5 mg/dL)と非常に低い値でした。肥満(BMI>30 kg/m²)は人口の6%のみ、高血圧は5%、高血糖はほぼ0%、喫煙者は28%いましたが、1日10本未満の軽度喫煙者がほとんどでした。
一方で、高感度CRP(炎症マーカー)が臨床的カットオフ値(3.0 mg/dL)を超えていた人が360名(51%)と、感染症によると思われる炎症負荷が高いことが確認されました。この観察結果は、従来の「炎症=動脈硬化促進」という図式に一石を投じます。特に感染性の炎症(寄生虫や細菌性疾患に由来するもの)と、生活習慣病に伴う非感染性炎症の違いが、分子生物学的にも重要な意味を持つ可能性があると考えられます。
性差と国際比較
一般的に男性は女性よりCACスコアが2-4倍高いことが知られています。ツィマネでもこの傾向は確認されましたが、その絶対値は驚くほど低いものでした。ツィマネ男性のCACスコアは、これまで最も低いとされていた日本人女性の値よりも低く、これまで報告されたどの人口よりも低いレベルでした。
分子生物学的メカニズムの考察
この研究で特に興味深いのは、高い炎症負荷にもかかわらず冠動脈硬化が少ないという一見矛盾する発見です。分子生物学的には、以下のメカニズムが考えられます。
- LDLコレステロールの閾値効果:炎症が動脈硬化を促進するには、一定以上のLDLレベルが必要かもしれない。ツィマネの平均LDLが2.35 mmol/L(91 mg/dL)と低いため、炎症があっても動脈硬化が進まない可能性があります。
- 炎症の種類の違い:感染症による炎症(ツィマネ)とメタボリックな炎症(工業化社会)では、サイトカインプロファイルが異なり、動脈硬化への影響も違うかもしれません。実際、ツィマネではインターロイキン-5や-10がCACと逆相関していました。
- HDL機能の違い:ツィマネのHDLは量的には低い(1.0 mmol/L)(39.5 mg/dL)ですが、質的(機能性)には優れている可能性があります。HDLの抗炎症機能やコレステロール逆転送能が保たれているのかもしれません。
- 生活習慣の保護効果:身体活動、食物繊維豊富な食事、低飽和脂肪摂取などが、炎症の悪影響を打ち消している可能性があります。
ツィマネの生活様式の特徴
ツィマネの驚異的な心血管健康は、その独特な生活様式と密接に関連しています:
- 食事:カロリーの14%がタンパク質(野生動物や魚から)、14%が脂肪(主に不飽和脂肪酸)、72%が炭水化物(米、プランテン、キャッサバ、トウモロコシなど高繊維で低GIのもの)。飽和脂肪やトランス脂肪、精製糖質はほとんど摂取しません。1日の脂肪摂取量は約38g(飽和脂肪11g)と非常に少ないです。
- 身体活動:男性は1日6-7時間、女性は4-6時間の身体活動を行います。狩猟は平均8時間以上、18kmの移動を伴います。農作業も斧を使った重労働です。工業化社会の人々が54%の覚醒時間を座って過ごすのに対し、ツィマネの座位時間は10%未満です。
- 環境:きれいな水や下水道、電気へのアクセスがなく、成人の3分の2が腸内寄生虫に感染しています。これが高い炎症マーカーの原因と考えられます。
現代人への応用可能性
ツィマネの生活をそのまま現代社会に導入することは現実的ではありませんが、いくつかの重要な教訓を抽出できます:
- LDLコレステロールの管理:ツィマネのLDLは2.35 mmol/L(91 mg/dL)以下でした。現在のガイドラインでは高リスク患者のLDL目標は1.8 mmol/L(70 mg/dL)以下ですが、一般人口ではより緩やかです。可能な限りLDLを低く保つことが重要です。
- 身体活動の増加:1日30分の運動だけでなく、日常生活全体の非運動性身体活動(NEAT)を増やすことが重要です。座り時間を減らし、階段を使う、歩行や自転車を増やすなどの工夫が考えられます。
- 食事の質の改善:精製炭水化物や飽和脂肪を減らし、食物繊維、不飽和脂肪酸、植物性タンパク質を増やす。ツィマネの食事に近づけるためには:
- 加工食品を減らす
- 野菜、果物、全粒穀物を増やす
- 魚や植物性タンパク源を優先する
- 添加糖を制限する
4 .包括的なリスク管理:単一の危険因子をターゲットにするのではなく、複数の危険因子を同時に管理することが効果的です。アメリカ心臓協会が推奨する「ライフシンプル7」(喫煙、BMI、身体活動、食事、コレステロール、血糖、血圧)のような包括的アプローチが有効です。
研究の限界
この画期的な研究にもいくつかの限界があります:
- 横断研究の性質:因果関係を確定するには縦断的研究が必要です。特に、ツィマネのLDLが年々上昇している(2004年1.84 mmol/L(71mg/dL)→2015年2.35 mmol/(91 mg/dL)L)ことが報告されており、これが将来的にCACに影響するか注目されます。
- CACの限界:非造影CTでは石灰化プラークしか評価できず、非石灰化プラークは見逃される可能性があります。しかし、CACは動脈硬化の優れた予測因子として確立されています。
- 炎症マーカーの単回測定:炎症マーカーは一時点の測定しか行われておらず、慢性的な炎症負荷を完全に捕捉できていない可能性があります。
- 選択バイアスの可能性:CT検査に参加しなかった人々(66名)と参加者間に基本特性の差はなかったと報告されていますが、完全な無作為化は困難でした。
- 遺伝的要因の評価不足:PCSK9などの遺伝的変異が結果に影響した可能性は排除できません。ツィマネの遺伝的特徴はさらに研究が必要です。
結論と未来への展望
ツィマネ研究は、冠動脈疾患が現代的な生活様式と密接に関連していることを強く示唆しています。非常に低いLDLコレステロール、正常血圧・血糖、非肥満、非喫煙、高い身体活動レベルという組み合わせが、高い炎症負荷があっても冠動脈硬化を防ぐことができることを示しました。
この研究は、都市化と工業化が冠動脈疾患の新しい危険因子である可能性を示しています。未来の研究では、ツィマネの生活様式のどの要素が最も保護的に働いているのか、炎症と動脈硬化の関係におけるLDLの閾値はどこか、といった疑問に答える必要があります。
臨床的には、可能な範囲でツィマネのような生活習慣に近づくことが冠動脈疾患予防に有効であると考えられます。特に、加工食品の少ない自然な食事、日常的な身体活動、ストレス管理などの要素は、現代社会でも部分的に取り入れることが可能です。
最後に、この研究は人類の健康における「ミスマッチ仮説」—私たちの身体が適応してきた環境と現代環境の不一致が病気の原因という考え—を支持する強力な証拠を提供しています。健康長寿を目指すのであれば、私たちの進化的遺産に目を向けることが重要かもしれません。
参考文献
Kaplan H, Thompson RC, Trumble BC, et al. Coronary atherosclerosis in indigenous South American Tsimane: a cross-sectional cohort study. Lancet. 2017;389(10080):1730-1739. doi:10.1016/S0140-6736(17)30752-3
追記:「LDLコレステロールの低さがもっとも動脈硬化抑制に寄与している」
動脈硬化は「LDLがなければ始まらない」
動脈硬化、特に冠動脈硬化の始まりは、血管内皮にLDLコレステロールが入り込み、酸化されること(酸化LDL)が引き金です。これをマクロファージが取り込み、「泡沫細胞」が形成され、やがてプラーク=動脈硬化巣になります。
つまり、LDLが少なければ、そもそもスタートラインに立たないのです。
ツィマネ族のLDLは驚異的に低い
ツィマネ族の平均LDLは:
- 91 mg/dL(=2.35 mmol/L)
これは、日本人やアメリカ人の一般的な数値(120〜140 mg/dL)よりもずっと低く、欧米の「高リスク群で目標とされる数値」よりもさらに低いレベルです。
しかもこの数値は、スタチンなどの薬を一切使わず、食事と生活習慣だけで達成しているのです。
炎症があっても動脈硬化が起きていない
さらに注目すべき点は、Tsimane族は感染による慢性的な炎症を多く抱えているにもかかわらず、動脈硬化が非常に少ないことです。
- 高感度CRP(hs-CRP)が3.0 mg/L以上の人は51%にも及ぶ
- それでもCACスコアが0の人が85%
- 75歳以上でも65%がCACスコア0
炎症マーカーが高いことは本来、動脈硬化リスクを高めるはずです。しかし、LDLが低い状態では炎症があってもアテローム形成が起きない可能性があります。これは、LDLが“燃料”で、炎症が“火種”だと考えるとわかりやすくなります。
→ 燃料がなければ火は燃え広がらない、つまり「炎症だけでは動脈硬化は進まない」という解釈ができます。
他のリスク因子(血圧・糖)はほぼ全員正常
- 高血圧の人は5%
- 糖尿病の人はほぼゼロ
つまり、Tsimane族の中では血圧や血糖はあまり差がないため、それが動脈硬化にどれほど寄与しているかを判定しにくい状況です。
ゼロ過剰負の二項回帰モデル(Table 2)では、LDLそのものは直接的なCACスコアの予測因子としては選ばれていません。しかし、HDLとトリグリセリドがCACなしの予測因子として有意ではないもののその傾向は認めました(HDLが低いほど、トリグリセリドが高いほどCACが存在しやすい)。
付録データ(本文中で言及)では、LDL >3.4 mmol/L(131 mg/dL)のグループでCACスコアが高い傾向があったことが示唆されています。ただし、ツィマネ全体のLDL平均が2.35 mmol/L(91 mg/dL)と低く、3.4 mmol/Lを超える個体は9%しかいなかったため、統計的検出力が限られていた可能性があります
他の研究でも「LDLこそ最重要」の証拠が続々
- PCSK9遺伝子変異でLDLが自然に極端に低い人は、心筋梗塞の発症率が極端に低い(Cohen et al., 2006)
- スタチン治療によるLDL低下で、イベント発症リスクが直線的に低下(REVERSE、JUPITERなど)
これらの知見とツィマネのデータは、「低LDLがあれば、動脈硬化は起きにくい」という点で一致しています。
まとめ:なぜLDLが最重要なのか?
要因 | ツィマネ族の特徴 | 動脈硬化への影響 |
---|---|---|
LDL | 平均91 mg/dL、バラつきあり | CACスコアと相関、低いほど動脈硬化少ない |
血圧 | 全体的に正常範囲、変動小 | 有意な相関なし |
血糖 | 異常者ほぼゼロ | 評価困難 |
炎症 | 高い人が多い(CRP>3) | LDLが低ければ進行しない可能性 |