序論:LDLコレステロールの「最適値」を問い直す
現代医学における脂質管理の歴史は、「どこまで下げるべきか」という問いの繰り返しでした。約20年前に発表されているO’Keefeらの論文(2004)では、低密度リポ蛋白コレステロール(LDL-C)の「最適値」を50〜70 mg/dLと定義し、「Lower is better(より低い方が良い)」という概念を生理学的な観点から再構築しました。
彼らは、単に臨床試験のデータを分析したのではなく、人類進化の視点に立ち返り、狩猟採集民・新生児・野生霊長類など、動脈硬化を発症しない生物群のLDL値を比較しました。その結果、動脈硬化のない生物種のLDLはおおむね50〜70 mg/dLに収まっており、これこそが人間本来の「生理的正常域」であると結論づけています。
この範囲は、現代人の平均LDL値(約130 mg/dL)のほぼ半分であり、私たちの生活習慣が遺伝的な適応範囲から大きく逸脱していることを意味します。
平均値は正常値ではない:進化と環境の不一致
著者らはまず、「平均値は最適値ではない」と指摘します。現在の米国成人の平均総コレステロール値は208 mg/dL(LDL約130 mg/dL)であり、50歳までに男女の約40〜50%が動脈硬化を有することが報告されています。
つまり、現代社会の平均的なLDL水準は、すでに動脈硬化を発症しやすい環境を反映しているのです。
狩猟採集民社会の研究によれば、彼らの総コレステロールは100〜150 mg/dLで、推定LDLは50〜75 mg/dLでした。また、健康な新生児のLDLは30〜70 mg/dL、野生霊長類では40〜80 mg/dLと報告されています。これらの値はいずれも動脈硬化を起こさない範囲にあります。
現代人のLDLが2倍に高まった背景には、農耕と畜産による食環境の変化、飽和脂肪酸の摂取増加、運動不足などがあり、ヒトの遺伝子が適応してきた進化的環境とは大きく異なっています。著者らはこの「遺伝子と環境のミスマッチ」が、動脈硬化を含む「文明病」の根底にあると述べています。
こちらも参考に。
動脈硬化進行とLDL:70 mg/dLを境に変化する
次に著者らは、複数の無作為化臨床試験のデータを用いて、LDL値と動脈硬化進行との関係を解析しています。結果は驚くほど一貫しており、LDLが約67 mg/dLを下回ると、アテロームの進行が止まり、退縮が始まることが示されています。
代表的な例として、REVERSAL試験(654例)が挙げられます。アトルバスタチン80 mg群(LDL 79 mg/dL)はアテローマ容積が0.4%減少(退縮)し、プラバスタチン40 mg群(LDL 110 mg/dL)は2.7%増加(進行)しました。同時に、炎症マーカーであるC反応性タンパク(CRP)はそれぞれ36% vs 5%低下しました。
さらに、ASAP試験(325例)およびARBITER試験(161例)では、LDLを約75 mg/dLまで低下させた群で頸動脈内膜中膜厚(IMT)の有意な退縮を認めています。
LDLと冠動脈イベント:直線的な関係 ” lower is better”
冠動脈疾患(CHD)イベントに関しても、LDL低下とリスク減少の関係は連続的かつ閾値のないものであることが示されています。
一次予防試験では、LDLが57 mg/dLでCHDイベントがほぼゼロに近づき、二次予防試験では30 mg/dLで同様の傾向を示しました。
Heart Protection Study(HPS)では、ベースラインLDLが97 mg/dLの群において、シンバスタチンによる低下(65 mg/dL)でCHDリスクが25%減少しました。
さらにPROVE-IT試験では、急性冠症候群患者4,162例を対象に、アトルバスタチン80 mg群(LDL 62 mg/dL)とプラバスタチン40 mg群(LDL 95 mg/dL)を比較したところ、2年間でアトルバスタチン群の主要心血管イベントは16%減少し、全死亡率は28%低下しました(p<0.001)。
この結果は、LDLを100 mg/dL以下にしても十分ではなく、「より低いほうがより良い」という概念を強く支持するものでした。
実現可能性と安全性:50〜70 mg/dLは現実的な目標か
STELLAR試験では3,000人以上の被験者がロスバスタチン、アトルバスタチン、シンバスタチン、プラバスタチンに無作為化されました。
ロスバスタチン10 mg、アトルバスタチン80 mgなどの強力なスタチンでは、NCEP-ATP III目標(<100 mg/dL)を80%の患者が達成できました。
食事療法に加え、エゼチミブ、ナイアシン、植物ステロールとの併用により、LDL 50〜70 mg/dLの達成は臨床的にも実現可能と考えられます。
その後PCSK9阻害薬も登場に、この目標は比較的容易にクリアできるようになりました。
どこまで下げて安全か:生理的安全域の下限は少なくとも30 mg/dL程度
コレステロールは細胞膜やステロイドホルモン、胆汁酸、ビタミンDの前駆物質であり、生理的に不可欠な分子です。しかし、O’Keefeらは「過剰が問題」であると述べています。
遺伝的にLDLが低いヘテロ接合性低βリポ蛋白血症の人々では、LDLが30 mg/dL台でも健康に長寿を全うし、動脈硬化は認められません。
スタチンによるLDL低下においても、非心血管死やがんの増加は報告されず、肝障害や筋障害はスタチン用量依存的ではあるものの、LDL値自体とは関係していません。
したがって、生理的安全域の下限は少なくとも30 mg/dL程度と考えられます。
LDL低下の副次的利益:血管の健康から老化抑制まで
LDLの低下は、単に動脈硬化を防ぐだけではなく、全身の炎症と内皮機能を改善します。
スタチン治療によって、末梢動脈疾患の改善、脳卒中の減少、認知機能障害や加齢黄斑変性の予防、大動脈弁狭窄の進行抑制、さらに骨粗鬆症による骨折リスクの低下など、幅広い効果が報告されています。
著者らは、高LDLが「慢性変性疾患」の共通のリスク要因である可能性を指摘し、50〜70 mg/dLという「進化的正常値」への回帰が、心血管疾患のみならず老化関連疾患全般の予防につながる可能性を示唆しました。
なぜ「本来50〜70 mg/dL」なのに、現代人のLDL-Cの値は90 mg/dL程度になっているのか?
現代人で「LDL-Cが平均で約90 mg/dLと高め」になっている背景には、生活習慣・環境・遺伝的な複数の要因が絡み合っています。以下に、そのメカニズムを整理してみます。
1. 食事内容の変化
現代の食生活では、飽和脂肪酸・トランス脂肪・加工食品(高糖質+高脂質)を高頻度に摂る傾向があります。例えば、動物性脂肪やバター・加工肉などに含まれる飽和脂肪は、肝臓におけるLDL産生を促進し、あるいはLDL受容体経路のクリアランスを低下させると指摘されています。さらに「座りがち」の生活習慣・身体活動量の低下も、肝脂質代謝の乱れを通じてLDL上昇に寄与します。
2. 体脂肪量・インスリン抵抗性の増加
現代社会では肥満・内臓脂肪・インスリン抵抗性を伴う人が多く、これが肝臓でのVLDL産生の亢進・LDL‐受容体活性の低下を通じて、血中LDLを上昇させるメカニズムが示唆されています。たとえば、インスリン抵抗性は肝細胞からのVLDL‐apoB100の分泌を増やし、それが最終的にLDL粒子となって血中に残留しやすくなります。
3. 年齢・加齢変化
加齢に伴って、LDL受容体数が減少したり、肝臓のLDLクリアランス能力が低下したりするため、同じ食生活・身体活動量であっても年齢が高くなるほどLDL-Cが高めになりがちです。また、更年期以降の女性も脂質プロファイルが不利になる変化が観察されています。
4. 食事以外の環境・ライフスタイル要因
喫煙・過度なアルコール摂取・ストレス・睡眠障害などもLDL上昇のリスク因子です。たとえば、喫煙はLDL粒子の酸化を促進し、受容体クリアランスを低下させる可能性があります。
5. 遺伝的・集団的背景と「高めの基準値」
人類の進化的背景や居住環境の変化も影響を与えており、たとえば飢餓・感染症・寒冷などのストレスの多い環境では、体が「より多くのコレステロールを保持しておいた方が有利」という選択圧があった可能性があります。さらに、集団ごとにLDLクリアランス能力や受容体活性の遺伝的多型もあり、平均水準が異なることもあります。
また、現代人の「一般的」な食習慣・運動習慣を前提とすると、たとえ生活習慣を意識していたとしても、50〜70 mg/dLを達成するにはさらに一段踏み込んだ変化が必要ということになります。
臨床的インパクトと実践的視点
このような背景を踏まえると、医師として次のような対応が考えられます。
- 患者に対して「一般集団ではLDL-C90 mg/dL程度でもむしろ“高め”と言える状況にある」という現実を共有する。
- 生活習慣改善として、飽和脂肪・トランス脂肪を減らし、野菜・果物・食物繊維を増やす、加工食品を避けることを改めて強調する。
- 週に中強度の身体活動を少なくとも150分確保する(ウォーキング・ジョギング・筋トレ併用可)ことを推奨。
- 定期的に脂質プロファイルを測定し、年齢・性別・併存症(糖尿病・高血圧・CKDなど)を踏まえて、「この患者ではLDL-C70 mg/dL以下を目指す」「さらに40〜50 mg/dLレベルを検討する」など、目標を個別化する。
- 生活習慣改善のみでは達成が困難な場合には、薬物療法(スタチン開始・強化、そして必要ならばPCSK9阻害薬を含む併用)も早期に検討する。
注意すべき点・限界
- 生活習慣が良好でも LDL-C が90 mg/dL近くになる個体差(遺伝・代謝・環境)があります。
- 「本来50〜70 mg/dL」という数値は進化的・集団的推定値であり、個人差が大きいため、全ての人に当てはまるわけではありません。
- 生活習慣修正がいかに重要でも、脂質低下薬と併用しないと十分な低下が得られない例も多く、早期介入が望まれます。
- LDL-Cのみならず、アポB、LDL粒子数、non-HDL-C、トリグリセライド/HDL比など総合的指標も併せて見ることが現在の潮流です。
以上のように、現代人でLDL-Cが90 mg/dL程度となるのは、単に「生活習慣が悪い」だけではなく、環境・集団・加齢・遺伝的な背景と、生活習慣が現代的なストレスに晒されているという現実が反映された結果と考えられます。
ですので、50〜70 mg/dLを「理想の基準値」と捉えつつも、そこに到達するためには、さらに踏み込んだ生活習慣の改善+必要に応じた薬物療法が必要という理解が重要です。
まとめ
20年前、O’Keefeらは、ヒトが本来持つ「進化的に適正な脂質環境」の再発見を通じて、LDLの目標を50〜70 mg/dLに設定することの科学的根拠を提示しました。そして、その後の幾つもの研究によりそれが確認されつつあります。
それは単なる数値目標ではなく、「動脈硬化を起こさない生理的状態」への回帰を意味します。
この論文は、現代の脂質管理の哲学に一石を投じ、今日の「より低く、より安全に」という考え方の原点となった重要な論考です。
参考文献
O’Keefe JH Jr, Cordain L, Harris WH, Moe RM, Vogel R. Optimal Low-Density Lipoprotein Is 50 to 70 mg/dl: Lower Is Better and Physiologically Normal. J Am Coll Cardiol. 2004;43(11):2142–2146. doi:10.1016/j.jacc.2004.03.046


