はじめに
ホスホジエステラーゼ5(PDE5)阻害薬は、本来勃起不全(ED)や肺動脈性高血圧症(PAH)、前立腺肥大の治療に用いられる薬剤です。しかし、近年、一部のアスリートが競技力向上目的でPDE5阻害薬を使用している可能性が指摘されています。本稿では、PDE5阻害薬が運動パフォーマンスに与える影響について、最近の研究をもとに詳細に解説し、その分子生物学的メカニズムと実践への応用について考察します。
PDE5阻害薬の作用メカニズム
PDE5阻害薬(シルデナフィル、タダラフィル、バルデナフィル、アバナフィル)は、主に一酸化窒素(NO)-サイクリックGMP(cGMP)シグナル伝達経路を強化することで生理的効果を発揮します。
- NOの放出:内皮細胞や神経終末からNOが放出される。
- cGMPの生成:NOは可溶性グアニル酸シクラーゼ(sGC)を活性化し、cGMPの産生を促進。
- PDE5による分解:通常、cGMPはPDE5によって分解され、その作用が制御される。
- PDE5阻害:PDE5阻害薬がPDE5の作用を抑えることで、cGMP濃度が上昇し、血管拡張や筋肉への酸素供給が増加。
これにより、血管平滑筋の弛緩、心拍出量の増加、酸素運搬の効率化が起こります。この効果が運動時のパフォーマンス向上につながる可能性があるのです。
運動パフォーマンスへの影響
心血管疾患患者における運動耐容力の向上
PDE5阻害薬は、心血管疾患を持つ患者の運動耐容力を向上させる効果がよく知られています。これは、PDE5阻害薬が血管拡張作用を持ち、心臓への負荷を軽減し、酸素供給を改善するためです。特に、肺動脈性高血圧症の患者において、PDE5阻害薬は運動能力を向上させることが複数の研究で確認されています。
健康な個人におけるPDE5阻害薬の影響
健康な個人におけるPDE5阻害薬の影響については、まだ十分なデータがありませんが、いくつかの研究が行われています。
通常の酸素濃度での影響
健康なアスリートにおいて、タダラフィル(20 mg)の単回投与は、最大運動テスト中の換気閾値、最大酸素摂取量(VO2max)、運動耐容力、心肺反応に大きな影響を与えませんでした。また、30秒間のウィンゲート無酸素パワーテスト(30秒間全力で自転車を漕ぐ)では、平均およびピークパワー出力には影響を与えませんでしたが、ピークパワーまでの時間を短縮し、回復期の血中乳酸濃度を増加させました。これは、PDE5阻害薬が無酸素性解糖を刺激し、短時間で最大パワーを発揮する必要があるスポーツ(例:短距離走、重量挙げ)において有益である可能性を示唆しています。
低酸素環境での影響
シルデナフィルは、低酸素環境下での運動能力を向上させる効果が報告されています。例えば、高高度を模擬した条件下でのサイクリストやトライアスリートにおいて、シルデナフィル(50 mg–100 mg)は、一回拍出量、心拍出量、動脈酸素飽和度(SaO2)を増加させ、6 kmのタイムトライアル時間を15%短縮しました。ただし、これらの効果には個人差が大きく、シルデナフィルに反応する人と反応しない人が存在します。反応者の場合、タイムトライアルのパフォーマンスが39%向上した一方、非反応者は1%しか向上しませんでした。
また、低酸素ガスを吸入した健康な登山者やトレッカーにおいて、シルデナフィル(50 mg)は、運動中のSaO2を増加させ、安静時および運動中の収縮期肺動脈圧を低下させました。さらに、最大負荷および最大心拍出量をプラセボと比較して有意に増加させました。エベレストベースキャンプ(標高5380 m)での研究でも、シルデナフィルは収縮期肺動脈圧を低下させ、最大負荷および心拍出量を増加させました。
一方で、他の研究では、急性低酸素暴露(標高4000 m)下での安静時および運動中(60% VO2max)において、シルデナフィル(100 mg)がパフォーマンスに影響を与えなかったという結果も報告されています。また、中程度の高度(約2100 mおよび3900 m)での持久力トレーニングを受けた被験者において、シルデナフィル(50 mg)が心血管血流動態、動脈酸素飽和度、ピーク運動能力、15 kmまたは6 kmのタイムトライアルパフォーマンスに影響を与えなかったという結果もあります。
これらの結果の不一致は、標高(PDE5阻害薬は4000 m以上でより効果的である可能性)、低酸素暴露の期間、個人の反応性の違い、ホルモン状態(例:ED患者では血清テストステロンレベルがPDE5阻害薬の反応性に影響を与える)などの要因によるものと考えられます
低酸素環境でのPDE5阻害薬のメカニズム
低酸素環境では、肺胞酸素分圧(pPO2)と動脈酸素飽和度(SaO2)が低下し、肺動脈圧が上昇し、右心への負荷が増加します。PDE5阻害薬は、血管拡張作用および中枢神経系と交感神経系への調節作用(例:機能的交感神経抑制作用)、心拍数、心筋収縮力、肺胞-毛細血管膜の伝導性を改善することで、低酸素環境下での運動能力を向上させる可能性があります。特に、PDE5阻害薬は低酸素運動に対する肺高血圧反応を抑制し、右心室の後負荷を軽減することで、運動能力を向上させると考えられます。
ホルモンの影響
PDE5阻害薬は、単なる血管拡張作用にとどまらず、ホルモン分泌にも影響を及ぼします。
- テストステロンの増加:
- 慢性的なPDE5阻害薬の使用により、血清テストステロン濃度が上昇する可能性が報告されています。
- ある研究では、2週間のタダラフィル投与(20mg/日)で、テストステロン/エストロゲン比が上昇し、筋肉合成に寄与するとされています(Greco et al., 2006)。
- コルチゾールの調節:
- PDE5阻害薬は、運動後のコルチゾール分泌を抑制し、回復を促進する可能性があります。
- 過度なトレーニングによるストレス反応を抑え、オーバートレーニング症候群のリスクを低減する可能性が示唆されています。
アスリートの場合、
・急性タダラフィル投与により、スポーツ競技中に急激に増加した内因性コルチゾールとテストステロンの肯定的な精神物理学的効果が増幅される可能性があります (例: タダラフィルにより運動ストレスへの反応が増加する)
・慢性タダラフィル投与により、運動ストレスに対する副腎ステロイド反応が減少することで、コルチゾール関連のタンパク質異化の減少、テストステロン関連の同化効果の増加、運動からの回復の改善、およびオーバートレーニングのリスクの減少により、トレーニング中に役立つ可能性がある と考えられます。
筋肉への影響
- PDE5阻害薬は、インスリン様の作用を持ち、骨格筋細胞における糖代謝を促進します。
- 特に、クエン酸シンターゼ活性の増加と遊離脂肪酸の利用促進が確認されており、長時間の持久運動におけるエネルギー効率向上が期待されます。
PDE5iは、骨格筋細胞にも直接作用します。in vitroの研究では、タダラフィルの急性暴露が、マウスのC2C12骨格筋細胞の代謝に影響を与え、cGMPシグナリングがエネルギー恒常性の調節にも関与していることが示されています。具体的には、0.5 μMのタダラフィルが無酸素性解糖を誘導し、有酸素代謝を減少させました。
また、ヒトの骨格筋細胞において、タダラフィルは乳酸に影響を与えませんでしたが、クエン酸シンターゼ活性を増加させ、遊離脂肪酸の放出を促進しました。さらに、タダラフィルは、インスリン依存性の細胞内経路(Ras-Raf MAPK、PI3K、Akt、GSK3-β、c-Myc)を活性化し、細胞のエネルギー管理と代謝制御を強化しました。
実践への応用
この研究の知見を活かし、以下の点を実践に取り入れることが可能です。
- 低酸素環境でのトレーニング: 高高度トレーニングや低酸素テントを使用する場合、PDE5iが運動能力を向上させる可能性がありますが、個人差が大きいため、効果を確認しながら使用することが重要です。
- ホルモンバランスの調整: タダラフィルの短期投与は、競技中のストレス反応を増幅し、テストステロンの効果を高める可能性があります。一方、長期投与は、トレーニング中のコルチゾール関連のタンパク質分解を減少させ、回復を促進する可能性があります。
- 筋肉代謝の最適化: PDE5iは、筋肉のエネルギー代謝を最適化し、特に無酸素性解糖を促進する可能性があります。これにより、短時間の高強度運動におけるパフォーマンス向上が期待できます。
結論
PDE5iは、心血管、筋肉、代謝、神経内分泌系に多様な効果を及ぼし、スポーツパフォーマンスを向上させる可能性があります。特に、低酸素状態での運動能力向上や、ホルモン適応、筋肉代謝への影響が注目されます。しかし、これらの効果は個人差が大きく、さらなる研究が必要です。
参考文献
Di Luigi, L., et al. “Phosphodiesterase Type 5 Inhibitors, Sport and Doping.” Current Sports Medicine Reports, 2017, pp. 443-447.
追記:運動パフォーマンス向上目的でのPDE5阻害薬の具体的使用例(エビデンスは限定的です)
PDE5阻害薬の運動パフォーマンス向上目的での使用に関する科学的エビデンスは限られており、適切な用量や期間についての確立されたガイドラインはありません。ただし、既存の研究を参考に、期待される効果ごとに用量と使用期間を整理すると以下のようになります。
低酸素環境での持久力向上
期待される効果:
- 高地(4000m以上)における心拍出量(CO)と酸素飽和度(SaO2)の向上
- 持久力スポーツ(登山、マラソン、トライアスロン)に有利に働く可能性
推奨される薬剤・用量:
- シルデナフィル(バイアグラ):50mg~100mg(運動前1時間以内に服用)
- タダラフィル(シアリス):20mg(長時間作用型、24~36時間持続)
使用期間:
- 高地への適応をサポートする目的で、登山や競技の1~3日前から開始し、滞在中も継続するのが推奨される可能性がある。
研究データ:
- シルデナフィル50mgの投与により、エベレスト・ベースキャンプ(標高5380m)において最大運動負荷が15%向上(Ghofrani et al., 2004)。
平地での持久力向上
期待される効果:
- VO2maxや換気閾値(VT)の向上を期待できるかは不明確。
- 研究では一貫した効果が確認されておらず、持久系スポーツへの明確なメリットは示されていない。
検討しうる薬剤・用量:
- シルデナフィル50mg~100mg(運動前1時間以内)
- タダラフィル20mg(長時間作用型)
使用期間:
- 単回投与での持久力向上効果は不明確。
- 持久系アスリートでPDE5阻害薬を使用した研究では、長期使用による有意なパフォーマンス向上は確認されていない。
研究データ:
- タダラフィル20mgを単回投与した研究では、VO2maxや換気閾値への有意な影響はなかった(Di Luigi et al., 2008)。
無酸素運動(瞬発系スポーツ)の最大出力発揮
期待される効果:
- PDE5阻害薬が解糖系を刺激し、短距離走、重量挙げなどにおいて瞬発的なパワー発揮を向上させる可能性。
- 最大出力到達時間を短縮し、短時間の高強度運動において有利に働く。回復期の乳酸濃度を増加させる。
推奨される薬剤・用量:
- タダラフィル20mg(24~36時間作用):比較的長時間の効果が期待できるため、競技の前日に服用。
- シルデナフィル50mg(即効性):運動の1時間前に服用。
使用期間:
- 競技前の単回投与が有効である可能性がある。
- 短期間(1週間以内)の使用でパフォーマンスへの影響を評価し、効果が確認できた場合に試合前のルーチンとして活用する方法も考えられる。
研究データ:
- ウィンゲートテストでは、タダラフィル20mgを服用した被験者で最大出力到達時間が短縮し、回復期の血中乳酸濃度が上昇(Guidetti et al., 2008)。
まとめ
目的 | 推奨薬剤 | 用量 | 使用タイミング | 効果が期待できるスポーツ |
---|---|---|---|---|
低酸素環境の持久力向上 | シルデナフィル | 50mg~100mg | 運動の1時間前・高地滞在中 | 登山、マラソン、トライアスロン |
タダラフィル | 20mg | 24時間前 | ||
平地での持久力向上 | シルデナフィル | 50mg~100mg | 運動の1時間前 | 効果は不明確 |
タダラフィル | 20mg | 24時間前 | ||
瞬発系スポーツの最大出力発揮 | シルデナフィル | 50mg | 運動の1時間前 | 短距離走、重量挙げ |
タダラフィル | 20mg | 運動の前日 |
注意点
- 個人差が大きい
- PDE5阻害薬の運動への影響は、「レスポンダー」と「ノンレスポンダー」の違いがあり、一部の個体では有意な効果が見られない可能性がある。
- 副作用のリスク
- 低血圧、頭痛、ほてり、消化不良、視覚異常などの副作用が報告されているため、競技前の使用には慎重な評価が必要。
- WADA(世界アンチ・ドーピング機構)の規制
- 現時点ではPDE5阻害薬は禁止リストに含まれていないが、将来的に規制対象となる可能性がある。