外傷性心停止に対する院外蘇生開胸術

医療全般

— ロンドン航空救急(LAA)21年の軌跡と知見から得る実践的示唆 —

はじめに

外傷性心停止(traumatic cardiac arrest: TCA)は、外傷診療において最も厳しい状況の一つです。心拍出が消失し、生命維持が困難になるこの病態は、目撃からわずかな時間内に可逆的原因を取り除けるかどうかに生死がかかっています。これまでTCAは、病院到着前の死亡例として見過ごされてきた経緯がありますが、ロンドン航空救急(London’s Air Ambulance:LAA)が1990年代から実施してきた院外蘇生開胸術(prehospital resuscitative thoracotomy: RT)は、こうした固定観念を覆しうる重要なチャレンジです。

この論文は、1999年から2019年にロンドンで実施された601例のRT症例を解析し、TCAに対するRTの実態と、その有効性を示した貴重なデータを提供しています。ここから得られる知見を、医療従事者や医療政策に関与する知識人の皆様に向け、学術的かつ実践的に解説します。

背景と既存研究の限界

TCAの主因は、大量出血、心タンポナーデ、緊張性気胸などです。いずれも適切な処置が行われれば救命の可能性がある一方で、治療介入のタイミングが数分遅れるだけで不可逆的な低酸素脳症に至ります。この点で、TCAは「時間依存型病態」の典型と言えます。

従来の外傷診療では、TCA発生後は「現場蘇生不能」と判断され、搬送優先(scoop and run)が基本方針でした。特に病院外でのRTは技術的・倫理的ハードルが高く、症例報告レベルにとどまっていました。しかし、TCA全体の約70%が病院到着前に死亡するという現実から、院外での外科的介入が不可避であるとの認識が高まりました。

既存研究は、病院到着後に行われる救命的開胸術(ED thoracotomy)に集中しており、院外RTに関する大規模データはきわめて限られていました。この論文は、都市型航空救急システム下での601例ものRTデータを解析した点で、既存研究にはないスケールと臨床的意義を持っています。

方法と対象

本研究は、ロンドン航空救急(London Trauma System)において、1999年1月1日から2019年12月31日までの間にプレホスピタルRTを実施した601例のTCA患者を対象とした後ろ向きコホート研究です。データは2022年7月から2023年7月にかけて分析されました。対象患者のうち、88.0%が刺創や銃創などの穿通性外傷によるもので、12.0%が鈍的外傷によるものでした。

RTの適応は、穿通性胸部外傷や心タンポナーデが疑われる症例に限定され、心停止から10分以内に実施されることが推奨されました。RTの手技は、迅速かつ簡潔に行われるように設計されており、具体的には以下のステップで行われます。

  1. 第4肋間での両側指開胸術(bilateral thoracostomy)
  2. 自発循環が戻らない場合のクラムシェル開胸術(clamshell thoracotomy)
  3. 逆T字型心膜切開による血液と凝血塊の除去
  4. 心臓損傷の修復
  5. 心臓マッサージと大動脈閉塞、輸液による蘇生

結果の概要

601例のプレホスピタルRTを実施した患者のうち、30例(5.0%)が病院退院まで生存し、そのうち23例(76.7%)が良好な神経学的転帰を示しました。生存率は、TCAの原因によって大きく異なり、心タンポナーデによるTCAでは21.0%(105例中22例)の生存率を示したのに対し、大量出血によるTCAでは1.9%(418例中8例)と極めて低い結果でした。また、心タンポナーデと大量出血が併存した症例では、生存者は1例もいませんでした。

さらに、TCAの持続時間が生存率に大きな影響を与えることが明らかになりました。TCA発生からRT実施までの時間中央値は22分(IQR 17-29分)で、TCA持続時間が15分を超えると心タンポナーデでも生存例なしという厳しい結果が示されています。この結果は、TCAが発生してからRTを実施するまでの時間が、患者の生死を分ける重要な要素であることを示しています。

病態生理

TCAの病態生理学的メカニズムを考察すると、心タンポナーデでは心膜内に血液が貯留することで心臓の拡張が妨げられ、心拍出量が急激に減少します。この状態が持続すると、細胞レベルでの酸素供給が断たれ、不可逆的な細胞死が進行します。

一方、大量出血では、循環血液量の急激な減少により、組織灌流が維持できなくなり、同様に細胞死が進行します。

RTは、これらの病態を迅速に修正するための手段として有効であり、特に心タンポナーデでは心膜内の血液を除去することで心臓の拡張を回復させ、心拍出量を改善することができます。

実践的示唆

本研究の結果から、プレホスピタルRTは、特に心タンポナーデによるTCAに対して有効であることが示されました。しかし、その効果を最大限に発揮するためには、以下の点が重要です。

  1. 迅速な対応:TCAが発生してからRTを実施するまでの時間を最小限に抑えることが不可欠です。救急医療チームは、現場到着後すぐにRTを実施できるよう、十分な訓練と準備が必要です。
  2. 適切な適応:RTは、心タンポナーデが疑われる症例に限定して実施することが推奨されます。大量出血によるTCAでは、RTの効果は限定的であり、他の治療法(REBOA)の検討が必要です。
  3. 継続的な訓練と教育:RTは高度な技術を要する手技であり、救急医療チームは定期的な訓練とシミュレーションを通じて、その技術を維持・向上させる必要があります。

研究の限界

本研究にはいくつかの限界があります。まず、後ろ向き研究であるため、データの欠損やバイアスが生じる可能性があります。また、21年間にわたるデータを分析しているため、その間に治療法や医療技術が進化しており、それが結果に影響を与えている可能性があります。さらに、ロンドンの救急医療システムは高度に発達しており、他の地域や国での一般化には注意が必要です。

結論

プレホスピタルRTは、外傷性心停止、特に心タンポナーデによるTCAに対して有効な治療法です。しかし、その効果を最大限に発揮するためには、迅速な対応と適切な適応が不可欠です。今後の研究では、より多くの症例を対象とした前向き研究や、他の治療法との比較検討が求められます。

参考文献

Perkins ZB, et al. Prehospital Resuscitative Thoracotomy for Traumatic Cardiac Arrest. JAMA Surgery. Published online February 26, 2025. doi:10.1001/jamasurg.2024.7245

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