はじめに:食塩は「白い毒」か、それとも必要不可欠な栄養か
食塩(NaCl)は人類にとって不可欠な栄養素であり、文化や歴史の中でその重要性が語られてきました。しかし現代においては、この必須ミネラルの「過剰」が深刻な健康問題を引き起こしています。世界平均の食塩摂取量は1日10〜15g、すなわちナトリウム換算で170〜260mmolとされ、WHOが推奨する1日5g未満(≒87mmol)の2〜3倍に達しています。この過剰摂取が、年間約500万人の心血管疾患関連死の要因となっているという推計は、事態の深刻さを物語っています。
血圧と食塩:線形かJカーブか
食塩摂取と血圧との関連は、疫学研究やメタ解析から広く支持されています。ナトリウム摂取量が増加すると血圧も直線的に上昇し、心血管疾患リスクも高まるとする「線形モデル」が有力ですが、一部では摂取量が極端に少ない群で心血管イベントがむしろ増加するという「Jカーブ仮説」も提起されています。ただしこのJカーブは、重症疾患患者が低ナトリウム食を指導されていることによる逆因果や、ナトリウム摂取量の測定誤差、共存疾患による交絡の影響も強く、ナトリウム摂取そのものが害であるとは限らない点に注意が必要です。
特に心不全や慢性腎臓病(CKD)患者、または高齢者では、塩分に対する血圧応答性、すなわち「塩感受性」が高く、同量の食塩でも血圧上昇や臓器障害の程度が著しくなる可能性があります。
分子メカニズム:ナトリウムが細胞を動かし、免疫を変える
高ナトリウム環境は、単なる浸透圧の問題にとどまらず、免疫・内分泌・神経系など多様な生体機構に影響を与えます。近年の研究では、塩分過剰が樹状細胞やT細胞の活性化を促進し、インターロイキン-17(IL-17)などの炎症性サイトカインを増加させることが明らかになっています。これは、自己免疫疾患の悪化や血管内皮の障害、さらには腎機能の低下に直結する分子経路です。
さらに、腎臓の近位尿細管ではナトリウムとカルシウムの再吸収が共役しており、ナトリウムの過剰摂取はカルシウム排泄を促進し、尿路結石や骨密度低下のリスクを高めると考えられています。このようなナトリウム代謝のシステムレベルでの変化は、明確な臓器障害として現れることが多く、単なる血圧上昇の副産物では済まされません。
高ナトリウム摂取は、胃がん、肥満、メタボリックシンドローム、自己免疫疾患などのリスク増加とも関連しています 。
食塩制限の個人への効果:減塩はどこまで有効か
短期的な介入試験においては、食塩摂取量を1日5〜8g減らすことで収縮期血圧が平均4mmHg程度低下することが示されています。この効果は、特に高血圧患者や塩感受性の高い人でより顕著です。一方で、6か月以上続く介入では血圧低下効果は減弱する傾向にあり、減塩を「習慣化」することの困難さも浮き彫りになっています。
また、家族単位での減塩介入や、遺伝リスクスコアに基づいた個別対応なども試みられていますが、いずれも小規模試験にとどまっており、長期的なアウトカム改善への波及効果は未だ不明です。
RCTメタ分析でも、塩分摂取量の減少が心血管疾患(CVD)リスクを低下させるという明確な結論は得られていません 。これは、試験デザインや対象集団の違いなどが影響していると考えられます 。ただし、大規模なクラスターRCTであるSSaSS試験では、食卓塩を75% NaCl/25% KClで代替することにより、脳卒中や主要心血管イベントのリスクが低下することが示されました 。
→ 下段の追記参照
塩分摂取の決定要因
加工食品に含まれる「隠れた塩分」
塩分摂取量は、食文化、社会経済的要因、生物学的要因など、多様な要因によって決定されます 。加工食品に含まれる「隠れた塩分」は、個人の裁量による塩分摂取のコントロールを困難にしています 。
遺伝的要因
遺伝的要因も塩分摂取量に影響を与えます。ゲノムワイド関連研究(GWAS)では、食習慣、行動、学習、認知などに関与する遺伝子変異が、ナトリウム摂取量と関連していることが示唆されています 。
塩味の受容には、ENaCなどのナトリウムチャネルが関与しています 。遺伝子多型も塩味の感じ方に影響を与える可能性があります 。
快楽的報酬系
ヒトは生理的必要がなくても塩辛いものを好む傾向(塩味の好み)があります 。これは、快楽的な報酬系が関与していると考えられており、高塩分摂取の一因となる可能性があります 。
塩味は、低濃度では食欲をそそります。また、併せて、高濃度では嫌悪感を引き起こすという二相性の反応を示す5つの基本味の中で唯一の味覚です 。
塩分感受性
塩分感受性とは、塩分摂取量の変化に対する血圧の反応の程度を指します。高齢者、非白人、高血圧患者は、一般的に塩感受性が高いことが知られています 。
Guytonの仮説では、腎臓のナトリウム排泄機能の障害が塩感受性高血圧の主な原因であるとされています 。しかし、近年の研究では、腎臓だけでなく、血管、神経、内分泌、免疫など、多様な要因が塩感受性に関与していることが示唆されています 。
公衆衛生レベルでの介入:政策が成果をもたらす
個人の努力に依存した減塩では限界があります。短期的には効果が期待できますが、長期的な持続可能性には課題があります 。
一方、フィンランドやイギリスなどの国では、政府・産業・教育機関が連携して加工食品のナトリウム含有量を削減し、国民の平均摂取量をそれぞれ−40%(フィンランド)、−15%(英国)まで減らすことに成功しています。これに伴い、CVD死亡率の大幅な低下も報告されており、政策的アプローチの効果を裏付けています。
食品の再配合、ナトリウム課税制度、パッケージラベリングの義務化といった施策は、広範な影響を及ぼす「構造的減塩戦略」として、個別介入を補完・強化する上で極めて重要です。
ナトリウム以外の視点:カリウムと栄養素の相互作用
減塩だけでなく、カリウム摂取の増加が血圧低下や心血管リスクの軽減に寄与することも注目されています。例えばカリウム塩を用いた食塩代替製品は、ナトリウム摂取量を減らしつつ、味を損なわずに健康効果を得る手段として実用化が進んでいます。ただし、慢性腎臓病患者や高齢者では高カリウム血症のリスクがあるため、医師の管理下で慎重に使用する必要があります。
また、果糖など他の栄養素も血圧調節に関与しており、食事全体の質の改善が求められます。地中海食などが推奨される理由もこの文脈にあります。
モデリングによる将来予測:500万年分の健康寿命を守る
世界的なモデリング研究では、平均的なナトリウム摂取量を1日2g(約5gの食塩)減らすことで、収縮期血圧が平均3.47mmHg低下し、主要心血管イベントが10%、全死亡が6%減少すると推定されています。これにより、世界全体で年間500万DALYs(障害調整生存年)以上が節約される可能性があります。これは、ワクチン政策や禁煙政策と並ぶ公衆衛生上の大きな利益であり、今後の政策設計の根拠ともなります。
塩分制限が逆効果になる場合:例外も存在する
すべての人に食塩制限が有効とは限りません。高齢者や低ナトリウム血症を起こしやすい疾患(例:副腎不全、Bartter症候群など)を持つ患者では、厳格な減塩が脱水や腎機能障害を引き起こすリスクがあるため注意が必要です。食塩はあくまで「用量」が問題であり、ゼロを目指すのではなく、過剰を避けることが重要なのです。
明日からできる実践的アクション
・加工食品や外食の頻度を見直し、成分表示を確認してナトリウム含有量に注意を払いましょう。
・カリウムを多く含む果物や野菜(例:バナナ、ほうれん草)を意識的に取り入れることが推奨されます。
・ナトリウムを減らしつつ味覚を満足させる工夫として、出汁や香辛料を活用しましょう。
・家庭での料理では、1日6g以下を目指して段階的に減塩を試みることが現実的です。
まとめ
過剰な塩分摂取は、高血圧やCVDのリスクを高めることが多くの研究で示されています。減塩は、集団全体でCVDを予防するための重要な戦略です。
参考文献
Hunter, R. W., Bailey, M. A., & Meredith, P. A. (2022). The impact of excessive salt intake on human health. Nature Reviews Nephrology, 18(5), 321–335. https://doi.org/10.1038/s41581-022-00547-9
追記:食塩・ナトリウムと心血管疾患の関係の臨床試験
疫学研究(コホート研究)の知見
疫学研究、特に前向きコホート研究では、食塩・ナトリウム摂取量と心血管疾患リスクの関連が比較的一貫して示されています:
- Strazzulloらによる13の前向き研究(約17.7万人)のメタ分析では、高い塩分摂取と脳卒中リスク上昇の関連が示されました(相対リスク1.23、95%CI 1.06-1.43)[1]
- Zhuらによる16の前向きコホート研究(約20.6万人)のメタ分析では、ナトリウム摂取量が100mmol/日増加すると脳卒中発症リスク(RR 1.10、95%CI 1.01-1.19)と脳卒中死亡リスク(RR 1.28、95%CI 1.07-1.54)が有意に上昇することが示されました[2]
しかし、これらの観察研究には、食事パターンや他の生活習慣要因など様々な交絡因子が存在するため、因果関係を強く主張するには限界があります。
RCT(ランダム化比較試験)の知見
一方、RCTについては、2019年のCochraneレビューが8つのRCT(約7,300人)を分析していますが、食塩制限による明確な死亡リスク低減効果は証明されていませんでした[3]:
- 正常血圧者での全死亡リスク比:0.90(95%CI 0.58-1.40)
- 高血圧者での全死亡リスク比:0.99(95%CI 0.87-1.14)
このレビューは「ランダム化比較試験のメタ分析では、心血管疾患や死亡率への食塩制限の臨床的に重要な効果を確認するには統計的検出力が不十分」と結論づけています。
SSaSS試験の特徴と重要性
そのような状況で、2021年にNEJMに発表されたSSaSS(塩代替と脳卒中研究)試験は、以下の点で画期的でした。
1 大規模(約21,000人)で長期間(平均4.7年)のランダム化比較試験
2 明確なアウトカム:
- 脳卒中発症率:14%低下(29.14対33.65/1000人年、RR 0.86、P=0.006)
- 主要心血管イベント:13%低下(RR 0.87、P<0.001)
- 全死亡率:12%低下(RR 0.88、P<0.001)
3 介入方法:通常の食塩(100%塩化ナトリウム)を塩代替物(75%塩化ナトリウム、25%塩化カリウム)に置き換え
4 地域社会ベースの介入:中国農村部の600村を対象
SSaSS試験は、減塩とカリウム増加の両方の効果を組み合わせた介入であり、純粋な減塩だけでなく、塩化カリウムの追加によるカリウム摂取増加の効果も含んでいる点に注意が必要です。
WHOの最新ガイドライン
WHOは2023年8月に最新のガイドラインを発表し、心血管疾患リスク低減のため、成人は1日あたり2g未満のナトリウム(食塩5g未満)を摂取するよう推奨しています[4]。さらに2025年には、一般的な食塩をカリウム強化の塩代替物に置き換えることを推奨する新ガイドラインも発表しました[5]。
結論
現在の科学的証拠を総合すると
- 疫学研究では食塩・ナトリウム摂取と心血管疾患(特に脳卒中)リスクの関連は一貫して示されています
- RCTでは以前は明確な効果を示す大規模試験が限られていましたが、SSaSS試験が心血管疾患と死亡リスク低減の明確なエビデンスを提供しました
- SSaSS試験は塩化ナトリウムの一部を塩化カリウムに置き換える介入であり、ナトリウム減少とカリウム増加の両方の効果が含まれています
- 減塩とカリウム強化の併用は、WHOを含む国際的なガイドラインで現在推奨されています
「疫学研究では一貫した関連が示されるが、RCTではSSaSSが唯一の明確な例に近い」といえます。今後は、SSaSSの知見に基づいた新たな公衆衛生戦略の展開が期待されています。
[1]: Strazzullo P, et al. Salt intake, stroke, and cardiovascular disease: meta-analysis of prospective studies. BMJ. 2009
[2]: Zhu Y, et al. Association of sodium intake and major cardiovascular outcomes: a dose-response meta-analysis of prospective cohort studies. BMC Cardiovascular Disorders. 2018
[3]: Adler AJ, et al. Reduced dietary salt for the prevention of cardiovascular disease. Cochrane Database of Systematic Reviews. 2014; updated 2019
[4]: WHO. Reducing sodium intake to reduce blood pressure and risk of cardiovascular disease. 2023
[5]: WHO. Use of lower-sodium salt substitutes: WHO guideline. 2025
こちらも参照ください。