はじめに
睡眠は、人間の生物学において基本的な要素であり、心血管疾患(CVD)のリスクに大きな影響を与えることが近年の研究で明らかになってきました。2022年、アメリカ心臓協会(AHA)は「Life’s Essential 8」フレームワークに睡眠時間を加え、成人が1日7~9時間の睡眠を目指すことを正式に推奨しました。本解説では、睡眠時間、規則性、質が心血管健康に与える影響について、最新の論文を基に解説します。
睡眠の定義と測定
睡眠の健康には、睡眠時間、規則性、質、アーキテクチャー(睡眠の構造)など、複数の次元が含まれます。従来の研究では主に睡眠時間に焦点が当てられてきましたが、近年では睡眠の規則性や質が独立したリスク因子として注目されています。
- 睡眠時間:総睡眠時間を指し、通常は一晩または24時間単位で測定されます。自己報告による睡眠時間は客観的測定よりも過大評価される傾向がありますが、ウェアラブルデバイスやポリソムノグラフィー(PSG)を用いた客観的測定が増えています。
- 睡眠規則性:睡眠時間や睡眠開始時刻の夜間変動を指します。睡眠規則性指数 Sleep Regularity Index(SRI)は、断片化された睡眠、可変的な開始・終了時間、昼寝などを考慮した包括的な指標です。
- 睡眠の質:睡眠効率、中途覚醒時間(wake time after sleep onset ;WASO)、夜間覚醒回数、睡眠断片化指数などが含まれます。良好な睡眠質は、睡眠開始潜時が15分未満、夜間覚醒が1回以下、WASOが20分以下、睡眠効率が85%以上と定義されます。
睡眠と全死因・心血管死亡率
睡眠時間が短い(7時間未満)または長い(9時間以上)場合、全死因および心血管死亡率が増加することが複数の研究で示されています。例えば、Emory Cardiovascular Biobankに登録された2,846名を対象とした研究では、短時間睡眠(<6時間)群は、最適な7〜9時間群に比べ、全死亡率が有意に高く(ハザード比1.24)、さらに心血管死亡率も独立して上昇することが示されました。興味深いことに、長時間睡眠(>9時間)も全死亡率は上昇するものの、心血管死亡率との独立関連は確認されませんでした。
さらに、睡眠規則性が死亡率の強力な予測因子であることが、UK Biobankの大規模前向きコホート研究で示されました。高いSRIを持つ参加者は、低いSRIを持つ参加者に比べて20~48%死亡率が低く、特に心血管代謝死亡率のリスクが大幅に減少しました。
MESA(Multi-Ethnic Study of Atherosclerosis)では、客観的な睡眠データを用いて睡眠パターンを解析し、規則的かつ適切な睡眠をとる群は、そうでない群に比べて死亡リスクが39%低下することが示されました。睡眠時間の確保のみならず、毎晩の「時間のズレを減らす」という行動が、長期的な健康を支えるカギとなるのです。
睡眠と心血管代謝疾患(メタボリックシンドローム)
睡眠と心血管代謝疾患(MetS;メタボリックシンドローム)の関係についても多くのエビデンスが蓄積されています。MetSは、高トリグリセリド、低HDLコレステロール、高血圧、中心性肥満、空腹時高血糖などのリスク因子の集合体です。
- 睡眠時間:短い睡眠時間と長い睡眠時間の両方がMetSの有病率と関連していますが、短い睡眠時間のみが発症リスクと関連しています。例えば、36の横断研究と9つの縦断研究のメタ分析では、短い睡眠時間がMetSの発症リスクを28%増加させることが示されました。
- 睡眠規則性:睡眠時間や開始時刻の変動が大きいほど、MetSのリスクが高まります。MESA睡眠研究では、睡眠開始時刻の標準偏差が1時間増加するごとに、MetSの発症リスクが36%増加しました。
- 睡眠の質:睡眠質の低さもMetSと関連しています。16の観察研究のシステマティックレビューでは、睡眠質が低いとMetSのリスクが37%増加することが示されました。
睡眠と動脈硬化性疾患(ASCVD)
睡眠の異常は、冠状動脈疾患(CAD)、心筋梗塞(MI)、脳卒中、末梢動脈疾患(PAD)、および亜臨床動脈硬化のリスクを高めます。
- 睡眠時間:短い睡眠時間と長い睡眠時間の両方がCADのリスクと関連しています。例えば、2007-2008年の国民健康栄養調査(NHANES)では、短い睡眠時間(6時間未満)が心筋梗塞の有病率と、長い睡眠時間(8時間以上)がCADの有病率と関連していました。
- 睡眠規則性:不規則な睡眠は、ASCVDの発症リスクを高めます。MESA睡眠研究では、睡眠時間の標準偏差が120分以上の場合、冠状動脈石灰化のリスクが増加しました。
- 睡眠の質:睡眠質の低さもCADと関連しています。イタリア人男性を対象とした研究では、重度の睡眠障害がCVDリスクを80%増加させることが示されました。
こちらも参考に。
睡眠改善のためのエビデンスに基づく介入
睡眠健康を改善するための介入策として、以下のような方法が推奨されています。
- 睡眠衛生:AASMは、一貫した睡眠スケジュールを維持し、毎晩7時間以上の睡眠を確保することを推奨しています。また、寝室を暗く保ち、就寝前の電子機器の使用を制限することも重要です。
- 認知行動療法(CBT-I):慢性不眠症の治療には、CBT-Iが強く推奨されています。薬物療法も存在しますが、エビデンスは限られています。
- デジタルヘルス:ウェアラブルデバイスを用いた睡眠モニタリングは、リアルタイムのフィードバックを提供し、睡眠障害の診断と治療に役立ちます。
予防心臓病学への示唆
睡眠健康の重要性が高まる中、心臓病専門医は睡眠障害のスクリーニングや睡眠衛生の指導を行うべきです。具体的には、Epworth Sleepiness Scaleなどの検証済みツールを使用し、患者の睡眠パターンを評価することが推奨されます。
限界(Limitation)
- 多くの研究が観察研究であり、因果関係の証明には至っていません。
- 睡眠評価に自己申告が多く、測定誤差の可能性があります。
- 睡眠パラメータ間の交互作用や、昼寝・シフト勤務の影響は未解明です。
- 長期的介入研究が不足しており、睡眠改善がCVDリスク低減につながる直接的証拠は不十分です。
今後の研究方向
睡眠改善が心血管リスクを実際に減少させるかどうかを検証する臨床試験が必要です。また、人種、民族、性別による睡眠健康の差異が心血管転帰に与える影響についても、さらなる研究が求められています。
結論
睡眠は心血管健康を維持する上で重要な役割を果たします。AHAの「Life’s Essential 8」フレームワークに睡眠時間が加わったことは、睡眠健康の重要性を強調する一歩です。予防心臓病学において、睡眠健康を優先し、患者に健康的な睡眠習慣を指導することが重要です。
参考文献
Amin, K. D., Thakkar, A., Budampati, T., Matai, S., Akkaya, E., & Shah, N. P. (2025). A good night’s rest: A contemporary review of sleep and cardiovascular health. American Journal of Preventive Cardiology, 21, 100924. https://doi.org/10.1016/j.ajpc.2024.100924