序論:問題の重要性
心不全患者の約半数を占めるとされるHFpEF(Heart Failure with Preserved Ejection Fraction:左室駆出率保持型心不全)は、現代の医療における重要な課題の1つです。しばしば「心機能は保たれている」と軽視されがちですが、実際の臨床現場では重篤な運動不耐性と著しいQOLの低下をもたらしています。
HFpEF患者の特徴として、運動耐容能の顕著な低下が認められ、健常者と比較してピーク酸素摂取量(peak VO₂)が約35%低下しています(9-15 mL/kg/min)。この値は、駆出率が低下した心不全(HFrEF)の重症例と同程度の運動能力低下を示しています。
この2025年の最新レビューは、HFpEFにおける運動不耐性の背景に、単一の心機能障害だけでなく、多層的で全身的な異常が絡み合っていることを明らかにしています。
正常な運動時の心血管応答:比較のための基準
HFpEFにおける運動耐容能低下の病態を理解するためには、まず健常者における運動時の正常な心血管応答を理解することが重要です。
運動能力は一般に酸素摂取量(VO₂)で定量化され、心拍出量(CO)と動静脈酸素含量較差の積として表されます。運動時の酸素供給と末梢での酸素抽出を促進するためには、いくつかのメカニズムが協調して働きます。
第一に、心拍出量の増加があります。心拍出量は心拍数(HR)と1回拍出量(SV)の積で決定されます。SVの増加は、心室拡張末期容積(EDV)の増加に伴う心筋細胞の伸展(Frank-Starlingメカニズム)と、交感神経活動の亢進による収縮力増強(β受容体を介した機序)によってもたらされます。興味深いことに、高強度運動時における心拍出量増加の主要な決定因子は心拍数であり、SVではなくなります。実際、健常成人における最大運動時の酸素摂取量は安静時の約8倍に増加し、心係数は約3倍増加します。この変化は、心拍数(2.5倍)、左室1回拍出量(1.5倍)、末梢酸素利用率(2.5倍)の増加によって達成されます。
右室前負荷の増加は、静脈還流量の増加(特に内臓血液量の再分配と骨格筋ポンプ作用による)によって調節されます。右室SVの増加は左心の充満を促進し、左室EDVとSVを増加させます。健常者では、心室拡張機能が適切に保たれているため、EDVの増加に伴う拡張末期圧(EDP)の過度な上昇は起こりません。
従来の概念からの転換
従来、HFpEFの運動耐容能低下は左室の拡張機能障害に起因すると考えられてきました。しかし近年、以下のように、左室の収縮・拡張機能の微細な異常に加え、左房、右室、肺循環、骨格筋、血管、自律神経、内分泌系、さらには慢性炎症や肥満に至るまで、実に多彩な要因が関与していることがわかってきました。
心臓自体の異常
- 左室収縮予備能低下(安静時EFは正常でも運動時の反応不良)
- 左房機能障害(コンプライアンス低下、拡張)
- 右室機能不全(80%の症例で肺高血圧を合併)
- 弁膜症(大動脈弁狭窄症や僧帽弁閉鎖不全症)
- 心拍数・リズム障害(変時性応答不全、心房細動)
心外臓器の関与
- 血管内皮機能障害(NO産生減少、酸化ストレス増加)
- 呼吸器系異常(肺高血圧、ガス交換障害、呼吸筋力低下)
- 骨格筋異常(Type 1筋線維減少、ミトコンドリア機能障害)
- 神経内分泌活性化(交感神経亢進、RAAS系の過活動)
併存疾患の影響
- 肥満(全患者の約50%、心外膜脂肪の機械的圧迫)
- 貧血(40%以上の患者に認められる)
- 慢性炎症(内皮機能障害増悪)
心臓のポンプ機能障害
左室の拡張機能障害
従来、HFpEFにおける運動耐容能低下の主要なメカニズムは左室の拡張機能障害と考えられてきました。左室の拡張障害は、心筋の弛緩障害(エネルギー依存性の能動的過程)とコンプライアンス低下(受動的過程)によって特徴づけられます。分子レベルでは異常なカルシウム調節、心筋肥大、間質線維化が関与しています。
左室収縮機能の予備能低下
特に注目すべきは、安静時EFが正常でも、運動時の収縮予備能が低下している点です。左室収縮機能障害には、微小循環障害や末梢動脈コンプライアンスの低下(特に大動脈)による心室-血管カップリングの障害など、血管性因子が関与しています。
血管内皮機能障害により一酸化窒素(NO)の生合成が減少し、活性酸素種(ROS)の産生が増加することで、心筋細胞の硬化と肥大、間質コラーゲン沈着が促進されます。この異常なシグナル伝達カスケードが、左室の機能障害を引き起こすと考えられています。
左房機能障害
左房の構造的変化(拡大、線維化)も重要です。左房は本来、心周期を通じて「貯留槽」「導管」「ポンプ」として機能しますが、HFpEF患者では、左房拡大を伴う線維化変化とコンプライアンスの低下が観察されます。左房サイズは左房圧の上昇に比例して増大し、その進行は圧上昇の慢性的な程度と持続時間に関連します。
左房機能障害は心房細動の発症リスクも高め、さらに運動能力を低下させます(peak VO₂が1-3 mL/kg/min減少)。
肺循環と右心機能
HFpEF患者の約80%に肺高血圧が認められ、予後不良と関連しています。左室充満圧の上昇が肺静脈圧を上昇させ、最終的に肺動脈高血圧を引き起こします。慢性的な肺動脈圧上昇は肺血管リモデリングと肺血管抵抗(PVR)の増加をもたらします。
運動時の肺動脈圧上昇は特に顕著で、肺血管リモデリングと右心機能不全を進行させます。肥満を合併するHFpEF患者では、心外膜脂肪による機械的圧迫も加わり、右室機能がさらに障害されます。肥満HFpEF患者では、非肥満と比較して、運動誘発性の肺動脈圧上昇がより顕著で、肺血管拡張が不十分であることが報告されています。
心拍数・リズム障害
変時性応答不全(Chronotropic Incompetence)
健常者では、運動時の心拍数増加が心拍出量増加の主要な決定因子となります。HFpEF患者の30-50%に、運動に適応した心拍数増加が得られない「変時性応答不全(Chronotropic Incompetence)」が認められます。ある研究では、同年齢の対照群と比較して、ピーク心拍数が約25%(39拍/分)低下していたと報告されています。
心房細動
心房細動はHFpEFの確立された危険因子であり、この集団における有病率は39-65%と報告されています。心房細動単独でも、運動時のpeak VO₂が約1-3 mL/kg/min低下し、洞調律回復後少なくとも部分的に可逆的であることが示されています。
永続性心房細動を伴うHFpEF患者では、運動負荷時のうっ血増悪と心拍出量低下が確認されています。
末梢臓器の関与
血管内皮機能障害
血管内皮機能障害はHFpEFの重要な特徴です。内皮細胞からの一酸化窒素(NO)産生が減少し、代わりに活性酸素種(ROS)が増加します。これにより、血管拡張能が低下し、活動筋への酸素輸送が障害され、運動耐容能が低下します。さらに心筋の硬化と肥大が促進されます。
骨格筋の変化
骨格筋の変化も無視できません。HFpEFでは、筋肉量の減少や毛細血管密度の低下、さらにはミトコンドリア機能の障害が生じており、運動時の酸素抽出効率が低下しています。これは「peripheral oxygen utilization defect」と呼ばれ、心拍出量は正常でもVO₂が上がらない主因となります。
HFpEF患者では、Type 1(遅筋)線維が減少し、ミトコンドリア機能が低下しています。これにより、酸化的リン酸化によるATP産生が減少し、運動持続能力が低下します。
さらに、骨格筋における代謝産物の蓄積(乳酸、H⁺、ATPなど)は、エルゴ反射を介して過度な交感神経活性化を引き起こし、心拍・血圧の異常反応をもたらします。このような異常な反射制御は「筋仮説(muscle hypothesis)」としても知られています。
呼吸筋力の低下
HFpEFにおける運動耐容能低下は、呼吸筋機能障害によっても説明できます。最近の研究で、HFpEF患者に呼吸筋力の低下が確認され、これが換気効率の低下と呼吸困難に関連していることが明らかになりました。この呼吸筋力の低下(特に吸気筋)は当然、運動耐容能に影響します。呼吸筋トレーニングにより、peak VO₂や6分間歩行距離が改善することが確認されています。
神経内分泌的影響:RAASと交感神経系の役割
HFpEFでは、根本的な原因に関わらず、神経内分泌機能の変化が伴います。これらの変化には、レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系(RAAS)の活性化増加が含まれ、これは交感神経活動の亢進と迷走神経活動の低下と同時に起こります。心拍出量の低下に伴い、交感神経系とRAASが活性化され、循環中のノルエピネフリンとアンジオテンシンIIのレベルが上昇します。これらの神経ホルモンは末梢血管収縮とアルドステロンの分泌を促進します。これらの神経ホルモンは初期には有益ですが、慢性的に持続すると有害になります。
併存疾患
肥満、糖尿病、貧血、鉄欠乏、慢性腎臓病などの併存疾患は、HFpEFの病態を著しく修飾します。肥満は内臓脂肪による慢性炎症を通じて血管内皮機能を障害し、NOの産生を抑制します。結果として、血管拡張能が低下し、筋血流が制限されます。
一方、鉄欠乏(ヘモグロビンとは無関係な機能的鉄不足)は、骨格筋ミトコンドリアの電子伝達系を阻害し、筋機能低下とVO₂の低下を招きます。最近の研究では、静脈鉄補充療法がHFpEFの運動耐容能を改善する可能性も示唆されています。
診断的アプローチ
HFpEFの診断では、運動負荷時の血行動態評価が有用です。特徴的な所見として:
- 運動開始早期からの肺動脈楔入圧(PCWP)の急上昇
- 心拍出量の増加不良
- 動脈血酸素飽和度の低下
ただし、検査方法(立位vs仰臥位、トレッドミルvsエルゴメーター)によって結果が異なる点に注意が必要です。最近の研究では、仰臥位運動でHFpEFと診断された患者の半数が、立位運動では基準を満たさなかったと報告されています。
治療戦略の最新知見
非薬物療法
運動トレーニングは、HFpEF患者の運動耐容能を改善する最も確立された非薬物療法です。運動トレーニングの利点は主に末梢成分(骨格筋と血管機能の改善)を通じて発揮され、心拍出量への影響は限定的です。特に、以下の点が重要です。
- 有酸素運動トレーニングによりpeak VO₂が10-15%改善
- 筋力トレーニングを組み合わせた複合トレーニングがより効果的
- 呼吸筋トレーニングにより換気効率が改善し、QOLが向上
- 12週間以上の継続的なプログラムが推奨
薬物療法
SGLT2阻害薬
- ダパグリフロジンが体重減少、PCWP低下、動脈コンプライアンス改善を通じて運動能力を改善
- 右室-肺血管連関の改善効果も報告
GLP-1受容体作動薬
- セマグルチドが肥満HFpEF患者の運動耐容能を改善
- 体重減少以外の多面的効果が期待
鉄補充療法
- 鉄欠乏性貧血の改善により運動能力向上
- 静脈内投与が推奨される場合が多い
併存疾患管理
- 心房細動のリズムコントロール(洞調律維持が重要)
- 高血圧管理(過度の降圧は避ける)
- 肥満管理(食事と運動の併用)
結論:統合的な管理戦略に向けて
HFpEFにおける運動耐容能低下は、単なる左室拡張機能障害ではなく、心臓と心外臓器の複雑な相互作用によって引き起こされる症候群です。その病態には左心機能障害(収縮・拡張予備能低下、左房機能障害、弁膜症)、右心-肺血管連関の異常、心拍数・リズム障害、血管内皮機能障害、呼吸筋機能不全、骨格筋異常、神経内分泌活性化、貧血、肥満などが関与しています。
重要なのは、これらのメカニズムの寄与度が患者ごとに異なることです。したがって、効果的な治療戦略を立てるには、個々の患者の表現型を正確に評価し、最も障害されているシステムを標的とした個別化アプローチが必要です。現在のところ、運動トレーニングが最もエビデンスに基づいた介入ですが、SGLT2阻害薬やGLP-1受容体作動薬などの新しい薬剤も期待されています。
参考文献
Pecchia B, Samuel R, Shah V, Newman E, Gibson GT. Mechanisms of exercise intolerance in heart failure with preserved ejection fraction (HFpEF). Heart Fail Rev. 2025. https://doi.org/10.1007/s10741-025-10504-3