はじめに
2025年某日某所、深夜に裸で叫ぶ30代女性が目撃され、警察官により保護された直後に意識を消失し、数時間後に死亡が確認されました。この事例は、その異常行動と突発的な死の経過から、「興奮性せん妄;Excited Delirium Syndrome(ExDS)」という概念を想起させます。本稿では、この事例に見られる病態を、臨床的・病理生理学的観点から多角的に検討し、可能性の高い直接死因について考察します。
異常行動から突然死までの臨床的経過
通報によれば、深夜3時半ごろに「女性が何かを叫んでいる」との110番通報があり、警察が現場に急行。発見時、女性は衣服を着ておらず、大声を上げながら警察官に向かってきたため、2名の警察官がうつ伏せにして保護。その直後、女性は意識を失い、搬送先の病院で約6時間後に死亡が確認されました。女性の死因、薬物・アルコールの摂取歴、精神疾患の既往などは現時点で不明ですが、行動の異常性と急激な死亡経過から、単なる精神病性障害とは異なる病態の存在が疑われます。
Excited Delirium Syndrome(ExDS)の特徴
脳や神経系の構造的・生理学的異常によって意識、注意、方向感覚、記憶、思考、行動などが混乱する複雑な神経精神症候群である「せん妄(Delirium)」の一亜型として、「Excited Delirium Syndrome(ExDS)」があります。その名称は1985年頃から使用されるようになり、主に興奮型のせん妄表現型を指します。
Etiology(病因)
ExDS は、併存症(精神疾患や代謝異常、熱中症など)や向精神薬、覚醒剤などの急性・慢性の多因子的な相互作用によって引き起こされるとされます。
ごく稀に感染症、代謝異常、甲状腺クリーぜなどでExDSが発症することはあり得るようですが、現実的には、ExDSは基本的には薬物使用によって惹起されると考えて良さそうです。
特に中枢刺激薬(メタンフェタミン、コカイン、MDMAなど)の関与が強く示唆されており、薬物使用歴がある場合、ExDSは極めて致死的となり得ます。
Epidemiology(疫学)
主に若年〜中年の成人に発症します。大規模疫学調査は乏しいですが、コカインや向精神性刺激薬の使用増加とともに報告が増加しています。死亡率や高リスク群の詳細なデータは限られています。
Pathophysiology(病態生理)
ExDS は、線条体における過剰なドーパミン刺激と、カテコラミン系刺激薬の急性曝露が複合して発症するとされます。これにより自律神経過活動や代謝異常が引き起こされることが報告されています。
症状・徴候
急激に発現する激しい興奮、攻撃性、異常な筋力、意味不明な発語、幻覚・錯乱、脱衣行動、異常な体温上昇などを特徴とします。身体的には発汗過多、高温、多動、嘔吐、筋攣縮、呼吸障害などが観察されます。
これらの症状はしばしば警察や医療機関による身体的拘束を伴う場面で出現し、その直後に急性の心停止に至ることがあります。
今回報道された女性の全裸、叫声、警察への突進という行動パターンは、ExDSの臨床像と極めて類似しており、警察による拘束が死亡のトリガーとなった点からも、強く疑われます。
治療・管理
安全確保が最優先であり、物理的拘束や化学的鎮静(例:ケタミン、ドロペリドール)が用いられます。著しい筋活動による横紋筋融解(Rhabdomyolysis)や心停止のリスクがあり、最小限の拘束による迅速な鎮静が推奨されます。
病態生理:なぜ突然死に至るのか?
ExDSにおける突然死の背景には、以下のような多層的な病態が関与しています。
1. 交感神経系の過剰興奮
興奮状態では視床下部-交感神経-副腎髄質系が活性化され、大量のノルアドレナリンとアドレナリンが分泌されます。この「カテコラミンストーム」は心拍数と血圧を急上昇させ、心筋の酸素需要を著明に増加させます。たこつぼ型心筋症(ストレス心筋症)の続発の可能性もあります。
2. 心臓の電気的活動の障害
多くの抗精神病薬(ハロペリドール、クロルプロマジンなど)や一部の違法薬物(MDMA、メタンフェタミン、コカイン)は心電図におけるQT延長を誘発します。
QT延長が著しい場合、心室内再分極の異常、心室性不整脈、トルサード・ド・ポワント(TdP)が誘発され、持続性になると心室細動(VF)に進展 → 急死につながります。
3. コカイン・アンフェタミンなどによる冠攣縮
コカインやメタンフェタミンは交感神経系を著しく刺激し、冠動脈攣縮(vasospasm)を引き起こします。これにより、一過性のST上昇型心筋梗塞や、心室性不整脈による突然死を招くことがあります。
4. 高体温と代謝破綻
ExDSでは、骨格筋の過活動、精神興奮、環境要因(屋外・真夏など)により著しい体温上昇が起こります。体温が41℃を超えると、細胞膜機能が破綻し、横紋筋融解が進行。これにより放出されたカリウムが高カリウム血症を引き起こし、致死的不整脈の誘因となります。また、乳酸アシドーシスも心筋収縮能を低下させ、心停止を加速します。
5.徐脈
強い疼痛や圧迫、恐怖により迷走神経が過剰興奮 → 急激な徐脈・血圧低下という病態もありえます。特に、もともと脱水や薬物中毒で自律神経が不安定な状態では、反射性心停止(asystole)を誘発することもあります。
また、観察された心電図波形のうち、心停止直前の心律として最も多かったのはbrady-asystoleやPEAで、心室細動は極めてまれだったとする研究もあります。これは、ExDSにおける死亡が典型的な致死性不整脈(例:VT, VF)によるものではなく、代謝性アシドーシスや過剰な交感神経刺激、呼吸不全の延長線上で生じる循環停止によることを示唆しています。
6. 拘束に伴う体位性窒息
本事例のように、うつ伏せでの拘束(prone restraint)は胸郭と腹部の運動を制限し、呼吸筋の動きを抑制します。特に興奮状態にある者は酸素消費量が極端に増加しており、軽度の換気障害でも致命的な酸素不足を来す可能性があります。これを「体位性窒息(positional asphyxia)」と呼び、法医学的には拘束死の原因の一つとして注目されています。
なぜ高体温になるのか?
ExDSで高体温が生じる理由は、以下のような神経生理学的・薬理学的要因が重なって引き起こされると考えられています。
1. 中枢神経系のドーパミン異常と自律神経の暴走; ドーパミン過剰活性化
- コカインなどの刺激薬はドーパミントランスポーター(DAT)を阻害し、ドーパミンの再取り込みを妨げてシナプス間隙におけるドーパミン濃度を異常に高めます。
- ドーパミンは視床下部(とくに視索前野や後部視床下部)における体温調節中枢の活動にも関与しており、過剰なドーパミン刺激がその調節機能を破綻させます。
- これにより、体温の上昇を抑える機構が効かなくなり、持続的な交感神経刺激による代謝亢進と熱産生増加が起こります。
2. 交感神経系の異常興奮(カテコラミン・サージ);交感神経刺激による代謝亢進
- EXDではカテコラミン(特にノルアドレナリン)の大量分泌が生じ、心拍数や血圧上昇だけでなく骨格筋の代謝亢進、熱産生亢進が起こります。
- これは、戦闘的・逃走的な反応(”fight or flight”)の極端な状態であり、体温調節を破綻させる大きな要因です。
3. 筋活動の異常亢進と熱産生;過度な身体活動・興奮・格闘行動
- EXDの特徴である予想外の筋力や激しい身体運動(例:叫ぶ、走る、暴れる)は大きな熱を発生させます。
- 脱衣・冷水浴などの行動がしばしば観察されるのは、本人が体温上昇を主観的に自覚している証拠でもあります。
4. 熱放散機構の破綻; 発汗・皮膚血管拡張の障害
- 興奮状態では皮膚血管が収縮しやすく、発汗機能も低下するため、熱放散が妨げられます。
- この状態が継続すると、体温が上昇し続け、40℃を超える重篤な高体温になることがあります。
5. 分子マーカーの証拠;Heat Shock Proteinの上昇
- Mashらの研究では、熱ショックタンパク質(HSP70)が1.8〜4倍に上昇しており、体内の熱ストレスに対する分子的反応が亢進していることが示されています。
- これは、EXDが致死的な高体温状態にあることを裏付ける分子病理学的所見です。
他の鑑別診断の可能性
ExDS以外にも、薬物誘発性の急性冠攣縮やQT延長による多形性心室頻拍、熱中症、甲状腺クリーゼ、電解質異常などが突然死の原因となることがあります。しかし、これらの多くは通常、興奮状態や裸での異常行動を伴わず、ExDSのような“極限状態”を経ての心停止とは経過が異なります。
また、統合失調症や双極性障害による急性精神病性障害も鑑別に挙げられますが、これらは基本的に生理的破綻を伴わないため、死亡リスクはExDSに比べて格段に低いとされます。
感染・代謝性病態との関連
一部では、高アンモニア血症、低血糖、電解質異常、甲状腺中毒症、感染性脳炎などがExDS様の錯乱状態を引き起こすことがあります。これらは「ExDS様状態」として法医学・救急医学で区別されることがありますが、典型的には代謝性の数値異常や感染所見を伴います。本症例では、現時点では情報が不足しており不明です。
今後の検証と課題
本事例における正確な死因を特定するには、以下の医学的検証が不可欠です。
- 血中・尿中の薬物スクリーニング
- 電解質・CK・ミオグロビン・トロポニンなどの血液検査
- 頭部・胸部CTによる出血・心タンポナーデの除外
- 解剖所見(心筋壊死、横紋筋融解、肺うっ血、気道閉塞など)
- 警察による制圧状況の詳細記録(体位、時間、呼吸の有無)
特に法医学の分野では、ExDSによる死因認定はしばしば議論を呼び、社会的にも重要な問題を孕んでいます。実際、過去の事例ではExDSという診断が、警察の過剰拘束を正当化する手段として使われるとの批判も存在しており、臨床と社会正義の両面で慎重な検討が求められます。
結論
今回の事例は、臨床経過・症状・警察拘束後の急死という点において、Excited Delirium Syndrome(ExDS)の典型的な様相を呈しています。ExDSは、中枢神経興奮、代謝亢進、高体温、電解質異常、不整脈、呼吸抑制など、複数の危険因子が連鎖的に作用する致死的病態です。確定診断には法医学的検証が不可欠です。
参考文献
- Vilke GM, Bozeman WP, Dawes DM, et al. Excited Delirium Syndrome (ExDS): Defining Based on a Review of the Literature. J Forensic Leg Med. 2012;19(4):173–179.
- Sekhon S, Fischer MA, Marwaha R. Excited Delirium (Archived). 2023 Jun 17. In: StatPearls [Internet]. Treasure Island (FL): StatPearls Publishing; 2025 Jan–. PMID: 31536280.