受診ごとの血圧の「揺らぎ」と認知症リスク

血圧

はじめに

血圧の平均値が正常であれば、私たちの脳は安全だと言い切れるのでしょうか。この問いに対し、東北医科薬科大学の佐藤倫広講師らによる最新の研究は、極めて示唆に富む、そして警鐘を鳴らす回答を提示しています。本研究は、日本の国民健康保険のリアルワールドデータを活用し、受診ごとの血圧の「揺らぎ」が認知症発症リスクにどのように関与しているかを、降圧薬の種類や服薬の徹底度までをも精緻に考慮して解明したものです。知識層の皆様に向けて、この研究がもたらすパラダイムシフトを解説します。

血圧管理のパラダイムシフト「受診間変動(Visit-to-visit variability)」

これまで高血圧治療の主眼は、いかにして平均血圧を目標値以下に下げるかという点に置かれてきました。しかし、近年の疫学的知見は、血圧の「受診間変動(Visit-to-visit variability)」が、平均値とは独立した心血管イベントや認知機能低下の予測因子であることを示し始めています。本研究は、この変動性が認知症リスクとどのように結びついているのか、特に治療を受けている患者群において薬の種類や飲み忘れがその関係を歪めていないかという難問に正面から挑んでいます。

研究の新規性:薬の種類と服薬遵守の壁を越えて

これまでの研究でも、血圧変動と認知症の関連は指摘されてきました。しかし、その多くには決定的なミッシングピースが存在していました。それは「降圧薬の特性」と「患者の服薬アドヒアランス(服薬遵守)」です。例えば、カルシウム拮抗薬は血圧変動を抑制する傾向がある一方で、他の薬剤はそうではないかもしれません。また、薬を飲み忘れることで血圧が乱高下しているだけならば、それは変動性の問題ではなく単なる不適切な治療の結果に過ぎません。

本研究の卓越した新規性は、日本の国民健康保険に加入する 301,448名という膨大なコホートを対象に、降圧薬のクラス(DHP-CCB、ACEI/ARB、利尿薬、beta遮断薬など)を詳細に分類し、さらに薬剤保有率((MPR: Medication Possession Rate / Ratio))を用いて服薬の正確さを数値化した上で、それらの影響を統計的に排除してもなお「血圧の揺らぎ」が認知症リスクとして残るのかを検証した点にあります。

収縮期血圧の変動係数(CV) 10%以上の脅威

研究チームは、5年間にわたる年1回の特定健診データから、収縮期血圧の変動係数(CV: Coefficient of Variation)を算出しました。
CVは、血圧測定値のバラつきを示す「標準偏差(SD)」を「平均値」で割り、パーセンテージで表したものです。


解析の結果、収縮期血圧の CVが最も高い群(第6六分位)では、未治療群および治療群のいずれにおいても認知症リスクが有意に上昇することが判明しました。
具体的には、未治療群において収縮期血圧の CV が 9.83%以上の群は、それ以下の群と比較して、認知症発症のハザード比が 1.50(95%信頼区間:1.17-1.92)に達しました。
一方、降圧薬を服用している治療群においても、CVが 10.67%以上の群ではハザード比が 1.43(95%信頼区間:1.09-1.89)となりました。
ここでの驚くべき事実は、このリスク上昇が、服用している薬剤の種類や、薬を飲み忘れているといった要因をすべて調整した後でも、依然として頑健に観察されたということです。
つまり、血圧が「約 10%以上」バラつくという現象そのものが、脳にとっての独立した脅威であることが示されたのです。

糖尿病との危険な相乗効果:血管と神経への二重打撃

本研究で最も警鐘を鳴らすべき発見は、糖尿病を併発している患者におけるリスクの増幅です。降圧薬治療を受けている患者のうち、血糖管理指標である HbA1c が 6.5% 以上の群では、血圧変動による認知症リスクが異常なまでに突出していました。

層別解析の結果によれば、HbA1c が 6.5% 以上の治療群において、血圧変動が最大の群(CV 最高群)のハザード比は 2.84(95% 信頼区間:1.57–5.14)という驚異的な数値を示しました。これは、血糖値が正常な群でのハザード比 1.23 と比較して、統計学的に極めて有意な相互作用(P = 0.024)です。

このメカニズムについて、本論文では血管損傷の蓄積という観点から考察がなされています。高血糖状態は血管壁の糖化を促進し、血管の柔軟性を著しく低下させます。その硬化した血管に、血圧の乱高下という物理的な「叩き(シアーストレス)」が加わることで、脳の微小血管内皮が損傷し、結果として血管性認知症や神経変性疾患のプロセスを加速させている可能性が極めて高いと考えられます。

病態生理学的考察:血管障害の蓄積と脳への影響

なぜ、血圧の揺らぎがこれほどまでに認知症を誘発するのでしょうか。論文内では、血管損傷の蓄積という視点から考察がなされています。血圧の大きな変動は、脳の微小血管に対して繰り返される力学的なストレス(シアストレス)となり、内皮細胞の機能を低下させ、微小な虚血や出血を繰り返す原因となります。

特に、治療中の糖尿病患者においてリスクが突出している点は、分子生物学的・病態生理学的な観点から重要です。長期間の高血糖は、血管壁の糖化を促進し、酸化ストレスを増大させます。これにより血管の柔軟性が失われ、血圧の変動に対する緩衝能力(ダンピング効果)が低下します。結果として、血圧の揺らぎが直接的に脳組織へダメージを与え、神経変性や血管性認知症のプロセスを加速させている可能性が推察されます。また、末梢神経障害による自律神経系の乱れが血圧の不安定さを招き、それがさらなる脳へのダメージを呼ぶという負のスパイラルも想定されます。

実践的提言:明日から始める安定した血圧管理

この研究成果を、私たちはどのように日常生活や臨床に活かすべきでしょうか。知識人の皆様が明日から実践できる、具体的な行動指針を提案します。

第一に、家庭血圧の測定と記録の徹底です。健診での血圧が「たまたま高かった」と見過ごすのではなく、その「たまたま」の頻度と幅に注目してください。ご自身の血圧の CV(標準偏差 / 平均値)が 10% を超えていないか、客観的に把握することが認知症予防の第一歩となります。

第二に、糖尿病または予備群の方は、血圧の「値」以上に「安定」に神経を注ぐ必要があります。血糖コントロールが不十分な状態での血圧変動は、リスクを約 2.8倍に増幅させます。食事療法や運動療法を通じて血糖を安定させることは、血管のレジリエンスを高め、血圧変動の害を最小限に抑えることにつながります。

第三に、医師とのコミュニケーションの質を変えることです。診察時に「今日は 130でした」という報告だけでなく、「最近、日によって 120から150まで幅があります」といった変動に関する情報を共有してください。薬剤の種類自体が変動リスクを直接書き換えるわけではないにせよ、生活習慣の中に血圧を不安定にさせる要因(ストレス、睡眠不足、不規則な塩分摂取、不規則な服薬タイミングなど)が潜んでいないかを精査するきっかけになります。生活の「安定化」そのものが認知症予防の鍵となります。

本研究の限界と今後の展望

科学的誠実さに基づき、本研究の限界についても言及する必要があります。
第一に、本研究の対象者は「8年間のうちに5回の健診を完了した人々」であり、比較的健康意識が高い層に偏っている可能性(ヘルシーユーザー・バイアス)があります。
第二に、認知症の診断を「抗認知症薬の処方開始」という代替指標で定義している点です。これにより、非薬物療法のみで経過観察されている軽度の症例が捕捉されていない可能性があります。 第三に、追跡期間が平均 2.1 年と比較的短期であることです。認知症は十年単位で進行する疾患であり、観察された血圧変動が、実は認知症のごく初期症状(逆の因果関係)として現れていた可能性を完全には排除できません。

しかし、これらの限界を考慮しても、30万人規模の解析で得られた CV 10パーセントという閾値の持つインパクトは計り知れません。

結論:揺らぎを制する者が脳を制する

血圧管理の真髄は、今や「平均値を下げる」という静的な目標から、「揺らぎを抑える」という動的なマネジメントへと進化しています。本研究が示した収縮期血圧 CV 10% という基準、そして糖尿病との危険な相乗効果は、私たちの健康戦略を再構築する上で欠かせない指標となるでしょう。安定した血圧は、生涯にわたる高い知的パフォーマンスと健やかな脳を維持するための、最も基本的かつ強力なインフラなのです。

参考文献

Satoh, M., Nobayashi, H., Nakayama, S., Iwabe, Y., Yagihashi, T., Izumi, S., Murakami, T., Suzuki, Y., Toyama, M., Muroya, T., Ohkubo, T., & Metoki, H. (2025). Visit-to-visit blood pressure variability and dementia risk after considering antihypertensive treatment: real-world data from the Japanese National Health Insurance. Hypertension Research. https://doi.org/10.1038/s41440-025-02451-1

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