はじめに
2025年4月にJAMAに掲載された記事は、サマータイム(Daylight Saving Time: DST)が人間の健康に及ぼす影響について、医学的エビデンスに基づいて警鐘を鳴らす内容です。著者らは、DSTが引き起こす概日リズムの乱れが、心血管疾患や脳卒中などの急性イベントから代謝異常に至るまで、幅広い健康被害をもたらすことを主張しています。
サマータイムの歴史と現状
DSTは、3月の第2日曜日から11月の第1日曜日まで、時計を1時間進める制度です。この慣習は北米やヨーロッパを中心に実施されていますが、ロシア、アゼルバイジャン、イラン、ウルグアイ、トルコなど多くの国々が既に廃止しています。米国では、ハワイ、アリゾナ(ナバホネイションを除く)、アメリカ領サモア、グアムなどがDSTを採用していません。
近年、米国では「サンシャイン保護法」が上院を通過するなど、DSTを恒久化しようとする動きがありますが、著者らはこれに強く反対し、標準時(Standard Time: ST)の恒久化を提唱しています。その根拠となる医学的エビデンスを見ていきましょう。
サマータイム移行が睡眠に及ぼす影響
概日リズムの乱れとその分子メカニズム
DST移行による1時間の時間変更は、一見些細な変化に思えるかもしれません。しかし、人間の体内時計は太陽光を手がかりに調整されるため、この人為的な時間変更は生体に深刻な影響を及ぼします。
アメリカ睡眠医学会とカナダ睡眠学会は、DST廃止を求める声明を発表しています。その理由として、DST移行による睡眠障害が、炎症性マーカーの増加、代謝変化、心筋細胞の遺伝子発現の変化など、さまざまな病的細胞プロセスを引き起こすことを指摘しています。
分子生物学的に見ると、時計遺伝子(Clock、Bmal1、Per、Cryなど)のリズムが外界の光環境とずれることで、細胞内の代謝経路や転写制御に混乱が生じます。このずれが続くと、酸化ストレスの増加、ミトコンドリア機能の低下、免疫系の乱れなど、細胞レベルでさまざまな異常を引き起こすことが知られています。
急性の健康影響:心血管イベントと脳卒中
DST移行、特に春の「1時間進める」変更は、急性の健康被害をもたらすことが明らかになっています。
7つの研究を統合したメタ分析によると、春のDST移行後の2週間では、急性心筋梗塞のリスクが有意に上昇します。また、6,089件の入院を分析した研究では、女性において心房細動による入院がDST移行後に増加することが報告されています。
フィンランドで行われた研究では、春のDST移行後2日間で虚血性脳卒中の入院が増加し、特に女性、65歳以上の高齢者、がん患者でこのリスクが高いことが示されました。興味深いことに、このリスクは2日後には元に戻るため、DST移行に伴う急性ストレス反応が関与していると考えられます。
交通事故リスクの増加
DSTと交通事故の関係については議論がありましたが、近年の大規模研究で明確な関連性が示されました。1996年から2017年までの米国内の732,835件の死亡交通事故を分析した結果、春のDST移行により死亡事故リスクが6%増加し、DSTを廃止すれば年間約28件の死亡事故を防げると推計されています。
恒久DST(Daylight Saving Time: DST) vs 恒久ST(Standard Time: ST):どちらが優れているか?
生物時計の季節適応
2022年3月、米国上院はDSTを恒久化する「サンシャイン保護法」を可決しましたが、下院では採決されませんでした。著者らはこの法案に反対し、恒久STの採用を強く推奨しています。
根拠となるのは、大規模な睡眠行動調査の結果です。5万5千人を対象とした研究では、スケジュールに縛られない自由日における睡眠パターンが、STでは季節ごとの夜明け時刻に同調していたのに対し、DSTではその同調性が失われていたことが示されました。これはDSTが本来の生物時計の季節適応を妨げることを示唆しています。
社会的時差ぼけ(Social Jet Lag)
DSTの問題は、単に年2回の時間変更だけではありません。恒久DSTを採用した場合、慢性的な「社会的時差ぼけ」が生じる危険性があります。社会的時差ぼけとは、個人のスケジュールと生体の自然なリズムとの間の慢性的なずれを指します。
睡眠医学の研究によると、この慢性的なずれは肥満、メタボリックシンドローム、心疾患、うつ病などと関連しています。STは概日リズムにより適合しているため、恒久DSTを採用すれば、人口全体にこの社会的時差ぼけを強制することになります。
分子レベルで見るDSTの影響
時計遺伝子と代謝経路の乱れ
DSTによる光環境の変化は、視交叉上核にある中枢時計だけでなく、肝臓、脂肪組織、筋肉などの末梢時計にも影響を及ぼします。特に、Per2やBmal1などの時計遺伝子の発現リズムが乱れると、グルコース代謝や脂質代謝を制御する転写因子の活性に異常が生じます。
研究によれば、DST移行後にはインスリン感受性の低下やコルチゾールリズムの変化が観察されます。これが長期間続くと、代謝性疾患のリスクファクターとなる可能性があります。
炎症性サイトカインの上昇
DST移行に伴う睡眠障害は、インターロイキン-6(IL-6)や腫瘍壊死因子-α(TNF-α)などの炎症性サイトカインの産生を増加させます。これらの分子は動脈硬化の進行や血栓形成に関与しており、前述の心血管イベント増加の一因と考えられます。
実践的なアドバイス:DST移行期の健康管理
この研究の知見を明日から活かすための具体的な方法をいくつか紹介します。
- 移行期前後の睡眠調整:DST移行の1週間前から15分ずつ就寝・起床時間を調整し、生体リズムの変化を緩和します。
- 朝の光曝露:移行後は特に、朝の光を積極的に浴びることで体内時計の調整を促進します。
- 心血管リスクの高い人々の注意:高齢者や心血管疾患の既往がある人は、移行後の数日間は体調変化に特に注意を払います。
- 重要な予定の調整:移行後の数日間は、重要な会議や長距離運転を避けるか、十分な休息をとって臨みます。
結論と政策的提言
DSTは単なる「1時間の変更」ではなく、人間の生体リズムに深刻な混乱をもたらす制度です。急性期には心血管イベントや脳卒中のリスクを高め、恒久的に実施すれば代謝性疾患や精神健康問題の原因となる可能性があります。
著者らは、世界的なDST廃止と恒久STの採用を強く推奨しています。この提言は、最新の睡眠科学と分子生物学的知見に裏打ちされた、公衆衛生を考える上で極めて重要なメッセージです。
参考文献
Kim DD, Poon E, Kung CS, Mak MSB. A Call to End Daylight Saving Time—Implications for Public Health. JAMA. Published online April 29, 2025. doi:10.1001/jama.2025.5380