非侵襲的な肺動脈楔入圧(PCWP)推定技術の革新:ウェアラブルセンサーとAIを活用した心不全管理

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はじめに:心不全管理の新たな地平を開く技術

心不全(HF)の臨床管理において、体液貯留やうっ血の評価は極めて重要な要素です。特に、肺動脈楔入圧(PCWP)は、左心系の充満圧を反映する信頼性の高い指標とされており、心不全増悪の早期発見や治療調整の意思決定に寄与します。しかし、PCWPの正確な測定には右心カテーテル検査(RHC)が必要であり、その侵襲性やコスト、患者負担は、日常的なモニタリングには大きな障壁となってきました。

本研究では、ウェアラブルセンサー「CardioTag」と機械学習(ML)を組み合わせ、非侵襲的にPCWPを推定する新技術の開発と検証が行われました。これは、遠隔モニタリングと個別化治療の実現に向けた革新的な一歩となる可能性を秘めています。


研究の概要:SEISMIC-HF I試験の設計と対象

本研究は、多施設共同による前向き試験「SEISMIC-HF I」として実施され、2023年7月から2024年6月にかけて、アメリカ国内15施設で計310人の心不全患者が登録されました。対象は左室駆出率(LVEF)40%以下のHFrEF患者で、RHCが予定されている成人(21歳以上)です。

CardioTagは胸骨に貼付され、電気的・機械的・血流動態の三種の生体信号—心電図(ECG)、心臓由来の胸壁振動(SCG)、光電容積脈波(PPG)—を同時収録します。これらの信号は、PCWPを推定するMLモデルの学習および評価に使用されました。

・electrocardiography (ECG)
・seismo-cardiography (SCG)
・photoplethysmography(PPG) 


生体信号と推定モデル:3つの波形が語る血行動態

CardioTagから得られる3種の波形は、それぞれ心臓の異なる生理的側面を反映しています。

  • ECGは心臓の電気的興奮のタイミングを提供し、SCG・PPGの参照信号として機能します。
  • SCGは心筋の収縮によって生じる微細な胸壁振動を検出し、左室の駆出力や収縮・拡張のダイナミクスを示唆します。
  • PPGは末梢血管の容積変化を光学的に測定し、全身血流や末梢循環の状態を映し出します。

これらの信号は時系列的に統合され、PCWPに影響する心拍出量や拡張障害、末梢抵抗などの因子を間接的に捉えることが可能です。実際、本研究では、生波形を画像に変換したCNN(畳み込みニューラルネットワーク)と、波形をトークン化して解析するTransformer型の大規模言語モデルのアンサンブルによって、PCWPを推定しました。
波形データを画像に変換して処理する「画像ベース」のアプローチと、言語モデルの技術を応用した「エンコーダー-デコーダー」アプローチを組み合わせたアンサンブル手法ということです。


成果と精度:非侵襲推定の実力

学習用の186名、検証用の47名に分けて評価された結果、MLモデルは次のような精度を示しました。

  • PCWP推定値とRHC実測値の差:1.04 ± 5.57 mmHg
  • Bland-Altman法による一致限界(LoA):−9.9 ~ +11.9 mmHg
  • 高PCWP(≧18 mmHg)の判別能:AUC 0.90(感度 0.85、特異度 0.89)

さらに、性別、人種、BMI、心房細動の有無といったサブグループ間での性能差は最小限であり、機器とモデルが多様な人々に対しても公平に機能することが示されました。


臨床的意義と応用可能性:診療をどう変えるか

これまでPCWPを非侵襲的に推定する技術は存在せず、代わりに肺動脈圧を測定する侵襲的なインプラントデバイス(CardioMEMSやCordella)が使用されてきました。これらのデバイスは、入院や手術を必要とするため、患者の負担やコスト面で課題がありました。

また、従来の遠隔モニタリング機器(例:CardioMEMSやCordella)は、肺動脈圧(PAP)のみを測定し、PCWPは間接的な指標とされてきました。一方、CardioTagはPCWPの絶対値を非侵襲的に推定可能であるという点で、画期的です。

この技術がもたらす臨床的利点は以下のとおりです。

  1. 日常生活下でのうっ血評価が可能になり、症状発現前の早期対応が期待されます。
  2. 治療効果のモニタリング(例:利尿薬調整の判断)において、主観的症状や体重変化に加え、客観的なPCWPの変動を活用できます。
  3. モデルは信号品質が不十分な場合には出力を拒否する機能も備えており、安全性が担保されています。

このように、CardioTagは単なる推定ツールではなく、遠隔・継続的な心不全管理のプラットフォームとしての可能性を秘めています。


新規性:本研究が切り拓いたもの

本研究の革新性は、以下の3点に集約されます。

  • PCWPという絶対的な左心充満圧を非侵襲で予測した初の大規模検証研究であること
  • ECG・SCG・PPGの統合信号を用いたMLモデルによる高精度予測
  • 黒人や高BMI患者などを含む多様な人種・臨床背景への汎化性の検証

これらは、従来のウェアラブルデバイスやIHMでは到達できなかった領域であり、心不全遠隔管理のあり方を根本から変えるポテンシャルを持っています。


Limitation:今後に残された課題

  1. 本研究は臨床環境(病院内)でのみ実施されており、在宅での性能や操作性は未検証です。
  2. 本試験では臨床アウトカム(再入院率や死亡率)の改善を評価していないため、今後はRCTによる実地効果の証明が必要です。
  3. MLモデルはHFrEF患者(LVEF≦40%)に限定して開発されており、HFpEFへの適用は今後の課題です。

おわりに:技術と臨床をつなぐ一歩

Kleinらの研究は、技術革新と臨床的有用性の両立を目指した意欲的な試みであり、心不全管理の未来を一歩前進させる成果です。今後、在宅環境での検証やHFpEFへの拡張、そしてアウトカムへの貢献が明らかになれば、非侵襲型PCWP推定は心不全診療の中核的技術となることが予想されます。

医療従事者はもちろん、医療技術に関心のある読者にとっても、本研究は「血行動態の可視化」という夢を現実のものとする道筋を示してくれます。


参考文献

Klein L, Fudim M, Etemadi M, et al. Noninvasive Pulmonary Capillary Wedge Pressure Estimation in Heart Failure Patients With the Use of Wearable Sensing and AI. JACC: Heart Failure. 2025;13(8):102513. https://doi.org/10.1016/j.jchf.2025.102513

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