なぜ私たちは眠くなるのか? ― ミトコンドリアが握る「睡眠のスイッチ」

睡眠

はじめに

「なぜ眠らなければならないのか?」という問いは、古代から哲学者や科学者が繰り返し考えてきたテーマです。体を休めるため、記憶を整理するため、脳をクリーンアップするため――さまざまな説がありますが、いまだに「眠気が生じる根本的な理由」ははっきりしていません。

2025年にNature誌に発表されたオックスフォード大学の研究は、この謎に大胆な答えを提示しました。キーワードは「ミトコンドリア」。私たちの細胞の“発電所”とも呼ばれるこの小器官が、睡眠の必要性を作り出しているというのです。


眠気の正体は「電子の余りもの」?

研究の舞台は、ショウジョウバエの脳でした。ハエと人間、一見無関係に思えますが、睡眠をコントロールする神経回路は進化的に保存されており、基盤的な仕組みを調べるには最適です。

研究チームは、ハエを一晩眠らせずに過ごさせたあと、睡眠を司る特定の神経細胞(dFBNs)を詳しく解析しました。すると驚くべきことに、睡眠不足の細胞では「ミトコンドリアの遺伝子」が一斉に活性化していたのです。

さらにATP(細胞のエネルギー通貨)の量を測ると、眠らされなかった細胞ではATPが通常より約1.2倍多く蓄積していました。本来ATPは消費されてこそ意味があるのに、活動が抑えられていたため“使い切れず”に溜まってしまったのです。

この余ったATPの裏側で起きていたのが、「電子のあふれ」です。電子伝達系に供給される電子が多すぎると、行き場を失った電子が酸素に“横流し”され、活性酸素(ROS)を生み出します。このROSこそが細胞に「そろそろ眠らなければ危ないぞ」というシグナルを送るトリガーだと考えられるのです。


ミトコンドリアが「眠気を測るセンサー」だった

では、細胞はどうやってこの危険を察知するのでしょうか。研究チームは、dFBNsに存在する「カリウムチャネルのサブユニット」が、電子の漏れ具合を感知していることを突き止めました。

つまりミトコンドリアは、ただエネルギーを作るだけではなく、「余った電子の量」を間接的にカウントし、それを神経の活動に反映させているのです。電子の流れが乱れれば神経は「眠気信号」を発し、私たちを睡眠へと導きます。


睡眠不足でミトコンドリアが変形する

顕微鏡で細胞をのぞくと、さらに面白い現象が見えました。睡眠不足の神経細胞では、ミトコンドリアが細長い形からバラバラにちぎれたような形へと変化していたのです。これは分裂(fission)と呼ばれる現象で、ストレスや障害が加わったときに起こります。

一方で十分に眠ったあとには、ミトコンドリアは再び融合し、ネットワーク状の形に戻っていました。まるで「睡眠がミトコンドリアの修理タイム」であるかのようです。

さらに遺伝子操作で分裂を強めると睡眠時間が減り、逆に融合を促すと睡眠が増えることも実証されました。つまりミトコンドリアの形そのものが、眠りの深さや量を左右しているのです。


「眠気」と「空腹」は同じ仕組みで生まれる?

研究の議論で興味深いのは、睡眠と食欲が共通のメカニズムを持つという点です。哺乳類の脳では、食欲を調整する神経(AgRPニューロンやPOMCニューロン)のミトコンドリアも、分裂と融合を繰り返しながら活動をコントロールしていることが知られています。

つまり「眠気」と「空腹感」は、どちらもミトコンドリアの状態変化から生まれる感覚だという見方ができます。これまで別々に語られてきた基本的欲求が、実は同じ“エネルギーセンサー”に根ざしているかもしれないのです。


人間にとっての意味

では、この発見は私たちの生活にどう役立つのでしょうか。

第一に、「眠気は意思の弱さではなく代謝の必然」であることが明確になりました。徹夜をすると集中力が落ち、どうしても眠くなるのは、脳細胞が電子漏れによる酸化ストレスを検知しているからです。

第二に、慢性疲労や睡眠障害の理解にもつながります。ミトコンドリアの異常は多くの神経疾患で報告されており、「疲れているのに眠れない」状態の背景には、電子伝達系の不具合がある可能性があります。

第三に、将来的には「眠気の制御薬」が開発されるかもしれません。ミトコンドリアの電子フローを調整する物質があれば、眠気を和らげたり、逆に眠気を引き出すことができるからです。ただし、酸化ストレスは体に有害でもあるため、安易な操作にはリスクも伴います。


まとめ

今回の研究は、「なぜ眠るのか?」という問いに対し、エネルギー代謝という視点から答えを提示しました。

  • 睡眠不足の細胞ではATPが余り、電子の漏れとROSが発生する。
  • ミトコンドリアはこの電子漏れを感知し、「眠気」というシグナルを生み出す。
  • 睡眠はミトコンドリアを修復し、再び正常に働かせるためのプロセスでもある。

結論として、眠気は脳の発電所であるミトコンドリアが発するSOSサインと言えるでしょう。

眠ることは決して「時間の無駄」ではなく、生命を維持するために避けられない代謝のリセットです。今日眠くなったら、それはあなたのミトコンドリアが「そろそろ休ませてほしい」と告げている合図かもしれません。

参考文献

Sarnataro R, Velasco CD, Monaco N, Kempf A, Miesenböck G. Mitochondrial origins of the pressure to sleep. Nature. 2025;645:722–728. doi:10.1038/s41586-025-09261-y

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