はじめに
睡眠が健康に不可欠であることは、もはや自明の理です。しかし、現代のビジネスパーソンにとって、睡眠は単なる休息以上の意味を持ちます。それは、翌日のパフォーマンスを決定づける「投資」であり、キャリアの持続可能性を左右する「基盤」です。
今回ご紹介するのは、2025年に『npj Digital Medicine』に掲載された、7万9000人以上の日本人労働者を対象とした大規模研究です。この研究の特筆すべき点は、従来の睡眠研究が依存してきた「主観的なアンケート」の限界を突破し、スマートフォンアプリ(『Pokémon Sleep』)を通じて収集された、延べ210万晩以上という圧倒的な量の客観的睡眠データを解析している点にあります。
ここから見えてきたのは、「睡眠時間さえ確保すればよい」という単純な神話の崩壊と、「社会的時差ボケ(ソーシャル・ジェットラグ)」という現代病の深刻な実態でした。
本研究の新規性
これまでの疫学研究の多くは、被験者の記憶に頼る自己申告(「昨夜は何時間寝ましたか?」といった質問)に基づいていました。しかし、人間の記憶は曖昧であり、特に睡眠に関しては「想起バイアス」が避けられません。また、多くの研究は特定の一時点を切り取った断面的なものでした。
本研究の卓越した新規性は、以下の2点に集約されます。
- 客観的データの規模と精度スマートフォンに内蔵された加速度センサーを用い、Cole-Kripkeアルゴリズムを応用して睡眠・覚醒を判定しています。これにより、本人の自覚とは異なる「実際の睡眠状態」を、28日間という長期間にわたり連続的にモニタリングすることに成功しました。
- 多次元的なクラスター解析単に「睡眠時間(Total Sleep Time: TST)」を見るだけでなく、「入眠潜時(寝つくまでの時間)」「中途覚醒率(%WASO)」「クロノタイプ(朝型・夜型)」「社会的時差ボケ」といった多角的な指標を統合。教師なし学習(UMAPおよびLeidenアルゴリズム)を用いることで、恣意的ではない、データ駆動型の「5つの睡眠表現型(フェノタイプ)」を同定しました。
データが示す「量」の限界と「U字型」の真実
まず、労働生産性の損失を示す指標である「プレゼンティーズム(Presenteeism)」と睡眠時間の関係について見ていきましょう。プレゼンティーズムとは、出勤はしているものの、心身の不調によりパフォーマンスが低下している状態を指します。プレゼンティーズムを測定するために、SPQ (Single-Item Presenteeism Question) という、単一の質問による指標を使用しています。
解析の結果、睡眠時間(TST)とプレゼンティーズムの間には、明確な「U字型」の関連が認められました。
- 短時間睡眠のリスク:6時間未満の睡眠では、生産性損失のスコアが急激に悪化します。これは従来の知見通り、睡眠不足による認知機能の低下を反映しています。
- 長時間睡眠のパラドックス:興味深いことに、睡眠時間が長すぎる場合もまた、生産性の低下と関連していました。最も良好なスコアを示したのは、平均して「7時間から8時間」の睡眠をとっている層です。
しかし、この研究の真骨頂は「量(時間)」以外の要素にあります。多変量解析によると、「入眠潜時が長い(寝つけない)」「中途覚醒が多い(途中で起きる)」といった睡眠の質の低下に加え、「夜型のクロノタイプ」や「社会的時差ボケ」が、それぞれ独立して生産性低下と強く関連していることが明らかになりました。
新たに定義された5つの睡眠フェノタイプ
研究チームは、膨大なデータを解析し、日本人労働者の睡眠パターンを以下の5つのクラスターに分類しました。ご自身がどこに当てはまるか、想像しながら読み進めてください。
- Healthy Sleepers(健康的スリーパー)バランスの取れた良好な睡眠プロファイルを持つ層。基準となるグループです。
- Long Sleepers(長時間スリーパー)平均睡眠時間が最も長い層。
- Fragmented Sleepers(分断型スリーパー)中途覚醒率(%WASO)が著しく高く、睡眠が分断されている層。
- Poor Sleepers(不眠型スリーパー)入眠潜時が長く、中途覚醒も多い層。いわゆる不眠傾向の強いグループです。
- Social Jetlaggers(社会的時差ボケスリーパー)このグループが本研究の最大の発見です。夜型のクロノタイプを持ち、平日と休日で睡眠中央時刻が大きくずれている(社会的時差ボケが大きい)層です。
衝撃の事実:「不眠」よりも恐ろしい「時差ボケ」
最も注目すべきデータは、これら5つのグループごとの生産性損失(プレゼンティーズム・スコア)の比較において現れました。「健康的スリーパー」を基準とした場合、スコアの悪化幅は以下の通りでした。
- Social Jetlaggers(社会的時差ボケ):+2.96 ポイント(最も悪い)
- Poor Sleepers(不眠型):+2.45 ポイント
- Long Sleepers(長時間):+1.67 ポイント
- Fragmented Sleepers(分断型):有意差なし
驚くべきことに、「社会的時差ボケ」グループは、寝つきが悪く眠りの質が低い「不眠型」グループよりも、生産性の損失が大きかったのです。さらに、日中の過度な眠気(Epworth Sleepiness Scale ≥11)のリスクに関しても、社会的時差ボケグループはオッズ比1.59と最も高い値を示しました。
これは、単に「よく眠れない」ことよりも、「生体リズムと社会的生活スケジュールのミスマッチ(概日リズムの乱れ)」の方が、日中のパフォーマンスに深刻な悪影響を及ぼす可能性を示唆しています。
科学的メカニズム:なぜ「週末の寝だめ」は脳を破壊するのか
なぜ「社会的時差ボケ」はこれほどまでに有害なのでしょうか。
私たちの体内には「概日時計(サーカディアン・リズム)」が存在し、ホルモン分泌や体温調整、認知機能を約24時間周期で制御しています。
「Social Jetlaggers」の典型的な行動様式は、平日は仕事のために無理やり早起きし(睡眠負債の蓄積)、休日はその反動で昼過ぎまで眠る(寝だめ)というものです。この行動は、毎週海外旅行をして時差ボケを繰り返しているのと同じ負荷を脳と身体にかけます。
平日の「社会的時計」と、本人の「生物学的時計」のズレが常態化することで、恒常性維持機構(ホメオスタシス)に歪みが生じ、覚醒時の認知機能や意欲が削がれてしまうのです。本研究において、MSFsc(睡眠負債を補正した休日の睡眠中央時刻)が遅いほど、つまり夜型傾向が強いほど生産性が低下していた事実も、このメカニズムを裏付けています。
Limitation:解釈における注意点
本研究は極めて質の高いデータに基づいていますが、いくつかの限界も存在します。
- 因果関係の方向性:横断研究であるため、「社会的時差ボケが生産性を下げた」のか、「仕事が忙しく生産性が低いから睡眠リズムが乱れた」のか、完全な因果関係の特定には至っていません。
- サンプリングバイアス:対象はスマートフォンアプリのユーザーであり、一般的な労働者よりもテクノロジーリテラシーが高く、比較的若い層に偏っている可能性があります。
- 測定精度:加速度センサーによる睡眠判定は、静かに横になっているだけの状態を「睡眠」と誤判定する可能性があり、医療グレードの脳波測定(PSG)と比較して過大評価の傾向があることは否めません。
明日から実践できる「ハイパフォーマー」への処方箋
この論文から得られる知見は、私たちの行動変容に直結するものです。明日からの生活において、以下の3点を意識してください。
1. 「量」より「リズム」へのパラダイムシフト
「何時間寝たか」という総量管理だけでなく、「何時に寝て何時に起きたか」という分散(リズム)管理へ意識を転換してください。特に、入眠時刻よりも「起床時刻の固定」が概日リズムのアンカー(錨)として機能します。
2. 休日の「寝だめ」は2時間以内に
「社会的時差ボケ」を防ぐための鉄則は、平日と休日の睡眠中央時刻のズレを最小限にすることです。休日に睡眠負債を返済したい場合でも、起床時間を平日より2時間以上遅らせることは避けてください。足りない分は、午後の早い時間帯(15時まで)に20分程度のパワーナップ(仮眠)で補う方が、生体リズムへのダメージを最小限に抑えられます。
3. クロノタイプに合わせた働き方の模索
もしあなたが夜型(遅いMSFscを持つ)であるなら、早朝型の勤務体系は生物学的に不利な戦いを強いられていることになります。フレックスタイム制やリモートワークを活用し、自身の概日リズムと同調した時間に重要なタスクを配置することが、個人の努力を超えた抜本的な解決策となり得ます。
睡眠は、単なる生理現象ではなく、高度なマネジメント対象です。本研究が明らかにした「規則正しさ(Regularity)」の重要性を理解し、週末の朝の過ごし方を変えること。それこそが、あなたの知的生産性を最大化する鍵となるのです。
参考文献
Seol, J., Iwagami, M. & Yanagisawa, M. Association of sleep patterns assessed by a smartphone application with work productivity loss among Japanese employees. npj Digit. Med. 8, 751 (2025). https://doi.org/10.1038/s41746-025-02155-3

