はじめに
現代社会における肥満や過食の問題を語る際、私たちは常に「超加工食品(UPF)」や「高エネルギー密度」という言葉を悪の根源として扱ってきました。しかし、2024年に学術誌「Appetite」に掲載されたピーター・ロジャース教授らによる研究(英国)は、この通説に真っ向から反論を唱えています。私たちが食べ物を「美味しい」と感じ、抗いがたい「報酬」として認識する真のトリガーは、加工の度合いでもカロリーの高さでもなく、栄養素の比率と味の強度に隠されていたのです。
研究プロトコール概要(PICO)
本研究は、食品の特性が嗜好性(Liking)と食品報酬(Food Reward)に与える影響を検証するため、以下のプロトコールで実施されました。
・対象者(P):224名の男女(平均年齢35歳。BMI分布は、5%が低体重、53%が標準体重、30%が過体重、13%が肥満)。
・介入/曝露(I/E):3つの研究アーム(エネルギー密度、加工レベル、炭水化物対脂質比)にランダム化し、計52種類の食品画像を提示。
・比較(C):同一被験者内での食品カテゴリー間の比較。
・結果(O):味の嗜好性(Liking)、食べたい欲望(Food Reward:Desire to Eat)、甘味・塩味・風味の強さ(Taste Intensity)の評価。
「エネルギー密度」と「加工レベル」は報酬と無関係
これまでの栄養学や公衆衛生の分野では、エネルギー密度(1gあたりのカロリー)が高い食品や、NOVA分類における「超加工食品」が、脳の報酬系を過剰に刺激して過食を誘発すると信じられてきました。しかし、本研究の結果はこの仮説を鮮やかに裏切っています。
驚くべきことに、エネルギー密度と食品報酬の間には有意な相関が認められませんでした(r = -0.068, p = 0.632)。また、加工レベルについても、超加工食品が加工食品よりも好まれるという証拠は得られず、むしろ「超加工」に分類される食品は、加工食品よりも「食べたいという欲求(Wanting)」が低いという結果が出ました。
この発見は、肥満の原因を単に「加工度」や「カロリーの塊」に求める議論が、いかに断片的であったかを浮き彫りにしています。脳が求めているのは、食品の製造工程の複雑さではなく、その背後にある特定の生物学的シグナルなのです。
強力な報酬「炭水化物と脂質の比率(CF比)50%対50%」
本研究において、最も強力な報酬の決定要因として浮上したのは、炭水化物と脂質の比率(CF比)でした。実験では、総エネルギーのうち炭水化物と脂質がほぼ同程度の割合(カロリーベースで50%対50%)で含まれる食品、いわゆる「コンボ食品」が、炭水化物主体または脂質主体の食品よりも有意に高い報酬スコアを記録しました。
なぜ脳はこの比率を異常なまでに評価するのでしょうか。ここには洗練された分子生物学的なメカニズムが関与していると考えられます。炭水化物は主に肝門脈を経由して糖質報酬シグナルを送り、脂質はリンパ系を介して全身循環に入り、それぞれ独立した経路で中枢神経系(CNS)に栄養価を伝達します。この「独立した二重のシグナル」が同時に脳へ届くことで、単一の栄養素だけでは得られない相乗的な報酬価値が生成されるという仮説が示されています。※補足参照
実際、参加者の嗜好性(Liking)のばらつき(相違)のうち、このCF比と後述する味の強さ、食物繊維量だけで、実に56%もの説明が可能であることが統計的に示されました。
「カロリーは高いが、満腹になりにくい」食品と報酬
研究チームは、この現象を説明するために「エネルギー対満腹感比(Energy-to-Satiety Ratio:ESR)」という画期的な概念を導入しました。生物学的な視点で見れば、生存のために効率よくエネルギーを摂取することは有利に働きます。しかし、食べた直後に強い満腹感(摂取抑制シグナル)が生じてしまうと、エネルギー摂取が阻害されます。
脳が高い報酬を与えるのは「カロリーは高いが、満腹になりにくい」食品、つまりESRが高い食品です。
コンボ食品(炭水化物と脂質の混合)は、単一の栄養素を大量に摂取する場合よりも、胃腸の処理能力を飽和させにくく、結果として満腹シグナルの発生を遅らせることが示唆されています。
コンボ食品は「エネルギーが高いわりに、満腹になりにくい(ESRが高い)」く、それが最強の報酬スコアに直結しているのです。
対照的に、本研究で食品報酬を負に予測した最大の要因は「食物繊維」でした。食物繊維は1gあたり最大2kcalという低いエネルギーしか提供しない一方で、胃の伸展刺激などを通じて強力な満腹感を早期に誘発します。脳はこの「低ESR」な特性を学習し、報酬価値を下げているのです。
味の強さと報酬
味覚の強度(甘味、塩味、風味の統合指標)も、独立して食品報酬を予測する強力な因子でした。、甘味(Sweetness)、塩味(Saltiness)、風味の強さ(Flavour Intensity)※の3つを平均したものを「味の強さ」と定義しています 。ここで注目すべきは、実際の砂糖の含有量や塩分の絶対量そのものではなく、人間が感じる「味の強さ」が重要であるという点です。
※風味の強さ(Flavour Intensity)とは、舌で感じる「味(Taste)」と、喉の奥から鼻へ抜ける「香り(Aroma)」、そして口の中の刺激(食感や刺激)が脳内で統合された多角的な感覚を指します。
人間の味覚受容体は非線形な応答を示します。糖の濃度と甘味の知覚の関係において、一定以上の濃度では知覚の伸びが鈍化します。また、食品マトリックス内での相互作用により、少量の塩分が風味を増強することもあります。本研究の多変量解析では、味の強さが報酬の分散の大きな部分を説明しており、これは口腔内での感覚刺激が、将来的な栄養摂取の予測因子として、脳の報酬系に即時的にアクセスしていることを示しています。
また、超加工食品において「Liking(美味しいと感じる)」は高いのに「Wanting(食べたい)」が相対的に低かった現象については、健康意識による心理的葛藤(アンビバレンス)が、報酬としての最終的な出力を抑制している可能性が示唆されています。
限界(Limitation)
本研究にはいくつかの制約が存在します。
まず、バーチャル環境でのオンライン調査であり、実際に食品を摂取した際の動的な変化(咀嚼、嚥下、食後の代謝応答)を反映していない点です。視覚的な情報に基づく「想像上の摂取」による評価であるため、実際の摂食行動と完全に一致するかは今後の検証が必要です。
また、参加者が英国在住者に限られており、文化的背景や食習慣の違いが評価に影響を与えている可能性も否定できません。さらに、健康意識の個人差が「Wanting」の評価にノイズを与えた可能性も議論の余地があります。
我々の日常では?
私たちが特定の食品に対して、理性を超えた「抗いがたい欲求」を感じる時、脳内では3つのスイッチが同時に、かつ最大出力で押しされています。
第一のスイッチは、炭水化物と脂質の比率(CF比) 0.5です。
第二のスイッチは、味の強さ(Taste Intensity)です。
第三のスイッチは、食物繊維の少なさです。
具体的に、私たちが日常的に口にするメニューを、この視点から分析してみましょう。
現代社会における具体的メニューの罠
・ドーナツやケーキ:小麦粉(炭水化物)とバター・生クリーム(脂質)が、最強の報酬を約束するCF比0.5を完璧に再現しています。精製糖による強烈な甘味が味の強度を極大化させ、脳に「生存に有利な高エネルギー源」と誤認させます。製造過程で繊維質が排除されているため、高いエネルギー供給に対して満腹感が追いつかない設計です。
・パフェ:フルーツ・ソース(炭水化物)とアイス・クリーム(脂質)が積層し、報酬価値がピークに達する比率を構成します。冷たさと多彩なフレーバーが味の知覚強度をブーストし、ドーパミン報酬系を最大出力で発火させます。主成分が低繊維であるため、摂取したカロリー量に見合った満腹シグナルが発生せず、過食を容易に誘発します。
・ポテトチップス:ジャガイモのデンプンと揚げ油が、脳を最も興奮させる炭水化物・脂質のエネルギー比率50:50に極めて近い状態で融合しています。 高濃度の塩分と旨味成分が味の強度として知覚され、脳の報酬系へダイレクトかつ強烈な摂取シグナルを送り続けます。 薄く精製される過程で食物繊維のブレーキ機能が失われており、高いエネルギー供給に対して満腹感が追いつかない高ESR状態を生み出します。
・カレーライス:米の炭水化物とルーに含まれる脂質が、脳を最も興奮させるCF比0.5の黄金比を完璧に作り出しています。多彩なスパイスと塩分による圧倒的な味の強度が、口腔内受容体を介して報酬系へ直接的かつ強力な信号を送ります。食物繊維が極めて少なく胃の膨張ブレーキが効かないため、高ESRな食品として脳に最上位の報酬として評価されます。
・牛丼、カツ丼:白米の糖質と肉や衣の脂質が理想的に混合され、脳が生存に有利と学習している炭水化物・脂質のコンボ報酬を最大化します。 醤油、砂糖、出汁が濃縮された味の強さが知覚され、実際の代謝を待たずに即座に脳内で強い摂取欲求を再現させます。 食物繊維という満腹抑制因子が皆無に近いため、脳の計算上、最も効率よくカロリーを詰め込める食品として過食を誘発します。
・豚骨ラーメン:炭水化物主体の麺と脂質たっぷりのスープが組み合わさることで、脳が最も熱狂するCF比0.5に極めて近い状態を作り出しています。出汁や塩分による味の強度が非常に高く、一口ごとに中枢神経系へ強力な報酬シグナルをダイレクトに送信し続けます。精製された麺と液体スープには食物繊維がほとんど含まれないため、満腹というブレーキがかからず、エネルギー対満腹感比が最大化されます。
・ハンバーガー・ピザ:バンズや生地の炭水化物と肉やチーズの脂質が完璧な比率で融合し、効率的にエネルギーを貯蔵できるコンボ食品として脳に認識されます。ソースや精製されたチーズによって味の知覚強度が極限まで高められており、依存的な食べたいという欲求を強力に誘発します。
野菜が少なく食物繊維が欠乏しているため、胃の膨張による早期の満足感が得られにくく、過剰なエネルギー摂取を容易に許容してしまいます。
これらはすべて、本研究が示した「最強の報酬食品」の条件を完璧に満たしています。
だいふく、和菓子、あめをなぜ食べすぎるのか?
報酬が相対的に低い食品群
例えば以下のようなものが挙げられます。
- だいふく・和菓子・飴
これらは炭水化物が支配的であり、脂質が少ないため、コンボ食品ほどの強烈な報酬シグナルは発生しません 。 - アボカド・ゆで卵・ナッツ(一部)
脂質は豊富ですが、炭水化物が少ないため、これもまた報酬のピークからは外れます 。
それでも食べ過ぎてしまうこともあります。だいふくは、なぜ報酬を感じ、ついつい食べてしまうのでしょうか?
味の強さは「独立した」報酬の決定要因である
本研究の重要な発見の一つは、味の強さ(Taste Intensity)が、炭水化物と脂質の比率(CF比)やエネルギー密度とは無関係に、独立して食品報酬(食べたい欲求)を予測する強力な因子であるということです 。
研究では、甘味(Sweetness)、塩味(Saltiness)、風味の強さ(Flavour Intensity)の3つを平均したものを「味の強さ」と定義しています 。だいふくや飴などの場合、特に「甘味」と「風味」がこの数値を押し上げます。
- 相乗効果: 甘味に加えて風味の強さが加わることで、食品報酬の予測精度が段階的に高まることが示されています 。
- 先天的な嗜好: 人間には甘い味を本能的に好む性質があり、これが報酬価値をダイレクトに高めます 。
たとえ、脂質との「黄金比(50:50)」から外れているだいふくであっても、その圧倒的な甘味の強さ自体が脳の報酬系を強力にノックするため、私たちは「もっと食べたい」と感じるのです 。
「砂糖の量」ではなく「知覚される甘さ」が重要
興味深いことに、この論文では、食品に含まれる砂糖の絶対量(g)自体は、食品報酬を直接予測しなかったと報告されています 。
- 非線形の関係: 砂糖の含有量が増えても、私たちが感じる「甘味の強さ」は必ずしも直線的には増えません 。
- 知覚の優位性: 脳が報酬として評価するのは、あくまで舌が感じ取り、中枢神経に伝わった「甘味の強さ(知覚)」です 。
和菓子や飴は、口の中でダイレクトに強い甘味を知覚させるように設計されているため、たとえエネルギー密度が肉料理などより低かったとしても、脳にとっては極めて価値の高い「報酬」として処理されます 。
食物繊維の欠如による報酬の底上げ
だいふくや飴を食べ過ぎてしまうもう一つの「隠れた要因」は、食物繊維の少なさです 。
- 負の相関: 研究によれば、食物繊維の含有量は食品報酬と負の相関(r = -0.446, p = 0.0009)を示します 。つまり、食物繊維が少ないほど「食べたい欲求」が高まります 。
- ESRへの影響: 食物繊維は満腹感を早期に引き起こすため、脳はその食品を「効率の悪いエネルギー源」だと見なします 。
- 和菓子の特性: 精製された砂糖や米粉で作られるだいふくや飴は、食物繊維をほとんど含みません。その結果、満腹感を感じる前に大量のエネルギーを摂取できてしまうため、脳はこの「高ESR(エネルギー対満腹感比)」な食品を高く評価し、過食を誘発します 。+2
まとめ:だいふくを「ついつい」食べてしまう理由
だいふく、和菓子、飴などは、以下の3点が組み合わさることで、脳にとって非常に魅力的なターゲットとなっています。
- 高強度の甘味: 独立した報酬因子である「味の強さ」が極めて高い 。
- 低食物繊維: 満腹シグナルが発生しにくく、報酬価値にブレーキがかからない 。
- 高ESR: 食べた瞬間の満足感に対して、エネルギー(カロリー)を効率よく詰め込めるため、脳が「価値あるもの」と学習している 。
これらは「炭水化物と脂質のコンボ」ではありませんが、「強烈な味の刺激 + 満腹感の欠如」という別のルートで私たちの報酬系をハックしているといえます 。
明日からの実践
この研究結果を臨床や日常生活にどう活かすべきでしょうか。私たちが明日から行動に移せるポイントは以下の3点に集約されます。
第一に、食品選びの際、単に「カロリー」や「添加物」を気にするのではなく、「炭水化物と脂質が同時に、高密度で混ざり合っているか」をチェックすることです。ドーナツ、ピザ、チョコレートといったコンボ食品は、脳の満腹シグナルを欺き、過食を招く最強の報酬装置です。これらを避ける、あるいは単独の栄養素(例えば脂質の少ない炭水化物、または炭水化物のない脂質)に分解して摂取することで、脳の暴走を抑えることができます。
第二に、食物繊維の「報酬抑制効果」を戦略的に利用することです。食物繊維は単に便通を良くするだけでなく、脳に「この食品はコスパが悪い」と学習させ、長期的な嗜好性を下げる効果があります。食事の最初に食物繊維を摂る「ベジタブルファースト」は、単なる吸収抑制だけでなく、報酬系を鎮める神経学習としても機能します。
第三に、味の「強さ」に対する感受性を再調整することです。報酬は絶対的な栄養素の量ではなく、知覚される強度に依存します。強い甘味や塩味に慣れてしまった脳は、報酬の閾値が上がり、より刺激の強いものを求めるようになります。あえて薄味を選択し、風味のニュアンスに意識を向けることで、報酬系をリセットし、適正なESRを持つ食品で満足できる脳を取り戻すことが可能です。
私たちはもはや、製造工程のラベルに惑わされる必要はありません。脳が何を報酬として計算しているのかを知った今、食欲を支配するのは加工業者ではなく、あなた自身の知性であるべきです。
参考文献
Rogers, P. J., Vural, Y., Berridge-Burley, N., Butcher, C., Cawley, E., Gao, Z., Sutcliffe, A., Tinker, L., Zeng, X., Flynn, A. N., Brunstrom, J. M., & Brand-Miller, J. C. (2024). Evidence that carbohydrate-to-fat ratio and taste, but not energy density or NOVA level of processing, are determinants of food liking and food reward. Appetite, 193, 107124.
補足:炭水化物と脂質の二重の報酬シグナル
炭水化物は主に肝門脈を経由して糖質報酬シグナルを送り、脂質はリンパ系を介して全身循環に入り、それぞれ独立した経路で中枢神経系(CNS)に栄養価を伝達します。
この一文は、私たちが食べ物を食べた後、その情報がどのようにして脳(特に報酬系)に伝わるのかという、非常に深遠な「栄養感知システム(Nutrient Sensing)」のメカニズムを要約したものです。
これは、舌で感じる「味覚」の次の段階で起こる、いわば「内臓による第二の味覚」とも言えるプロセスです。脳は、口に入ったものが本当にエネルギーになるのかどうかを、消化吸収のルートを通じて厳密にチェックしています。
このメカニズムが、なぜ「炭水化物と脂質のコンボ食品」が最強の報酬を生むのか(前述の論文の核心)を解明する鍵となります。
それぞれ独立した経路について解説します。
1. 炭水化物のルート:門脈を経由する「高速トラック」
炭水化物(ご飯、パン、砂糖など)は、消化酵素によって最終的にブドウ糖(グルコース)などの単糖に分解され、小腸で吸収されます。
経路の特徴:水溶性の特急便
- 吸収と輸送: ブドウ糖は水に溶けるため、小腸の細胞から直接、毛細血管に入ります。
- 門脈(もんみゃく): これらの毛細血管は合流して「門脈」という太い静脈になり、全身に回る前に、まず肝臓へと直行します。肝臓は体の化学工場であり、入ってきた栄養素をチェックする最初の関所です。
脳へのシグナル伝達方法
- 門脈グルコースセンサー: 門脈の壁や肝臓内には、ブドウ糖の濃度を感知するセンサーがあります。
- 迷走神経経由のホットライン: センサーが「高濃度のブドウ糖が来た!」と感知すると、その情報は迷走神経いう脳と内臓をつなぐ太い神経を通じて、脳幹(特に孤束核という場所)へ電気信号として瞬時に送られます。
- 報酬の発生: この信号を受け取った脳は、ドーパミン系を活性化させ、「これはすぐに使えるエネルギーだ!もっと摂取しろ!」という報酬シグナルを発します。これは比較的早い反応です。
まとめ:炭水化物は、肝臓という関所と神経のホットラインを使って、脳に「即効性のエネルギー到着」を素早く知らせます。
2. 脂質のルート:リンパ系を経由する「迂回ルート」
脂質(肉の脂身、バター、オイルなど)は、消化されると脂肪酸やモノグリセリドになりますが、炭水化物とは全く異なる動きをします。
経路の特徴:脂溶性の大型輸送
- 再合成と梱包: 脂質は水に溶けないため、そのまま血液(水分)に乗せることができません。小腸の細胞に吸収された後、一度「トリグリセリド(中性脂肪)」に再合成され、タンパク質でコーティングされたカイロミクロンという巨大な粒子に梱包されます。
- リンパ系への参入: カイロミクロンは大きすぎて毛細血管に入れません。その代わりに、小腸の絨毛にある乳び管(リンパ管の一種)に入ります。
- 全身循環への合流: リンパ管に入った脂質は、肝臓の関所をバイパス(迂回)します。胸管という太いリンパ管を通って体内を上昇し、最終的に鎖骨の下あたり(鎖骨下静脈)で初めて血管(全身循環)に合流します。
脳へのシグナル伝達方法
- 消化管ホルモン(CCKなど): 脂質が小腸に到達すると、コレシストキニン(CCK)などのホルモンが放出され、これが迷走神経を刺激して脳に情報を伝えます。
- 直接感知と代謝産物: 血液に乗って全身を巡り、脳に到達した脂肪酸の一部は、血液脳関門を通過して視床下部などの神経細胞によって直接感知されます。
- 時間差の報酬: リンパ系を経由するルートは、炭水化物の血流ルートよりも時間がかかります。そのため、脂質による報酬シグナルは、ゆっくりと、しかし持続的に発生します。
まとめ:脂質は、専用の梱包(カイロミクロン)と専用通路(リンパ系)を使い、肝臓を迂回してゆっくりと全身に回り、「高密度のエネルギーが継続的に供給される」ことを脳に伝えます。
3. 「独立した経路」が持つ重大な意味
なぜ生物は、わざわざ二つの異なるルートを進化させたのでしょうか?
それは、「今、体がどのような種類のエネルギーを得たか」を脳が正確に把握するためと考えられています。
- 炭水化物のルート=「緊急時にも使える即効性の燃料」が来た合図。
- 脂質のルート=「長期保存に適した高密度の燃料」が来た合図。
二つのルートが同時に発火する「コンボ食品」の威力
前述の研究論文で、炭水化物と脂質が混ざった「コンボ食品(ドーナツ、ピザなど)」が最強の報酬を生むとされた理由は、まさにここにあります。
コンボ食品を食べると、脳では以下のことが起こります。
- ルートA(門脈・炭水化物)から「即効エネルギー到着!」の強い信号が入る。
- ルートB(リンパ・脂質)から「高密度エネルギー到着!」の強い信号が同時に入る。
脳の中枢神経系は、この独立した二つの強力な「成功シグナル」を同時に受け取ります。すると、それぞれのシグナルを単純に足し算するのではなく、相乗効果(1+1が3にも4にもなる状態)が生まれ、ドーパミン報酬系が爆発的に活性化します。
これが、「頭ではやめたいのに、体が欲してしまう」という抗いがたい食欲の生物学的な正体です。脳は、二つの独立した経路からの同時入力によって、「この食べ物は生存にとって究極の価値がある」と(誤って)学習してしまうのです。
なお、実際に食べている最中に脳が感じている報酬は、リアルの栄養シグナルではなく、過去の経験に基づいた「予測報酬」です。
脳は、特定の「味、口腔感覚(ORO-SENSORY)」と、その数時間後に訪れる「栄養的結果」を結びつけて学習します。これを「味覚ー摂取後帰結学習(taste-to-postingestive-consequence learning)」と呼びます 。+1
- 学習プロセス: 過去に「コンボ食品(炭水化物+脂質)」を食べた際、脳はまず炭水化物の速い報酬を受け取り、その数時間後に脂質の重厚な報酬を受け取ります 。
- 条件付け: 脳はこの時間差のある二つの成功体験を、その食品の「味」とセットで記憶します 。
- 予測の発火: 次に同じ味を感知した瞬間、実際の栄養が吸収されるのを待たずして、脳は「今から二つのルートで最高のエネルギーが来るぞ!」という予測シグナルを同時に爆発させます 。
つまり、生理学的な吸収には時間差があっても、「味」というトリガーによって、脳内では報酬シグナルが「同時」に引き出されるようになるのです。

