フルマラソン・ハーフマラソンにおける心停止の発生

心拍/不整脈

長距離ランニング大会、特にマラソンやハーフマラソンは近年、ますます人気が高まり、多くの人々が健康維持や達成感を求めて参加しています。しかし、こうした大会において、心停止という深刻な医療事故が発生することもあります。心停止の発生率やその結果については、過去にいくつかの研究が行われていますが、近年のデータをもとにした包括的な分析は不足していました。本研究は、2010年から2023年の間に米国で発生した心停止の発生率、その原因、そしてその後の結果を詳細に調査し、過去の研究と比較することを目的としています。この記事では、研究の目的、方法、結果、そして実際の臨床にどのように活かせるかについて解説します。

研究の背景と目的

2010年から2023年までの期間に、米国では約2931万人がマラソンやハーフマラソンに参加し、その数は2000年から2009年の3倍以上に達しました。このような増加とともに、長距離ランニングによる心停止やその死亡率に関する関心も高まりました。これまでの研究では、心停止が発生する原因として肥大型心筋症や冠動脈疾患が挙げられていますが、その頻度や心停止後の死亡率に関する新たな知見は少なく、特に近年の大会でのデータは限られています。この研究は、2010年から2023年までのデータを基に、心停止の発生率や原因、死亡率の変化を探り、過去のデータとの比較を行うことで、現代における心停止のリスク評価を試みたものです。

研究方法

本研究は、米国のマラソンおよびハーフマラソン大会で発生した心停止の症例を、Race Associated Cardiac Event Registry(RACER)からのデータを使用して分析した観察的症例シリーズです。研究者は、2010年から2023年の期間に参加者が完走したレースから心停止が発生した176件の症例を特定しました。データ収集に関し、第一に、GoogleやYahooなどの公開検索エンジンを用いた集中的な検索を行いました。「マラソン死亡」「マラソン心臓突然死」などのキーワードと、特定のレース名を組み合わせて検索しました。第二に、新たな手法として、317人のレースディレクターに直接コンタクトを取り、心停止事例の有無を確認しました。第三に、USA Track & Field(USATF)の事故データベースを活用しました。
心停止は「医療専門家によって確認された脈拍のない無意識状態」と定義され、死亡例は現場で蘇生不成功または病院退院前に死亡したケースとしました。生存例は蘇生成功後に病院を退院したケースと定義されています。カウントすべき心停止は、レース中またはレース終了後1時間以内の範囲で発生したものに限定しています。
さらに、心停止の原因については、既存の臨床データをもとに、心筋梗塞や冠動脈疾患、肥大型心筋症などがどの程度関与しているのかを詳細に調査しました。

研究結果

心停止の発生率とその推移

研究の結果、2010年から2023年までに心停止が発生したのは176件(男性127件、女性19件、性別不明30件)でした。この心停止の発生率は、約2931万人の完走者に対して0.60件/10万参加者(95%信頼区間:0.52–0.70)となりました。過去のデータ(2000-2009年)と比較しても、心停止の発生率はほぼ安定していましたが、2020年から2023年にかけて若干の増加が見られました。具体的には、2020-2023年の間に心停止の発生率は0.81件/10万参加者(95%信頼区間:0.58–1.10)に上昇しました。この増加の理由としては、COVID-19パンデミック後の健康管理の変化が影響している可能性が示唆されていますが、明確な原因は不明です。

性別とレース距離別の発生率

心停止は男性ランナーにおいて多く発生し、特にマラソンの完走者に多く見られました。具体的には、男性の発生率は1.12件/10万参加者(95%信頼区間:0.95–1.32)であり、女性は0.19件/10万参加者(95%信頼区間:0.13–0.27)でした。また、マラソン(1.04件/10万参加者)とハーフマラソン(0.47件/10万参加者)の間では、マラソンの方が心停止が発生するリスクが高いことが分かりました。この結果は、マラソンという長時間の過酷な運動が心臓に与える負荷の大きさを反映していると考えられます。

また、心停止の多くがレースの「最終4分の1区間」で発生していることが判明しています。特にマラソンでは、終点前の最後の10kmで心停止リスクが顕著に上昇します。

心停止の原因

心停止の原因について、176件のうち67件(52%)で明確な原因が特定されました。最も多かったのは冠動脈疾患で、27件(40%)を占めました。次いで、原因不明(25%)が多く、肥大型心筋症(7%)は比較的少数派でした。この結果は、以前の研究では肥大型心筋症が主な原因として挙げられていたことと対照的であり、冠動脈疾患がより一般的な原因であることが確認されました。加えて、心停止が発生したランナーの中には、急性プラーク破裂や安定した冠動脈疾患を抱えていた者も多く、長距離ランニングによるストレスがそれらの疾患を引き起こす一因となっている可能性があります。
その他の原因としては、熱中症(6%)も確認されました。熱中症による心停止4例中3例が死亡しており、熱中症の危険性が浮き彫りになりました。

分子生物学的な観点からは、剖検で原因不明とされた7例のうち4例で心筋症関連遺伝子の意義不明のバリアント(VUS)が検出されました。具体的にはDSC2、CACNB2、PRDM16、SLC4A3などの遺伝子で、これらの遺伝的要素が心停止に関与している可能性が示唆されます。また、4例の死亡例でカフェインやアンフェタミンなどの刺激薬物が検出されており、運動前の物質摂取がリスクとなる可能性が指摘されています。

生存率の改善

生存者は117人で、66%が心停止後に救命されました。この回復率は、過去の研究に比べて大幅に向上しています。心停止による死亡率は、2010年から2023年の期間で34%となり、2000-2009年の71%から有意に減少しました(P < 0.001)。特に、迅速な心肺蘇生(CPR)と自動体外式除細動器(AED)の使用が生存率向上に大きく寄与したことが示されています。具体的には、AEDが使用された症例の生存率は大きく改善されており、これは緊急時の迅速な対応が非常に重要であることを示唆しています。
冠動脈疾患の症例の93%が生存しており、迅速な対応が救命に結びついたことが示唆されます。

生存率向上の鍵

心停止後の生存率が71%から34%に大幅に改善した背景には、救命処置の迅速化があります。詳細な臨床プロファイルが得られた36例では、全例でバイスタンダーCPRが実施され、AEDの使用率も92%に達していました。AEDが使用されなかった3例(8%)は全例死亡しており、AEDの重要性が浮き彫りになりました。

多変量解析では、CPR時間が5分増加するごとに死亡リスクが1.2倍(95%CI 1.1-1.4)上昇し、最初の心調律が無脈性電気活動/心静止の場合には死亡リスクが2.5倍(95%CI 1.4-4.6)高くなることが示されました。これらの結果は、心停止発生から除細動までの時間を最小限に抑えることが生存率向上に直結することを明確に示しています。

この知見は、レース主催者にとって具体的な行動指針を提供します。コース上にAEDを戦略的に配置し、スタッフやボランティアにCPR訓練を実施することが、参加者の安全を守る上で極めて重要です。特に、心停止が最後の四分の一の区間で発生しやすいことを考慮し、終点近くに重点的に医療資源を配置する必要性が示唆されます。

明日から実践できること

この研究の知見を日常生活やランニング活動に活かすために、以下の具体的な行動が推奨されます。

ランナーとして:

  1. 特に35歳以上のランナーは、レース前の心血管スクリーニングを検討してください。冠動脈疾患が主要な原因であるため、従来の運動前検診に加え、冠動脈CTやカルシウムスコアなどの検査が有用かもしれません。
  2. レース中に胸痛やめまいなどの症状を感じたら、すぐにペースを落とし、必要に応じて医療スタッフに相談してください。
  3. カフェインや刺激薬物の過剰摂取を避け、適切な水分補給と体温管理を行ってください。

レース主催者として:

  1. コース上、特に終点近くにAEDを配置し、スタッフが迅速にアクセスできる体制を整備してください。
  2. スタッフやボランティアに対して定期的なCPR講習会を実施してください。
  3. 熱中症予防のため、給水所を適切に配置し、暑熱環境下でのレース開催を慎重に検討してください。

医療従事者として:

  1. 心停止の生存率向上には迅速な除細動が不可欠であるため、地域のスポーツイベントでAED使用プロトコルの整備を支援してください。
  2. 中高年のアスリートやランナーに対して、冠動脈疾患のリスク評価をより積極的に行ってください。

研究の限界と今後の課題

この研究にはいくつかの限界があります。第一に、2000-2009年と2010-2023年のケース特定方法が完全に同一ではないため、時代間の比較には注意が必要です。第二に、レース完走者数を参加者の代理指標としているため、同じランナーが複数回カウントされており、真のリスクを過小評価している可能性があります。第三に、心停止事例の約半数で原因を特定できておらず、選択バイアスの可能性が否定できません。

今後の研究課題としては、以下の点が挙げられます。

  1. COVID-19パンデミック後の心停止リスク増加のメカニズム解明
  2. 剖検で原因不明とされた症例における分子生物学的解析の深化
  3. 冠動脈疾患リスクの高いランナーを特定するためのスクリーニング手法の開発
  4. 熱中症と心停止の関連性のさらなる解明

結論

この大規模研究は、長距離ランニングレース中の心停止リスクが男性マラソンランナーで特に高いこと、主要な原因が冠動脈疾患であることを明らかにしました。同時に、迅速なCPRとAED使用が生存率を大幅に改善できることを実証し、効果的な緊急対応計画の重要性を浮き彫りにしました。

ランニングの健康効果は広く認められていますが、適切なリスク管理が不可欠です。レース主催者、医療従事者、ランナー自身が協力し、科学的根拠に基づいた安全対策を講じることで、より安全なランニング文化を築くことができるでしょう。この研究の知見は、スポーツ医学と公衆衛生の両面において、運動関連心臓突然死を予防するための貴重な指針を提供しています。

参考文献

Kim JH, Rim AJ, Miller JT, et al. Cardiac Arrest During Long-Distance Running Races. JAMA. 2025; 10.1001/jama.2025.3026.

追記:

東京マラソンでは過去16回にのべ約51万9千人が走り、11件の心停止例がありました。約4万7千人に1人の心停止が起きたことになります。この割合はとても高いものです。原因はほとんどが虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞など)でした。

→ 全例救命できているはずです。

【出典】

東京マラソン2025
「東京がひとつになる日。」東京マラソン2025の大会公式ウェブサイトです。コースマップ、エントリー情報などご確認いただけます。
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