GLP-1受容体作動薬と長期的ながんリスク

がん、悪性腫瘍

序論

GLP-1受容体作動薬(GLP-1RA)は、近年の糖尿病治療と肥満治療において最も注目を集める薬剤のひとつです。血糖降下作用と体重減少効果を同時に有し、心血管疾患リスクを低減させる可能性も示されてきました。その一方で、長期的な安全性、特に発がんリスクに関しては不確実性が残っていました。これまでの大規模RCT、例えばLEADER試験は最大5年間の追跡で発がんリスクの増加を示さなかったものの、観察研究の一部では甲状腺癌や膵癌のリスク上昇が報告され、議論が続いてきました。
当ブログでも以前、このような記事を挙げていました。

本研究はデンマーク全国規模のレジストリを用い、最大10年間という長期にわたりGLP-1RAの使用と発がんリスクを検討した点で、従来研究を超える新規性を持っています。

方法と研究デザイン

この研究は「target trial emulation」という方法論を採用しました。これは無作為化試験の原則を観察データに適用し、交絡の影響を最小限に抑える工夫です。対象は2007~2019年に新たにGLP-1RAまたはDPP-4阻害薬(DPP-4i)を使用開始した糖尿病患者で、DPP-4iを有効薬対照群としました。年齢50歳未満、過去の癌既往者、肥満治療目的のリラグルチド使用者は除外されました。傾向スコアマッチングによりGLP-1RA群とDPP-4i群を1:1でマッチさせ、合計39,460人を解析対象としました。追跡は最大10年に及び、主要評価項目は「全がん発症率」、副次評価項目として「がんを伴わない死亡」「がんまたは死亡の複合アウトカム」が設定されました。

主な結果

がん発症リスク

追跡延べ195,702人年の観察で、4758例が新たにがんを発症しました。10年時点での全がん累積リスクはGLP-1RA群25.5%、DPP-4i群21.4%であり、その差は4.1%(95%信頼区間0.4–7.2)でした。特に6~10年の追跡区間でハザード比は1.35(95% CI 1.05–1.73)と有意に上昇しました。

男女差

性別での解析では女性においてリスク差が6.6%(95% CI 1.8–10.7)と大きく、男性では2.2%(95% CI −2.2–6.2)で有意差はみられませんでした。ただし交互作用の統計学的有意性は認められませんでした。

死亡リスク

一方で注目すべきは死亡率との関係です。がん死亡率に関しては、GLP-1RA群とDPP-4阻害薬群の間で明確な差は認められませんでした。しかし、GLP-1RA群は「がんを伴わない死亡」がDPP-4i群より4.9%低く(95% CI −7.6~−2.4)、つまり生存率が高かったのです。そのため「がんまたは死亡」の複合アウトカムでは差がみられませんでした。がんリスク増加と非がん死亡減少が打ち消し合った結果と解釈されます。
これはGLP-1RA群でのがん増加が、実際には「生存延長によってがんが発症する機会が増えた」可能性を示唆します。

がん種別の解析

がん種別の解析では、大腸癌と肺癌はむしろ約20%の減少傾向を示したのに対し、子宮体癌では増加が示唆されました。他の癌では一貫した方向性はみられず、全体像として「特定のがんリスクが均一に増えるわけではない」ことが明らかになりました。

分子生物学的視点

GLP-1RAがどのように発がんリスクに影響を与えるかについては、完全には解明されていません。前臨床研究では、GLP-1受容体の存在する組織(例えば甲状腺C細胞や乳腺など)において、シグナル伝達が腫瘍増殖を促進する可能性が示されています。動物実験では、GLP-1RAが潜在的ながんや前がん病変を「促進因子」として作用するシナリオが支持されています。この場合、薬剤開始から数年以内にリスクが顕在化し、使用中止後に長期間遅れて発症する「イニシエーター作用」ではないと考えられます。実際に本研究でも、短期間(5年以内)の使用ではリスク上昇はみられず、長期継続使用で差が現れました

臨床的・公衆衛生的意義

今回の結果は、GLP-1RAを糖尿病や肥満治療で使用する医師や患者にとって重要な意味を持ちます。まず、短期使用に関しては発がんリスクの増加はなく、従来のRCTと整合します。したがって、治療開始における安全性への懸念は小さいと言えます。

しかし、長期的な持続使用ではわずかながらリスク上昇が示されました。この差は小さいものの、今後数百万人規模でGLP-1RAが使用されることを考えると、公衆衛生上の影響は無視できません。特に女性患者においては注意が必要です。

一方で、GLP-1RA群の死亡率が低下していた点は臨床的に大きな意味を持ちます。心血管リスク低減や体重減少などの有益な効果により、生存期間が延長することでがんが発見されやすくなる可能性があるのです。つまり「がんリスク増加」という結果を単純に薬剤の毒性と解釈するのは不適切であり、むしろ「長生きするがゆえにがんを発症する機会が増える」という側面が含まれると理解すべきです。

新規性

本研究の最大の新規性は、これまで5年程度の追跡にとどまっていたGLP-1RAの安全性評価を、最大10年間の全国規模データで検証した点にあります。観察研究でありながら、target trial emulationとg-computationを駆使し、因果推論に近い解釈を可能にしました。また、がん種別のリスク傾向を詳細に提示することで、単一の「発がんリスク増加」では説明できない複雑な現象を明らかにした点も重要です。

Limitation

  1. BMIや体重変化に関する情報は不十分で、残余交絡の可能性を否定できません。
  2. デンマークではリラグルチドが主に使用されていたため、他のGLP-1RAへの外挿は限定的です。
  3. 10年追跡の最終段階では対象者が減少し、推定値の精度が低下しました。
  4. 観察研究である以上、未知の交絡因子や逆因果の可能性を完全に排除することはできません。

結論

この大規模全国研究は、GLP-1RAの長期使用において小さながんリスク上昇を示しましたが、それは生存延長に伴う影響である可能性が高いと考えられます。短期的には安全であり、長期的にも重大なリスク上昇ではないことが確認されました。今後は癌種別リスクのさらなる検証と、BMIや体重変化をより厳密に考慮した解析が求められます。GLP-1RAは依然として糖尿病と肥満治療における強力な選択肢であり、その全体的なリスク・ベネフィットバランスはおおむね良好と評価できます。


参考文献

Mads Gamborg, Mia Klinten Grand, Kathrine Grell, Susanne Rosthøj, Ulrik Pedersen-Bjergaard, Christian Torp-Pedersen, Lina Steinrud Mørch. Long-term cancer risk in users of GLP-1 agonists in Denmark: a nationwide emulated trial. Lancet Regional Health – Europe. 2025;55:101346. doi:10.1016/j.lanepe.2025.101346


番外:子宮体癌のリスクに関する結果の乖離


Dai H, Li Y, Lee YA, et al. GLP-1 Receptor Agonists and Cancer Risk in Adults With Obesity. JAMA Oncol. Published online August 21, 2025. doi:10.1001/jamaoncol.2025.2681

以前のブログ記事の論文ではGLP-1受容体作動薬により子宮がん(内膜がん)のリスク軽減という結果でしたが、Lancet Regional Health – Europe 論文(2025年)では、「子宮体がんは増加」と逆の結果です。

  • Daiら(JAMA Oncol 2025):GLP-1RAは肥満成人において子宮体がん(内膜がん)リスクを減少させると報告。
  • デンマーク全国レジストリを用いた模擬ターゲットトライアル(Lancet Regional Health – Europe 2025):全体のがんリスクは10年で増加し、部位別解析では子宮体がんでリスク上昇が示唆。

一見、正反対の結果です。この違いについていくつかの観点から考察します。


対象集団の違い

  • JAMA Oncol研究は「肥満」を基盤としたコホートです。肥満はエストロゲン過剰・インスリン抵抗性を介して子宮体がんリスクを強く上げます。GLP-1RAによる体重減少・インスリン改善がストレートに防御効果として働きやすい状況です。
  • デンマーク研究は「2型糖尿病患者で新規にGLP-1RAまたはDPP-4阻害薬を開始した人」を比較しています。糖尿病自体が発がんリスクに影響し、かつGLP-1RAはより高BMIかつ合併症の多い患者に処方されやすいため、残存交絡で「リスク増加」と見えている可能性があります。

参照群(比較薬剤)の違い

  • JAMA Oncolでは非使用者あるいは他の対照群と比較しており、「GLP-1RAそのものの効果」を素直に評価しやすい設計です。
  • デンマーク研究はDPP-4阻害薬使用者を比較群に設定。DPP-4阻害薬にも一定の代謝改善・抗炎症作用があるとされ、これが「リスク増加」に見える一因かもしれません。

追跡期間の違い

  • JAMA Oncolの研究は、データ収集範囲上では最長10年まで含む可能性があるものの、実際には多くの症例がより短期~中期追跡の段階で分析された可能性があります。抄録段階で「長期フォローアップが必要」と述べている点からも、十分な長期性を担保しているとは言い切れない設計と考えられます。
  • デンマーク研究は10年追跡で、6–10年の長期でリスク増加が顕在化しました。つまり、短期的には予防効果があるが、長期的には別の機序(例:ホルモン動態の変化や組織特異的GLP-1受容体作用)が顕在化する可能性があります。

分子生物学的な可能性

  • GLP-1RAは脂肪量減少を介してエストロゲン過剰を抑える効果を持ち、これは子宮体がんリスク低減に働きます(JAMA Oncolの結果を支持)。
  • 一方で、GLP-1受容体は子宮内膜にも発現が報告されており、直接的なシグナル伝達が増殖刺激に働く可能性も議論されています。もしこの効果が長期で優位になれば、デンマーク研究の「リスク増加」と符合します。

残存交絡と解析上の制約

  • デンマーク研究はBMIやライフスタイル情報を完全に調整できず、高リスク女性にGLP-1RAが選択されやすい処方バイアスを排除できません。
  • JAMA Oncolの肥満集団は逆に、GLP-1RAがリスク軽減効果を最も発揮しやすい集団だった可能性があります。

まとめ

  • JAMA Oncolは「肥満そのものが強いリスク因子 → GLP-1RAで改善 → リスク低減」とする生物学的に納得感のある結果。
  • デンマーク研究は「糖尿病・長期追跡・DPP-4比較」という条件のもとで、「リスク増加」の信号が出た。
  • この差は「対象集団」「比較群」「追跡期間」「交絡因子の制御度合い」「受容体発現による直接作用の可能性」という複数要素が重なった結果と考えるのが妥当です。

このように整理すると、両研究は矛盾ではなく「短期では予防的・長期では潜在的リスクあり」という二面性を示しているとも解釈できます。

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