序論:GLP-1受容体作動薬の二面性
グルカゴン様ペプチド-1受容体作動薬(GLP-1 RA)は、2型糖尿病や肥満の治療において大きな進歩をもたらしてきました。臨床試験では、主要心血管イベントを14%減少させ、全死亡率を12%低下させることが示されており、心血管リスク低減薬としての地位を確立しつつあります。しかし一方で、GLP-1 RAには安静時心拍数を上昇させる副作用が知られており、平均で2.4 bpm、時には6〜10 bpmもの増加が報告されています。この心拍数上昇が、心不全や不整脈リスクを抱える患者にとって臨床的に問題となる可能性があるため、その機序解明が急務とされてきました。本研究は、この謎に対し新しい知見を提供したものです。
研究の目的と方法
研究チームは、「GLP-1による心拍数上昇は自律神経系によるものか、それとも心臓そのものへの直接作用か」という問いに挑みました。雌のデンマーク・ランドレース豚を用い、以下の多角的アプローチを組み合わせています。
- in vivo実験:GLP-1投与下で交感神経遮断薬(プロプラノロールなど)、副交感神経切断(迷走神経切断)、神経節遮断(ヘキサメトニウム)、HCNチャネル遮断(イバブラジン)を施し心拍数変化を解析。
- ex vivo実験:灌流心臓モデルや単離洞房結節での電気生理学的解析。
- 分子生物学的解析:単一核RNAシーケンスによる受容体局在解析、リン酸化プロテオミクスによるシグナル伝達経路の特定。
主な結果
心拍数の上昇は顕著かつ一貫
GLP-1投与により麻酔下の豚では25 ± 4 bpm、別の群では21 ± 3 bpmの上昇が一貫して認められました。一方、代謝産物GLP-1 (9-36) にはこの効果はなく、GLP-1分子自体の作用であることが確認されました。さらに心拍出量と拡張期血圧は増加し、末梢血管抵抗と一回拍出量は減少しました。これらは二次的な血行動態反射ではなく、一次的な心臓作用を示唆しています。
自律神経系の関与は否定
交感神経遮断、副交感神経切断、神経節遮断、さらにHCNチャネル阻害を行っても、GLP-1による心拍数上昇は阻止されませんでした。これは「GLP-1の変時作用は自律神経系を介さない」ことを明確に示しています。
洞房結節への直接作用
灌流心臓実験では、GLP-1投与により+12 ± 2 bpmの心拍数増加を確認。しかしGLP-1受容体拮抗薬(exendin-9-39)を投与すると、この作用は完全に消失しました。さらに単離した洞房結節では、GLP-1投与により活動電位周期が平均33 ± 6%短縮し、起始部位が結節内でシフトすることが示されました。これらはHCNチャネル阻害下でも持続しており、膜クロックではなくCa²⁺クロック依存性の作用を示唆します。
受容体局在の解明
単一核RNAシーケンス解析により、GLP-1受容体は洞房結節ペースメーカー細胞に限定的に発現していることが明らかになりました。これは、ヒトでも報告されている受容体局在と一致し、ヒト病態への外挿を支持する重要な証拠です。
シグナル伝達とCa²⁺クロック
リン酸化プロテオミクス解析では、GLP-1投与により小胞体Ca²⁺サイクルを担うタンパク質(ホスホランバンなど)がPKA依存的にリン酸化されることが確認されました。特にホスホランバンのSer16リン酸化は顕著に上昇しており、cAMP-PKA経路を介したCa²⁺クロック活性化が拍動頻度増加の分子基盤であることが示されました。
新規性と臨床的意義
本研究の新規性は、GLP-1による心拍数増加が「自律神経非依存」であり「洞房結節への直接作用」であることを大型動物モデルで実証した点にあります。マウスなど小動物では交感神経依存性が報告されていましたが、今回の結果はヒトに近いブタでの検証であり、ヒト病態理解に直結します。
臨床的には、GLP-1 RAによる心拍数増加が避けられない副作用であることを再確認すると同時に、その標的がCa²⁺クロックであることが明らかになりました。したがって、将来的にはCa²⁺クロックや関連経路を抑制する薬剤(例:Ca²⁺チャネル遮断薬など)を組み合わせることで、GLP-1 RAの利点を活かしつつ心拍数増加を抑制する治療戦略が展望されます。
Limitation
- 動物モデル(豚)の知見であり、人間への完全な適用には慎重さが必要です。
- 洞房結節におけるGLP-1受容体発現は低発現であり、解析感度の制約があります。
- リン酸化シグナルは洞結節全体の中で5%程度のペースメーカー細胞由来であり、検出される変化は小規模です。
- 長期的臨床影響、特に不整脈リスクへの直接的影響は本研究では評価されていません。
結論
GLP-1は洞房結節のペースメーカー細胞に直接作用し、cAMP-PKA経路を介したCa²⁺クロック活性化により心拍数を上昇させることが示されました。この発見は、GLP-1 RAの心拍数増加という臨床上の課題に対し、新たな介入ターゲットを提示するものです。今後はCa²⁺クロック制御を応用した臨床的戦略の開発が期待されます。
参考文献
Lubberding AF, Veedfald S, Achter JS, et al. Glucagon-like peptide-1 increases heart rate by a direct action on the sinus node. Cardiovasc Res. 2024;120:1427–1441. doi:10.1093/cvr/cvae120