研究の背景と重要性
近年、糖尿病だけでなくより軽度の血糖異常(前糖尿病)が動脈硬化の発展に影響を与える可能性が注目されています。この研究は、ポーランド・ビャウィストク在住の20-79歳の一般住民を対象に、前糖尿病が無症候性アテローム性動脈硬化症に及ぼす影響を包括的に評価したものです。
従来の研究では、糖尿病と心血管リスクの関係はよく知られていましたが、前糖尿病段階での動脈硬化進展に関するエビデンスは限られていました。この研究の新規性は、一般健常集団において前糖尿病と頸動脈プラーク形成の関連を明らかにし、特に低~中等度心血管リスクカテゴリーに属する人々においてもリスクが過小評価されている可能性を指摘した点にあります。
研究方法の特徴
この研究はビャウィストクPLUSコホート研究の一環として、2017年7月から2023年1月にかけて実施された横断研究です。20~79歳の男女1431名を一般市民から無作為抽出し、糖尿病(FPG ≥126 mg/dL、2時間後血糖 ≥200 mg/dL、HbA1c ≥6.5%)を有する252名を除外後、さらに測定データの欠落を理由に183名を除外し、最終的に996名が解析対象となりました。平均年齢は46.8歳で、女性が54.2%を占めます。
以下の詳細な評価が行われました。
生化学的評価では、空腹時血糖、1時間後および2時間後の経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)値、HbA1cを測定しました。
動脈硬化の評価には頸動脈超音波検査を用い、内中膜複合体厚(IMT)とプラーク存在を評価しました。プラークは以下のいずれかの基準で定義されました:
(1)周囲のIMTより0.5mm以上突出した局所肥厚
(2)周囲のIMTの50%を超える局所肥厚
(3)1.5mm以上のIMT肥厚
また、血管機能評価(PWV、Augmentation Index:AIx)も行っています。
心血管リスク層別化には、ESCガイドラインに基づくSCORE2およびSCORE2-OPシステム(年齢、性別、喫煙、血圧、コレステロールなどによるスコア)が採用されました。インスリン抵抗性評価では、HOMA-IR、QUICKI、Matsuda指数など複数の指標を使用し、多面的な評価を行っています。
前糖尿病の診断基準
この研究における前糖尿病の診断基準は、ESC(欧州心臓病学会)およびEASD(欧州糖尿病学会)の推奨に基づいており、以下の3つのうちいずれかに該当すれば前糖尿病と定義されています。
- 空腹時血糖(FPG):
- 100〜125 mg/dL(5.6〜6.9 mmol/L)
- かつ2時間OGTT後血糖 <140 mg/dL(7.8 mmol/L)
- 耐糖能異常(IGT):
- OGTT 2時間後の血糖値が140〜199 mg/dL(7.8〜11.0 mmol/L)
- かつ空腹時血糖 <126 mg/dL
- HbA1c:
- 5.7〜6.4%(42〜47 mmol/mol)
驚くべきことに、研究対象者の55.7%(797名)が前糖尿病状態であり、この数値は国際糖尿病連合が推定する世界の前糖尿病有病率(17%)を大きく上回っています。この乖離は、本研究がOGTTとHbA1cの両方を用いて診断したことによるもので、臨床現場でHbA1cのみに依存すると前糖尿病を見逃す可能性があることを示唆しています。
主要な発見と臨床的意義
前糖尿病群でも頸動脈プラーク存在
研究結果から、前糖尿病群では正常血糖群に比べて頸動脈プラークの存在が有意に多いことが明らかになりました。
・正常血糖群におけるプラーク保有率:23.3%
・前糖尿病群(診断基準により):50.4–61.4%
・HbA1c 5.7–6.4%のみの群:50.0%
HbA1c単独で前糖尿病と診断された場合でも、プラーク形成のリスクは顕著に上昇しているのです。
低~中等度心血管リスクカテゴリーでも同様
特に注目すべきは、この関連性が低~中等度心血管リスクカテゴリー(全研究対象者の2/3を占める)でも認められた点です。この発見は、現在のリスク計算ツールが前糖尿病を考慮に入れていないため、実際のリスクを過小評価している可能性を示唆しています。
前糖尿病が無症候性動脈硬化症の独立したリスク因子
多変量ロジスティック回帰分析では、前糖尿病が無症候性動脈硬化症の独立したリスク因子であることが確認されました(オッズ比1.56、95%CI 1.09-2.24)。他の有意な因子として、心血管リスクカテゴリー、脈波伝播速度(PWV)、中心血圧増強指数(AIx)が含まれていました。
HbA1cが頸動脈プラーク存在の最も優れた予測因子
血糖関連指標の中では、1時間後OGTT値(AUC=0.73)とHbA1c(AUC=0.72)が頸動脈プラーク存在の最も優れた予測因子でした。この結果は、臨床現場でHbA1c測定が動脈硬化リスク評価に有用である可能性を示しています。
病態生理学的視点からの考察
動脈硬化と前糖尿病の関係は以下の病態機序で説明可能です。
前糖尿病状態では、すでにインスリン抵抗性、慢性低度炎症、酸化ストレスの亢進が生じており、これらは血管内皮障害や平滑筋細胞の移動・増殖、酸化LDLの蓄積といった動脈硬化の初期過程を誘導します。また、HbA1cの上昇は、AGEs(Advanced Glycation End Products)の形成を促進し、AGEs–RAGE軸の活性化を通じて血管炎症や壁硬化を悪化させる可能性が考えられます。
本研究でも、前糖尿病群ではHOMA-IR値が正常群に比べて高く(3.87 vs 2.17)、インスリン感受性指数(QUICKI)が低い(0.32 vs 0.35)ことが確認され、このメカニズムを支持する結果が得られています。
臨床的応用と実践的示唆
当研究の重要な所見
本研究の特筆すべき新規性は以下の3点に集約されます。
- 前糖尿病者の血管硬化リスクが正常群の2倍以上であることを示した点
- HbA1c単独診断による動脈硬化予測能の高さを明示した点
- 一般住民の低~中等度リスク群でも動脈硬化が潜在している層が少なくない点
臨床現場での活用
この研究結果を臨床現場で活用するためには、以下の点が重要です。
前糖尿病の有無を評価
まず、見た目は健康で心血管リスクが低~中等度と評価される患者でも、前糖尿病の有無を評価することが動脈硬化リスクの正確な把握に役立ちます。特に40歳以上の患者では、空腹時血糖だけでなくHbA1cやOGTTを考慮した評価が推奨されます。
動脈硬化の評価
次に、前糖尿病と診断された患者に対しては、頸動脈超音波検査や脈波伝播速度測定などの非侵襲的検査を早期に実施し、無症候性動脈硬化の有無を評価することが有益です。本研究では、これらの検査が前糖尿病患者のリスク層別化に有用であることが示されました。
前糖尿病段階からの積極的な生活習慣介入
生活習慣介入の面では、前糖尿病段階からの積極的な介入が動脈硬化進展を遅らせる可能性があります。具体的には、インスリン抵抗性改善を目的とした運動療法(週150分以上の有酸素運動とレジスタンストレーニングの組み合わせ)と、地中海食を基本とした食事パターンの採用が推奨されます。
結論と社会的意義
この研究は、一般健常集団において前糖尿病が無症候性動脈硬化症と強く関連していることを明らかにしました。特に、従来は低リスクとみなされていた人々においてもこの関連が認められたことは、現在の心血管リスク評価システムの見直しを促す重要な発見です。
臨床医は、見た目が健康な患者においても前糖尿病のスクリーニングを積極的に行い、必要に応じて頸動脈超音波などの画像検査を考慮すべきです。また、政策レベルでは、前糖尿病を心血管リスク計算ツールに組み込むことの妥当性を検討する必要があるでしょう。
この研究結果は、糖尿病への進行予防だけでなく、心血管疾患の一次予防という観点からも前糖尿病の早期発見・管理の重要性を強調しています。健康診断や日常診療で前糖尿病を検出した場合、生活習慣介入を早期に開始することが、将来の心血管イベント予防につながると考えられます。
参考文献
Zieleniewska NA, Jamiolkowski J, Chlabicz M, Łukasiewicz A, Dubadówka M, Kondraciuk M, et al. (2024) The impact of prediabetes on preclinical atherosclerosis in general apparently healthy population: A cross-sectional study. PLoS ONE 19(10): e0309896. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0309896