はじめに:GLP-1療法の広がりと課題
近年、GLP-1受容体作動薬(GLP-1RA)は肥満治療のパラダイムを大きく変えつつあります。セマグルチド(週2.4mg)やチルゼパチド(週15mg)は、臨床試験においてプラセボと比較してそれぞれ12.4%、17.8%の体重減少を達成し、多くの患者に顕著な代謝改善をもたらしています。2024年時点で米国成人の6%が現在GLP-1を使用しており、過去も含めると12%、さらに医師から「肥満」と診断された人では22%に達しています。
しかし、臨床現場では、消化器症状、栄養欠乏、筋骨格系の減弱、治療中断率の高さ(2年後85%が中止)、さらには経済的負担など、複雑な課題が浮かび上がっています。本論文は、これらの課題を乗り越えるための栄養的アプローチを多学会合同で提言しています。
GLP-1療法の効果と限界:数値からみる現実
実臨床での効果低下
GLP-1RAの効果は臨床試験において顕著であり、例えばチルゼパチド15mgでは20.9%の体重減少が報告されました(72週)。しかし、実臨床では糖尿病合併例で約8%、非糖尿病例でも11%程度と減少幅が縮小します。
実臨床では、以下の要素などにより効果が劣ると考えられます。
・治療継続性の低さ(臨床試験ほど高くない)
・補助的な生活習慣(栄養、運動など)介入の欠如(臨床試験よりおろそかになる)
・糖尿病合併患者では代謝の反応性が低い
・患者背景の多様性と医療提供体制の限界
リバウンド
さらに、使用中止後には1年以内に減量分の3分の2を再増加(リバウンド)する例も多く、恒常的な効果には生活習慣介入の併用が不可欠です。
(GLP-1RAの治療で10kg減量しても、GLP-1RAの使用を中止した場合、1年以内に約6.6kg(=10kg×2/3)再び増加する)
消化器症状
有害事象としては、セマグルチド群で吐き気44%、下痢30%、嘔吐24%、便秘24%と、消化器症状の頻度が高く報告されています。
栄養不足
GLP-1RA使用中はエネルギー摂取が16~39%減少するため、微量栄養素不足(鉄、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、ビタミンA、D、E、K、B1、B12、Cなど)のリスクが高まります。特に1日1200kcal(女性)または1800kcal(男性)未満の摂取では、栄養不足の兆候(疲労、脱毛、皮膚のフケやかゆみ、筋力低下、創傷治癒遅延、異常なあざなど)に注意が必要です。
筋肉と骨を守る:サルコペニア対策
脂肪も減るが、筋肉も減ってしまう
STEP 1試験では、セマグルチドによる平均13.6kgの減量のうち、8.3 kg(62%)は脂肪量の減少、5.3kg(38%)は除脂肪体重(lean body mass, LBM)の減少でした。これは、筋肉(skeletal muscle mass)を含む体組成が減ったことを意味しています。
SURMOUNT 1試験では、チルゼパチド使用により総除脂肪率が8.5ポイント減少しました。
「除脂肪体重」とは、体脂肪を除いたすべての体成分を指します。具体的には
・骨格筋(=筋肉)
・内臓
・骨
・水分
この中でも特に変化を受けやすいのが骨格筋であり、減量中に減る除脂肪体重の大半は筋肉であると考えられています。
STEP 1試験での5.3kgの除脂肪体重の中で、筋肉の割合は通常50〜75%とされるため、実質的に2.5〜4kg前後(減量分のおよそ20%前後)の筋肉が減少している可能性があります。
特に男性や高齢者では筋肉量の減少が顕著であり、適切な蛋白質摂取(1.2〜1.6g/kg/day)と週3回以上のレジスタンストレーニングの併用が推奨されます。
骨密度の低下
また、骨密度の低下も観察されており、3~4ヶ月で14%以上の急激な体重減少は特に危険です。GLP-1と運動を併用したRCTでは、骨密度維持効果が単独使用より優れていたことからも、統合的アプローチの必要性が示唆されます。
補足:除脂肪体重(lean body mass, LBM)の減少
除脂肪体重(LBM)とは?
除脂肪体重とは、「脂肪を除いた体重」を指し、以下の組織・成分が含まれます:
組織・成分 | 概要・役割 |
---|---|
骨格筋 | 随意運動を担う筋肉、全LBMの約40~50%を占める |
内臓(臓器) | 心臓、肝臓、腎臓、腸など:代謝活性が高い |
骨 | 骨密度・骨量:体重支持、カルシウム貯蔵 |
体液(水分) | 細胞内液、細胞外液(特に筋肉・血漿・間質液) |
皮膚・腱・結合組織 | 支持構造:変化は少ないが、長期的にはやや変動あり |
減少し得る組織とその理由
1. 骨格筋(skeletal muscle)
- 体重減少時にもっとも影響を受ける。
- GLP-1RAでは食欲抑制により蛋白質摂取が減る→筋合成が低下。
- レジスタンストレーニングをしていなければ、筋量は確実に減少します。
- 推定では除脂肪体重減少の50%前後が筋肉。
2. 体液(細胞外液・血漿量)
- カロリー制限や脱水、ナトリウム摂取減により細胞外水分(extracellular fluid)が減少。
- 特に初期の体重減少は水分減少が主因である場合も。
- 減量の最初の数週間では1〜2kg程度の水分変動もよくあります。
3. 内臓重量の一部
- 肝臓・腎臓・心臓などは脂肪浸潤が減ることでわずかに重量が減少することがあります。
- 特に肝臓はNAFLD(非アルコール性脂肪性肝疾患)が改善するとサイズが縮小することがあります。
- ただし、内臓自体の重量減少は全体としては限定的です。
4. 骨量(bone mass)
- 長期的・急激な体重減少では骨密度が低下し、除脂肪体重に反映されます。
- 特に高齢者やエストロゲン低下状態(閉経後女性など)で顕著。
- GLP-1療法単独では骨密度低下のリスクが報告されており、実際に骨量も除脂肪体重の減少に寄与する可能性があります。
まとめ(概算)
仮に除脂肪体重5.3kg減少の内訳を推定すると:
組織・成分 | 推定寄与量(kg) | 割合(%) |
---|---|---|
筋肉 | 約2.5〜3.0kg | 約50〜60% |
体液(水分) | 約1.0〜1.5kg | 約20〜30% |
骨・内臓などその他 | 約0.5〜1.5kg | 約10〜30% |
※ 実際の値は性別・年齢・運動習慣によって変動します。
食欲と嗜好の変化:GLP-1が脳をどう変えるか
GLP-1受容体は中枢神経系の報酬系(側坐核、扁桃体、視床下部など)にも発現しており、食欲、報酬、摂食行動を調整します。臨床・前臨床研究では、GLP-1療法により「食物へのこだわり(food noise)」が減少し、感情的・外的要因による摂食行動(emotional/external eating)が抑制される傾向が確認されています。
一方で、治療初期には強い食欲減退、食物への嫌悪感、食の楽しみの喪失によるQOL低下を訴える人もいます。これに対しては、栄養士による食事カウンセリングや精神的サポートの介入が重要です。
臨床現場での実践:医師・患者ができること
本論文では、「5Aモデル」(Assess, Advise, Agree, Assist, Arrange)に基づいた支援戦略が提唱されています。
- Assess:体重履歴、情動的摂食、運動習慣、骨格筋量の評価
- Advise:副作用の説明、栄養・運動の必要性を伝える
- Agree:S.M.A.R.T.ゴール設定(具体的・測定可能・達成可能・現実的・時間設定)
- Assist:食糧援助制度(SNAP)や地元の運動施設の紹介
- Arrange:栄養士、精神療法士、運動指導士との連携
より具体的な評価項目としては、通常の食事習慣、感情的なトリガー、摂食障害のスクリーニング、関連する病態の確認が含まれます。特に、筋肉量と機能(立ち上がりテスト、階段昇降テスト、Timed Up and Goテストなど)と体組成(生体電気インピーダンス分析またはDXAスキャン)の評価が重要です。社会経済的要因(食料不安、住居や交通手段の問題)のスクリーニングも、治療継続性を予測する上で欠かせません。
これらにより、単なる薬物療法から、個別化された包括的肥満治療へと進化が可能となります。
GLP-1RAを単に「痩せ薬」として処方するのではなく、栄養士との協働、運動処方の標準化、定期的な体組成モニタリング(BIAやDXA)の導入など、構造的な支援体制の構築が求められます。
おわりに
GLP-1RAは確かに肥満治療に革命をもたらしましたが、それは「入り口」に過ぎません。本論文が示すように、最大の健康効果を引き出す鍵は「薬と栄養と運動の統合」にあります。今後は、薬物療法を「一過性の道具」ではなく、「持続可能な行動変容の契機」と捉え、医療者と患者が共に歩む体制を整えることが、真の治療効果の実現に直結するといえるでしょう。
参考文献
Mozaffarian D, Agarwal M, Aggarwal M, et al. Nutritional priorities to support GLP‐1 therapy for obesity: A joint Advisory from the American College of Lifestyle Medicine, the American Society for Nutrition, the Obesity Medicine Association, and The Obesity Society. Obesity (Silver Spring). 2025;1–29. doi:10.1002/oby.24336