通勤と主観的幸福感・メンタルヘルスの関連性

ポジティブ心理学

はじめに

現代社会において、通勤は多くの人々の日常生活に深く根付いた習慣的行動です。英国労働組合会議(TUC)の報告によれば、2009年時点で英国南東部の労働者は、前年比31時間も通勤時間が増加しています。このような時間的負担は、人々の主観的幸福感(SWB;subjective wellbeing)とメンタルヘルス(MH;mental health)にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

本システマティックレビューは、2020年2月9日までに発表された45の観察研究を分析し、通勤とSWB・MHの関連性を包括的に検討した研究です。

研究方法

本研究はPRISMAガイドラインに準拠し、Web of Science、Scopus、PsychINFOなど6つのデータベースから12,270件の文献を検索し、厳格な選定基準を適用して45研究を分析対象としました。研究の質はKmetらの評価基準に基づき、23研究が高品質、20研究が中品質、2研究が低品質と評価されています。

対象となった研究の84%(38研究)が横断研究で、縦断研究は7研究のみでした。サンプルサイズは20名から24,000名まで幅広く、平均年齢は39.38歳(SD=9.08)でした。通勤時間の平均は34.70分(SD=16.03)で、地域による若干の差異が認められました。

主な結果:通勤特性と心の健康の関連性

通勤時間の影響

通勤時間の延長は、SWBとMHのほぼ全ての側面に悪影響を及ぼすことが明らかになりました。特に、一定の閾値を超えるとその影響が顕著になる「過剰通勤」が有害であることが示唆されています。

具体的には、例えば以下のことが示されています。

・通勤時間が10分増加するごとに、抑うつ症状のリスクが0.5%上昇(Wang et al., 2019)
女性の総合的なメンタルヘルス(GHQスコア)が0.055低下(Roberts et al., 2011)
・通勤時間が長くなるほど生活満足度が低下する傾向が複数の研究で確認(Sha et al., 2019a, 2019b; Rüger et al., 2017)。

EvansとWener(2006)は唾液コルチゾール(ストレス関連バイオマーカー)を測定し、通勤時間の増加に伴ってコルチゾールレベルが上昇することを実証しています。このような客観的指標を用いた研究はまだ少ないものの、通勤ストレスの生物学的基盤を理解する上で重要な知見です。

興味深いのは、通勤時間の影響が交通手段によって異なる点です。
自動車運転者と自転車通勤者では、通勤時間が長くなるほどストレスレベルが上昇しますが、自動車の同乗者ではこのような関係は見られません(Morris & Guerra, 2015)。

交通手段の選択と心の健康

アクティブ通勤(徒歩や自転車)は、自動車や公共交通機関と比較して、通勤満足度とメンタルヘルスの双方にプラスの影響を与えることが示されました。
例えば、自転車通勤者は非自転車通勤者に比べてストレスレベルが低く(Avila-Palencia et al., 2017)、徒歩通勤者は自動車通勤者よりも生活満足度が高く、精神的苦痛が少ないという結果が出ています(Chng et al., 2016)。

公共交通機関に関しては、地下鉄やバス快速輸送(BRT)の利用が抑うつ症状を4.8%減少させるという報告があります(Wang et al., 2019)。しかし、混雑した環境での主観的ストレスは、客観的な混雑度とは必ずしも一致しないことも指摘されています(Mohd Mahudin et al., 2012)。

感情的反応とその波及効果

通勤中の感情体験は、その後の日常生活にまで影響を及ぼします。
非自動車移動(徒歩・自転車)の利用者は「楽しい」「興奮する」「リラックスする」といったポジティブな感情を報告する傾向が強く、バスや自動車通勤者は「ストレスを感じる」と報告する頻度が高いことが分かりました(Thomas & Walker, 2015)。

特に注目すべきは、通勤中の感情が職場や家庭に「波及(spill-over)」する現象です。
MorrisとZhou(2018)によれば、通勤時間が30分延びると、職場でのポジティブな感情が約2.7%減少します。また、Gimenez-NadalとMolina(2019)は、通勤時間が1%増加するごとに、育児活動中の「悲しみ」が0.062単位、「疲労」が0.126単位増加すると報告しています。

実践的対策:明日からの通勤

この研究から得られる知見を日常生活に活かす具体的な方法を提案します。

通勤手段の選択:可能であれば、徒歩や自転車といったアクティブモビリティを選択しましょう。
自転車通勤はストレス軽減に特に効果的です。公共交通機関を利用する場合、可能であれば混雑を避ける時間帯を選ぶか、混雑に対する認識を変える工夫(音楽を聴く、瞑想するなど)が有効です。

通勤時間の管理:通勤時間が長い場合、その時間を「有用」と感じられる活動(オーディオブックを聴く、言語学習をするなど)に充てることで、通勤満足度を高めることができます(Denstadli et al., 2017; Smith, 2017)。
また、30分以上の通勤時間増加が心の健康に悪影響を及ぼす可能性があるため、転居や勤務形態の変更を検討する価値があります(職場への近接居住、テレワーク導入)。

社会的相互作用:同僚との相乗りやカープールを活用したり、公共交通機関で会話を楽しんだりすることで、通勤満足度と気分を向上させることができます(Glasgow et al., 2018; Lancee et al., 2017)。一人で通勤する場合でも、ポジティブな気分で通勤を開始するよう心がけましょう。

研究の限界と今後の方向性

本研究にはいくつかの限界があります。まず、対象となった研究の大多数(84%)が横断的研究デザインであったため、因果関係を断定することはできません。第二に、研究のほとんどが欧米の先進国で実施されており、結果の一般化には注意が必要です。第三に、SWBとMHの測定方法が研究間で大きく異なり、結果の統合が困難でした。

今後の研究では、ウェアラブルデバイスやGPS機能付きスマートフォンを活用した縦断的研究が重要です。これにより、通勤中の生理的反応(心拍数、コルチゾールレベルなど)をリアルタイムで測定し、環境要因(混雑、天候、騒音など)との関連を詳細に分析できます。また、新興のモビリティサービス(ライドシェアリング、カーシェアリングなど)が心の健康に及ぼす影響についても調査が必要です。

結論

通勤は単なる移動手段ではなく、人々の日々の幸福感と長期的なメンタルヘルスに深く関与する生活行動です。通勤時間の短縮、アクティブモビリティの選択、通勤時間の有効活用など、小さな変化が心の健康に大きな影響を与える可能性があります。個人の選択だけでなく、都市計画や交通政策においても、これらの知見を活用した健康増進策が求められています。

参考文献

Liu, J., Ettema, D., & Helbich, M. (2022). Systematic review of the association between commuting, subjective wellbeing and mental health. Travel Behaviour and Society, 28, 59-74. https://doi.org/10.1016/j.tbs.2022.02.006

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