はじめに
日本は世界トップレベルの長寿国ですが、「健康寿命(Healthy Life Expectancy: HLE)」という視点で見ると、ただ長く生きるだけではなく、「自立して生活できる期間」をいかに伸ばすかが重要な課題です。厚生労働省やWHOも、単なる平均寿命ではなく、健康寿命の延伸を重要目標に掲げています。特に日本では、超高齢社会の到来とともに、介護負担の増加や医療費高騰が避けられない状況にあります。そのため、「要介護にならず、いかに元気で生き続けるか」という視点から、健康寿命の決定要因を明らかにすることが求められています。
今回紹介するNIPPON DATA90は、1990年から2010年までの20年間にわたり、日本全国から抽出された地域住民を対象に追跡したコホート研究です。特に65歳時点の健康寿命に着目し、「血圧」「BMI」「喫煙」「糖尿病」という4つの主要な非感染性疾患(NCD)リスク因子が、健康寿命にどのような影響を及ぼすのかを精緻に検討しています。この研究の新規性は、日本の全国データを用いて、96通りのリスク因子の組み合わせごとに健康寿命を算出した点にあります。欧米の研究がリスク因子の合計スコアを用いた単純化解析に留まっていたのに対し、本研究は各リスク因子の単独効果と複合効果を可視化した点が特徴です。
研究の概要と対象者
この研究の対象者は、1990年に全国300地域で健康診査を受けた30歳以上の8,383名のうち、40〜89歳でデータが揃っている6,569名(男性2,797名、女性3,772名)です。彼らは最大20年間追跡され、1995年と2000年には65歳以上を対象に日常生活動作(ADL)を評価する調査も行われました。このADL評価には、Katz ADL Indexを用い、「自立」「要介護」に分類しています。
この対象者から得られた「血圧」「BMI」「喫煙」「糖尿病」という4つのリスク因子に基づき、96通りの組み合わせを設定。それぞれの健康寿命(HLE)をマルチステートライフテーブル法で推計しています。対象者は全国から無作為に抽出されたため、日本の一般高齢者集団を代表するデータといえます。
血圧は日本高血圧学会のガイドラインに基づき、正常血圧、高正常/高値血圧、I度高血圧、II/III度高血圧の4段階に分類しました。BMIは、低体重、正常体重、過体重、肥満の4段階に分け、「BMI30以上」を肥満と定義しました。喫煙状況は非喫煙者、元喫煙者、現喫煙者の3段階に分類しました。糖尿病は、既往歴、HbA1c値、または糖尿病治療の有無で定義しました。
健康寿命の実際とリスク因子の影響
研究対象者は6,569名(男性2,797名、女性3,772名)で、平均追跡期間は男性16.3年、女性17.5年でした。65歳時の健康寿命は、リスク要因の組み合わせによって大きく異なることが明らかになりました。
例えば、II/III度高血圧、肥満、現喫煙者、糖尿病をすべて持つ男性の健康寿命は12.9年(95%信頼区間:12.9-13.0年)でしたが、これらのリスク要因を持たない男性の健康寿命は22.6年(95%信頼区間:22.4-22.8年)であり、9.7年の差がありました。
同様に、女性では、II/III度高血圧、肥満、現喫煙者、糖尿病をすべて持つ場合の健康寿命は16.2年(95%信頼区間:15.9-16.5年)で、リスク要因を持たない女性の26.3年(95%信頼区間:26.3-26.3年)と比べて10.1年短くなりました。
個別のリスク要因の中で、最も健康寿命に大きな影響を与えたのは喫煙状況でした。現喫煙者の健康寿命は、非喫煙者と比べて男性で2.9-4.0年、女性で2.9-4.1年短くなりました。
次に影響が大きかったのは血圧で、II/III度高血圧のグループは正常血圧のグループと比べて男性で2.3-3.3年、女性で3.4-4.7年健康寿命が短くなりました。
糖尿病も健康寿命に大きな影響を与え、糖尿病のあるグループはないグループと比べて男性で2.2-3.1年、女性で3.4-4.7年健康寿命が短くなりました。
一方、BMIの影響は比較的小さく、低体重や肥満のグループでは健康寿命が若干短くなる傾向が見られましたが、その影響は喫煙や血圧、糖尿病に比べて限定的でした。特に、低体重の男性では健康寿命が1.8-2.7年短くなりましたが、肥満の男性では0.4-1.2年しか短くなりませんでした。女性では、低体重のグループで2.4-4.0年健康寿命が短くなりましたが、肥満の影響はほとんど見られませんでした。
分子生物学的背景
特に喫煙と高血圧は、分子生物学的にも健康寿命短縮に直結するメカニズムが明らかになっています。喫煙は、ニコチンやタールによる慢性的な血管内皮障害に加え、炎症性サイトカイン(IL-6、TNF-α)の上昇を通じて、全身性の「炎症老化(inflammaging)」を促進します。これにより、動脈硬化、腫瘍形成、認知機能低下まで幅広い影響を及ぼします。
高血圧では、血流による機械的ストレスが内皮細胞に加わり、NO(一酸化窒素)産生低下と酸化ストレス亢進を引き起こします。内皮機能障害と慢性炎症が相乗的に進行し、血管リモデリングが進むことで、脳卒中や心不全リスクが高まります。
糖尿病では、持続的な高血糖によりAGEs(終末糖化産物)が蓄積し、RAGE(AGE受容体)を介した炎症シグナルが慢性化します。加えて、ミトコンドリア機能低下やインスリン抵抗性による骨格筋萎縮も関与し、サルコペニアやフレイルリスクが増加します。
明日から活かせるポイント
・血圧管理(特に塩分制限と適度な運動)を徹底することで健康寿命を2〜3年延ばせる可能性
・禁煙により、全身の炎症負荷を軽減し、健康寿命を3年以上延ばせる
・体重管理では過体重よりも「やせ過ぎ」のリスクに要注意
・糖尿病予防には食事、運動、定期的な血糖チェックを徹底
結論
本研究は、日本の高齢者における健康寿命とNCDsリスク要因の関係を詳細に分析した初めての研究です。特に、喫煙、高血圧、糖尿病が健康寿命に大きな影響を与えることが明らかになりました。これらのリスク要因を管理することで、健康寿命を大幅に延伸できる可能性があります。今後の公衆衛生政策や個人の健康管理において、これらの知見を活用することが期待されます。
参考文献
Tsukinoki R, Murakami Y, Hayakawa T, et al. Comprehensive assessment of the impact of blood pressure, body mass index, smoking, and diabetes on healthy life expectancy in Japan: NIPPON DATA90. J Epidemiol. 2025. DOI:10.2188/jea.JE20240298